第25話 手紙を書いたのは私です
王都大聖堂の奥深く、重厚な石造りの『公聴会室』には、息の詰まるような緊張感が満ちていた。
高い天井から差し込む光の下、長机には中央授能審査局の高位の役人たちがずらりと並んでいる。その中央で記録係として場を取り仕切っているのは、異端審問官マティアス・ロウだ。
下座の中央に立たされているのはヨハン。そしてその後ろには、参考人として呼ばれたルカ、ニア、ミラ、ノルの四人が不安げに身を寄せ合っている。
「大祭での緊急行動と、過去の匿名指導は、別件として聴取します」
マティアスが確認した。
「本日は、本人から全履歴を提出したいとの申し出がありました。受取人の個人情報は、公開の同意がある範囲に限ります」
役人の一人が、ヨハンへ向き直った。
「救助の実績をもって、無許可指導まで正当化するつもりではあるまいな」
「違います!」
ヨハンが口を開くより早く、後ろからルカが叫んだ。
「ヨハンさんは僕たちに強制なんかしていません! あの崩落の中で、生き残るために僕たちが勝手に判断して能力を使ったんです! ヨハンさんは僕たちを守ろうとしてくれただけです!」
「そうです! 落ちてくる天井を支えなきゃ、みんな死んでたんです!」
ニアも必死に声を上げる。ミラもノルも、懸命に頷いている。
役人たちは顔をしかめ、ルカたちを怒鳴りつけようと息を吸い込んだ。
「ルカ。もういい」
ヨハンは振り返り、静かに、だが強い響きを持った声で子どもたちを制した。
「ヨハンさん……」
「君たちが判断したことも事実です。そのうえで、私が書いたことを、私から説明させてほしい」
ヨハンは子どもたちから視線を外し、審査局の役人たち、そしてマティアスへと向き直った。
彼は深く息を吸い込み、七年間、心の奥底に隠し続けてきた重い扉を、自らの手で開け放った。
「現場において能力の制約を計算し、彼らに指示を出したのは間違いなく私です。……そして、私が規則を破ったのは今回が初めてではありません」
ヨハンの言葉に、公聴会室が水を打ったように静まり返った。
「七年半前。私はマレクという少年に、彼の《鈍足》の本当の意味を教えず、その年の冬、彼を街道で失いました。その悔恨から、私はあることを始めました。……追放される子どもたちにだけ、彼らの技能の『本当の使い方』を記した、匿名の手紙を渡し続けることを」
「な、何を言っている……?」
役人の一人が呆然と呟く。
ヨハンは逃げることなく、はっきりと宣言した。
「今年の春までの七年間で渡した手紙は二十三通。それに加え、今年の春にルカ・ヴァルトへ渡した二十四通目、そして第三王女リアーネ殿下へ渡した二十五通目。……その全ての匿名文書を書いたのは、私です」
ヨハン自身の口からの、公の自白だった。
マティアスが、僅かに目を伏せる。
数秒の沈黙の後、役人たちが一斉にざわめき始めた。
「現在出回っている写本も、すべてあなたが?」
「いいえ。私の控えにない追記と、削られた注意書きがあります。その区別も、原本で確認してください」
マティアスが控えを受け取った時、書記が戸口で一礼した。
「受取人の代表が、証拠提出を求めています」
許可を得て、セラたちが入ってきた。彼女は待機中に整えたらしい原本の包みを、両手で机へ置いた。
ヨハンはその紙の薄さを知っている。それが何年も折られ、開かれ、繕われてここへ戻ってきた。
「七年前の春、私がもらった《重荷》の説明書。一枚目の原本だ」
「これは、六年前の《聞き返し》。六通目です」とトーマが続く。
「七年前の夏、《水平》。三通目です」とエルサが置く。
次々と、卒業生たちが七年間大事に保管していた手紙の原本が机の上に並べられていく。紛失した者や遠方の者の分を除き、その場に揃った旧受取人の原本は計十七通。
さらに、ルカが進み出た。
「これもです。僕が今年の春にもらった、二十四通目」
ルカの手紙が重なり、物証は計十八通となった。
受取人の申告、授与の日付、ヨハンの控え。マティアスは筆跡だけで決めず、一通ずつ照合させた。遠方の受取人から託された原本には、提出への同意書も添えられていた。
「さらに証言しよう」
傍聴席の最前列に座っていたリアーネ王女が、静かに立ち上がった。
「私も二十五通目を、本人から受け取りました。原本は王宮の試験資料として保管しています。必要な照合を受けます」
リアーネは自分の供述書へ署名した。王女の肩書きで、他の二十四通まで保証することはしなかった。
完全な証拠と証言の成立。
だが、一番端に座っていた審査局の役人が、顔を引き攣らせながら食い下がった。
「こ、これだけの数を無許可で配っていれば……条件の読み違えで事故を起こした者もいるはずだ! 決して美談で終わるような代物ではない! お前は子どもたちを危険な実験台にしただけだ!」
その追及は、まさにヨハンの最も痛いところを突いていた。ヨハンが俯きかけた時。
ガイは懐の手紙を押さえたまま、席を立たなかった。
「事故はあった。だからこそ、聞き返せる相手を用意してくれ」
ヨハンはうなずき、その言葉を自分の供述書の余白へ書いた。
それに続くように、エルサとトーマも口を開いた。
「ヨハン様の手紙は私たちを救ってくれましたが、一人の神官が抱え込むには限界があります」
「だからこそ、です」
ルカが再び前に出て、五項目記録票を掲げた。
「だからこそ、ヨハンさんが隠れて手紙を渡さなくてもいいように、安全な場所で検証して、誰でも見られる『記録』を作る制度が必要なんです!」
ルカが記録票を差し出すと、役人は受け取った。先ほどガイが口にした要求の横へ、別の紙の番号が書き込まれた。
「……静粛に」
場を制したのは、マティアスだった。
彼は集まった全ての物証と証言録をまとめ、ヨハンを見下ろした。
「ヨハン・エーベル神官。あなたが匿名文書の筆者であり、教会の規定を長年にわたって違反してきた事実は、今ここで公に証明されました」
マティアスは監査官としての冷徹な顔を崩さなかった。
「処分委員会の暫定決定を告知します。正式審査が終わるまで、授与・教導を含む神官職務を停止する。過去の無許可指導への処分は、本審査で決定します」
役人たちが安堵の表情を浮かべる。だが、マティアスの言葉は続いた。
「本人は資料を提出し、所在と出頭を約束しています。現時点で身柄拘束を要する理由は認めません。関係部署の記録と合わせ、上級審査会へ送致します。……本日の聴取を終えます」
マティアスは木槌を鳴らした。
それは、法的手続に則った上でヨハンを投獄から救い出す、彼なりのギリギリの裁定だった。
*
その日の夕刻。
長年着慣れた神官の式服を返納し、簡素な平民の服に着替えたヨハンが王都大聖堂の正門を出ると、盛夏の熱を含んだ風が彼の頬を撫でた。
肩書きも、聖堂での居場所も失った。
だが、彼の足取りは不思議なほど軽かった。七年間、心を縛り付けていた鎖が、ようやく外れたのだ。
「遅いぞ、先生」
大階段の下。
夕日に照らされた広場には、セラ、ルカ、ニア、ミラ、ノル、そしてエルサやトーマ、ガイたち卒業生が、ヨハンを待っていた。
「君たち……」
ヨハンが目を丸くすると、ルカが一歩前に出て、悪戯っぽく笑った。
「職務が止まっている間、聖堂の外でできる仕事もありますよね?」
「……ああ。私はただの、三十路前の失業者だ」
「まずは記録整理です。勝手に試験を再開しなくても、やることは残っています」
ルカは鞄から、五項目記録票の真新しい羊皮紙を取り出した。
「神官じゃなくなったなら、これからはただの『先生』です」
セラがヨハンの背中をバンと力強く叩いた。
「そういうことだ。隠れてやる必要はもうない。……では先生、外で続けましょうか」
ヨハンは、ルカの差し出した記録票を受け取った。
今度の紙には、誰が書いたかを記す欄があった。彼は自分の名を隠さず、そこへ書いた。




