第24話 救ったから正しい、ではない
ルカが目を覚ましたのは、その夜だった。
王都の治療棟。胸と肩は固定され、寝返りも許されていない。ヨハンは寝台の脇で、治療師が残した注意書きを読み直していた。
「みんなは?」
「隣の部屋にいる。今日はもう休ませているよ」
ルカは小さく頷いた。窓の外から、瓦礫を運ぶ音が届く。
「役に、立ちましたよね」
ヨハンは、すぐに答えられなかった。
役に立った。それを否定すれば、少年が堪えた時間まで奪うことになる。けれど、その一言を次の無茶の許可にしてほしくもなかった。
「助けられた人がいる。君が引いた老人も、無事だ」
ルカの口元が緩んだ。
「でも、次も身体を差し出してほしいとは、思っていない」
ヨハンは椅子を寄せた。
「今度は君が挟まる前に、別の手を探せるようにする。今日の記録は、そのために残す」
「……僕が、勝手にしたから」
「君がその場で選んだことと、私が指示したことを、両方書こう。どちらか一人の話にしなくていい」
ルカは長い間、胸の包帯を見ていた。
「怖かったです。治す人のところに着いても、戻すのが」
「私も怖かった」
ヨハンが答えると、少年は意外そうに顔を上げた。
それから、少しだけ泣いた。
*
翌朝、ミラは自分の手がまだ震えると言った。
ニアは成形し直した部品の寸法を、何度も思い出していた。ノルは地図を広げ、通れなかった道へ線を引く。
セラが全員の前へ、朝食の盆を置いた。
「記録はあと。まず食え」
誰も異を唱えなかった。
ヨハンは回廊へ出て、マティアスに会った。審問官の外套にも、まだ灰が残っている。
「助かった人たちから、班への礼状が届いています」
「渡してください。子どもたちには」
「あなたの分もあります」
ヨハンは封筒を受け取った。受け取る資格がない、と言いかけた言葉を飲み込む。救助への礼と、これから調べる責任は、別々に受け止めるしかない。
事故後の確認には、数週間かかった。
初夏の大祭が終わり、季節は盛夏へ向かっていた。治療が進んだルカも、短時間なら記録の聴き取りに同席できるようになった。
本部は入場停止を遅らせた。退避指示の直後に安全待機区域が壊れ、解析班は逃げる途中で当事者になった。マティアスは、その順序を崩さず記録した。
一方で、即席の部品や未検証の荷重配分を、ヨハンが指揮して使ったことも残した。
「緊急避難として、必要な範囲だったと認められる可能性があります」
審問官はそう説明した。
「ただ、成功したからという理由で、検証を省くことはできません。現場の判断と、事前の備えを分けて調べます」
「承知しています」
教会上層部による準備聴取で、役人は問うた。
「君が未成年者に技能の使用を命じたのだな」
「私が指示しました。ただ、まず退避を命じ、道を失った後の判断です。そこも記録してください」
ヨハンは机の図面を指した。
「ここでルカが挟まった。ミラが荷重を分けた。私が残りの役割と、解除の順序を決めました。後から別の手段が見つかったなら、私の判断も検証されるべきです」
ルカが何かを言いかけたが、ヨハンは手で止めなかった。
「話していい。見ていたことを」
「僕は、老人を引いてから抜けられなくなりました。先生に梁へ入れと言われたわけじゃありません。でも、そのあとどう動くかは、先生に聞きました」
マティアスのペンが動く。
子どもが大人を守るために嘘をつく必要も、大人がすべてを被って事故の原因を消す必要もなかった。
*
聴取後、マティアスはヨハンを呼び止めた。
机の上には、災害報告とは別の調査書がある。匿名文書についてのものだった。
「こちらも、正式審査へ進みます」
「……はい」
「大祭の指揮が正当だったかどうかで、過去の指導記録が不要になるわけではありません。匿名の方法を検証するには、成功と事故の両方が要る」
ヨハンは、受取人の名前を並べた紙を見た。
セラが集めた現況。ガイの負傷。自分の手元には、古い説明の控えも残っている。
「私が辞職すれば、子どもたちの聴取は終わりますか」
「約束できません。私にも、その条件で取引する権限はない」
マティアスは答えた。
「ですが、あなたが何を書き、何を確かめずに渡したかを自分で説明すれば、受取人が推測で答える部分は減らせます」
ヨハンは長く沈黙した。
七年間、渡す時には自分の名を消した。受け取った人間だけが、名前も責任も曖昧な紙を握って生きてきた。
公にすれば、神官の席を失うかもしれない。あの紙を誇りにしている誰かが、調査の目に晒されるかもしれない。
「公表する名前と、非公開にする事情を、本人が選べるようにしてください」
「できます。職場や傷病の詳細まで、公衆に見せる必要はない」
「では、私の控えを提出します。春までの二十三通と、今年の二通。書いた本人として、説明します」
マティアスは頷いた。勝ったような顔はしなかった。
「公の聴取は、明日です。受取人側の提出も受け付けています」
治療棟へ戻る途中、ヨハンは受け取った礼状を開いた。
そこには、老人の家族が書いた短い言葉と、ルカへ届けてほしい干し果物の包みが添えられていた。
ヨハンはそれを寝台へ持っていった。
「明日、話すことがある」
ルカは包みを受け取り、机の上の小さな紙片へ目を向けた。
最初の手紙は、端に少しだけ血がついたまま、丁寧に伸ばされていた。




