第22話 七分、と彼は言った
鉄扉が下りきったあとも、床は震えていた。
第三待機区域へ逃げ込んだ人々が、壁際に寄り合っている。ヨハンは子どもたちを数えた。ルカ、ニア、ミラ、ノル。それから、設備主任に支えられたリアーネ。全員いる。
「裏の保守口から出る。扉を開けられる人は?」
設備主任が手を挙げた。
「手動の巻上げがあります。ただ、先の通路を照らす結界柱が切れている。落下防止の支えも止まっています」
「まず、人が通れる隙間を」
マティアスが主任と走り、セラは倒れた棚をどかし始めた。
誰も、試験を続けようとは言わなかった。
最初の避難者が保守口へ向かった時、天井で石が鳴った。
太い主梁ではない。その脇に渡された短い梁が、片方の受け石から滑りかけていた。もう片側は壁に残っているが、先端が落ちれば、保守口の前を塞いでしまう。
「離れて!」
ヨハンが声を上げた。足を取られた老人を、ルカが引き起こす。
梁が沈んだ。
ルカの肩が、積まれた木箱と梁の間に挟まる。少年は身を縮めたが、抜けない。
「セラ、支柱を!」
ミラはそばにあった梱包台へ手を伸ばした。ルカの上の梁と、仮受けになる台。その両方へ掌を置く。
「《半分》――!」
荷重が二つへ分かれる。梱包台が軋み、そこへセラが太い角材を差し込んだ。
ほぼ同時に、ルカが息を吸った。
「延期、しました」
顔を見たヨハンは、喉が冷たくなるのを感じた。
梁の重さの大半は、壁と仮受けが支えている。それでも、少年の胸を潰すには十分だった。ミラが先に荷重を分けなければ、《後回し》の容量を越えていたかもしれない。
「どこだ。何を抱えている」
「肩から、胸。押し潰される、結果です。息は、まだできます」
ヨハンは膝をつき、ルカと目を合わせた。
逃げ込んだ時に受けた一続きの圧迫。その発現を、少年は今も延期している。別の石まで落ちれば、追加を抱えられる保証はない。
「無理に動くな。先に梁を固定する」
セラが両手で梁を押した。わずかに浮いたが、その瞬間、壁の受け石が砕けた。
「止めて!」
設備主任の声が飛ぶ。
「押し上げると、残った支えまで外れます。結界柱の保持術式が戻れば、梁の位置を固定できる。それまでは動かせない」
セラは歯を食い締め、ゆっくり力を戻した。
ルカが小さく呻く。ヨハンは背後を振り返った。
「治療のできる方はいませんか」
「治療棟の者です」
避難者の中から、灰色の外套を着た女性が出てきた。腕に治療師の腕章がある。彼女はルカの胸と肩を確かめ、短く問いかけた。
「今、傷はまだ出ていないのね」
「はい」
「なら、今は治せない。出た瞬間に、呼吸と出血を支える準備をする。私を先に保守口の外へ出して、横になる場所を作ってください」
できる、とも、必ず助かる、とも言わなかった。それでも、引き受けるために手を動かしてくれた。
ヨハンは頷いた。
「先生。私がルカの負荷を引き受ければ」
セラが囁いた。
「今かかっている荷重は減らせる。でも、もう延期した傷は消せない」
ヨハンは答えた。
「君には、退避口を開けてほしい。ルカを運び出す力も残しておいてくれ」
セラは一瞬だけ目を閉じた。次に開いた時には、保守口を見ていた。
ミラは梁と仮受けから手を離せずにいた。ヨハンが膝の下へ畳んだ外套を入れる。
「同じ荷重を分け続ける。新しい対象を足さなくていい」
「はい。まだ、保てます」
試験では、軽い固定荷重なら数分間の分配を繰り返せていた。だが、この重さで同じとは限らない。ヨハンはミラの顔色も確かめた。
「痺れや眩暈が出たら、すぐ言ってください」
「……ルカくんを、先に」
「二人ともです」
ヨハンはそれだけ言い、時計を出した。
ルカは浅く息をしながら、試験で覚えた保持の感覚を言葉にした。
「普段の骨折より、ずっと重いです。七分くらいで、いっぱいになる。たぶん、それ以上は……」
七分。確定した測定値ではなく、本人が感じ取った限界の見積りだった。保証にしてはいけない。
「六分でここから出す。七分まで使わない」
ヨハンは秒針を見た。すでに時間は動いている。
「これ以上梁が沈んだら、予定を待たずに引き抜く。セラ、その時は手を貸してくれ」
「わかった」
ルカが震える唇で頷いた。
「僕、治療室に戻れますか」
ヨハンは、最初に渡した紙を思い出した。使ってしまったら、すぐ聖堂の裏へ。今、その裏口は遥か遠い。
「ここに、治療師がいる。今は、その人のところへ行こう」
主任が砕けた結界柱を指した。
「ここが繋がれば、保持術式と保守口の補助動力を動かせます。ただ、主炉の供給は切れたままです」
ヨハンは破片を見た。色の違う石が混じっている。その向こうには、停止した予備の治療灯と、まだ計器の針が動いている小型炉があった。
ニアも同じ所を見ていた。
「この青い部分、同じ石ですか」
「導通部です」と主任が答える。
リアーネが机の上の回路図を開いた。
「預かれる出力が残っていれば、私が運べるわ」
ヨハンは震える指を紙へ押し当てた。
「確かめましょう。量と、系統を」
時計の針は、もう三十秒進んでいた。




