第26話 神官でなくても先生
王都から戻ったヨハンは、予備の式服を畳んだ。袖を折る位置は、見習いの頃に教わったままだった。
正式審査までの職務停止。破門ではない。それでも、授与の壇上へは立てない。ラウルは部屋を急いで出る必要はないと言ってくれたが、ヨハンは通える距離に下宿を探した。
式服を棚へ戻し、手記と着替えだけを鞄へ詰めた。裏口を出る時、明日の授与担当を知らせる札が目に入った。自分の名前のあった場所には、別の神官の名がある。
呼ばれなくても朝には目が覚めるだろう。その後どこへ行くかを、今は自分で決めなければならなかった。
「何黄昏れてんだ、先生」
不意に背中を叩かれ、ヨハンが振り返ると、そこにはS級冒険者のセラと、技能記録士見習いの腕章をつけたルカが立っていた。
「セラ……ルカ」
「迎えに来たぜ。さあ、新しい職場に案内するから、とっとと歩きな」
セラの豪快な笑顔に手を引かれ、ヨハンが連れてこられたのは、ニアが身を寄せている職人組合の工房の裏手にある、古いレンガ造りの建物の二階だった。
元々は倉庫として使われていたらしい広い部屋には、大きな長机と椅子、そしていくつもの空の書棚が運び込まれていた。
部屋の中には、ニア、ミラ、ノルといった実証協力者の子どもたちに加え、測量士のエルサ、若い神官のトーマ、装具職人のガイといった卒業生たちが集まっていた。
「これは、一体……」
「僕たちが組合長に掛け合って、この部屋を借りたんです。家賃は組合の試験事業費と、大人の賛助金からです。ニアや僕たちの賃金は使っていません」
ルカが胸を張って答える。
「ヨハン様」
エルサが几帳面な動作でヨハンの前に歩み出た。
「私たちは、ただの同窓会を開くために集まったのではありません。あなたが持つ七年分の記録と知見を体系化し、教会の外側から第五等級者の支援を行うための実務組織を立ち上げます。……名付けて、『技能記録会』です」
技能記録会。
ヨハンはその響きに目を丸くした。
「僕が、先生の記録を公式の『五項目記録票』のフォーマットに清書し直して、誰でも使えるように分類・整理します。正式な記録士見習いの肩書きがある僕なら、それができます」
ルカが大量の羊皮紙の束を机に置きながら言った。
「僕も手伝います。地方聖堂の神官という立場はそのままですから、教会側の公的な文書要件や、手続の知識を提供できます。異端扱いされないための、法的な防波堤として使ってください」
トーマが穏やかな、しかし芯のある声で続いた。
ヨハンは胸が熱くなるのを感じた。
エルサは机の高さを確かめ、トーマは回覧規程を棚へ置いていた。誰も、ヨハンの指示を待っていなかった。
「みんな……ありがとう。だが、私は今、神官の仕事を止められている。君たちを教える資格があるのか――」
「肩書きなんか関係ねえよ」
ガイが杖をつきながら鼻で笑った。
「俺たちは、あんたの神官服に救われたわけじゃない。あんたの頭の中にある知識と、俺たちを見捨てなかったそのやり方に恩を感じてるんだ。……だから、教会の外だろうと何だろうと、あんたは俺たちの先生だ」
その言葉に、ヨハンは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
もう、迷いはなかった。
「……わかった。では、さっそくこの『技能記録会』の最初の仕事を始めよう」
ヨハンが長机の上座に座ると、部屋の空気が一気に引き締まった。
「現在進行中の『九十日限定の個別解析試験』についてだ。私の停職により、試験の存続がどうなっているか、トーマ、状況はわかるか?」
「はい」
トーマが手帳を開き、的確に報告を始める。
「試験自体は中止されていません。第三王女リアーネ殿下の公式な王族案件であるため、中央授能審査局も簡単には握りつぶせなかったようです。初夏に始めた試験は、監督者と実施範囲を再確認したうえで継続されています。大祭後に一時停止した設備試験も、記録を残して再開しました」
「私たちはどうなるんですか?」
ミラが不安そうに尋ねる。
「君たち被験者は、引き続きマティアス監査官をはじめとする教会の監督下で、非戦闘環境での試験を続けることになります。最終評価は数週間後……九十日の満了時に、私が以前まとめた記録と共に提出されるはずだ」
ヨハンは冷静に状況を分析した。
「問題は、私です。神官資格を停止された私は、もはや試験の『当事者』から外されています。あくまで『参考人』扱いとなり、試験を主宰することは許されない。同席や照合が必要な時には、監督者が参考人として申請する」
「それじゃあ、新しい技能の解析はどうするんだ?」
セラの問いに、ヨハンはルカを見た。
「ルカは記録係を続ける。実施と中止の判断は、大人の監督者が担う。仮説は、私だけでなく皆で考えよう。照合に呼ばれた時も、先に君たちの記録を読ませてほしい」
「僕が……! はい、任せてください!」
ルカが力強く頷く。
ルカは最初の記録票へ、自分の名を記入した。ヨハンは隣の確認者欄を、監督者のために空けておいた。
午後。
新たな拠点での作業方針が決まり、それぞれが記録の整理に取り掛かり始めた頃だった。
工房の一階から、ひどく慌ただしい足音が階段を駆け上がってきた。
「ヨハン様! いらっしゃいますか!」
扉を開けて飛び込んできたのは、王宮の使いの服を着た若い文官だった。
「私がヨハンですが……何か?」
「リアーネ王女殿下からの、公式な親書です! 至急、ご確認を!」
文官は息を切らしながら、王家の蝋印が押された筒をヨハンに差し出した。
ヨハンが封を切り、中の羊皮紙に目を通す。
そこに書かれていた内容に、ヨハンは思わず目を見張った。
「どうしたんですか、ヨハンさん」
ルカが覗き込むと、ヨハンは信じられないものを見るような目で親書を机に置いた。
「……リアーネ殿下が、ご自身の第五等級技能《余白》について、教会の高位神官と王宮の官吏を多数立ち会わせる正式な『第二鑑定』を申請されたそうだ」
「第二鑑定……!? それって、能力の評価をもう一度公の場でやり直すってことですか!」
「ああ。だが、問題はそこじゃない」
ヨハンは親書の末尾、リアーネの署名が書かれた部分を指差した。
「殿下は、その第二鑑定において、能力解釈の『参考人』として……私を指名してきた」
部屋にどよめきが走る。
神官資格を停止されたヨハンにも、証言と照合に参加する道が残されていた。
親書には、参考人出席を認めた審査会の許可番号もあった。ヨハンは自分の名を指でなぞった。元の席ではなく、証言する席が一つ用意されていた。




