第17話 個別解析は危険です
春の授与から二か月が過ぎ、初夏になった。
中央授能審査局長、枢機卿デルムントによる『独自解釈および再評価の全面停止』通達から数日後。
地方聖堂の会議室は、氷室のように冷え切った空気に包まれていた。
上座に腰を下ろしているのは、王都から派遣されてきた三名の中央監査官。その背後には、異端審問官マティアス・ロウが腕を組んで無言のまま立っている。
下座に座らされているのは、ヨハンと、記録士見習いとして同席を許可されたルカだった。
「ヨハン・エーベル神官。改めて通告します。あなたのこれ以上の独自行動は、教会の秩序と社会の安全を著しく脅かす『異端行為』とみなされます」
監査官の筆頭である、神経質そうな白髪の男が事務的な声で告げた。
「本日は例外試験の予備審査です。まず、禁止を解くために何を示していただく必要があるか、説明します」
「……」
ヨハンは無言で監査官を見返した。
監査官は手元の革鞄から、ずしりと重い分厚いバインダーを取り出し、机の上に放り投げた。
「見てみなさい。それが、中央が第五等級を『無価値』とし、使用を推奨しない最大の理由です」
ヨハンがバインダーを開く。ルカも横から息を呑んで覗き込んだ。
そこに記されていたのは、凄惨な事故の記録の数々だった。
『三十年前。《反射》の技能を持つ者が、対象条件を誤認し、魔獣のブレスを街に向けて弾き返し、死傷者二十名』
『五十年前。《連鎖》の技能を持つ者が、代償の把握を怠り、発動後に自身の魔力回路が焼き切れ死亡』
ページを捲るたびに、条件型技能――すなわち第五標準化等級に分類されるべき技能が引き起こした、悲惨な死亡事故や重傷事故の記録が血の滲むような生々しさで羅列されていた。
「第一、第二を中心とする標準的な技能には、共有できる訓練手順が多い。だからこそ、学院や工房で安全な訓練手順となる『マニュアル』を作り、社会に組み込むことができる」
監査官は冷徹に言い放つ。
「しかし第五等級は違います。発動条件、対象、代償。それらが個々人で違いすぎる。標準化が不可能であり、使用者が少しでも条件を読み違えれば、彼ら自身や周囲の人間を巻き込む大惨事に直結するのです」
監査官の言葉は、ただの悪意や利権を守るための方便ではなかった。
莫大な統計と、過去の犠牲者の血の上に成り立つ、極めて論理的で合理的な『安全論』だった。
「私たちは、彼らを差別して切り捨てているのではありません。社会と彼ら自身を守るために、『使えないもの』として封印しているのです。あなたのしていることは、子どもに使い方のわからない爆弾を持たせるようなものだ」
その正論の前に、ヨハンはぐっと息を詰まらせた。
手紙を読み違えて重傷を負ったガイの姿が、鮮明に脳裏をよぎる。監査官の言う通りだ。自分のやり方には、明確な危険性が伴っている。
「爆弾なんかじゃありません!」
沈黙を破ったのは、隣に座っていたルカだった。
ルカは持参していた鞄から、自分が清書した数枚の羊皮紙を取り出し、机の上にバンと並べた。
「これを見てください。僕が記録した、第五等級の技能の運用実績です」
そこには、ニアの《余りもの》による工房の廃棄量削減データや、ミラの《半分》による治療院での荷重分散や均一な薬液の分割の正確な記録が記されていた。
「彼女たちは、自分の能力の条件を正確に理解して、事故を起こすどころか立派に社会の役に立っています! 『無価値』なんかじゃありません!」
ルカの必死の反論。
しかし、監査官は机に並べられた記録票を一瞥しただけで、手元の書類に何かを書き込み、小さく鼻で笑った。
「記録は受理します。ただ、現時点での分類は『偶発的適職』です」
「偶発的?」
「本人の成功と、同じ支援を他の人にも届けられるかは、別の問題です」
監査官は記録を自分の書類に挟み、評価欄へその四文字を書き込んだ。
「たまたま端材を再利用できる工房に拾われたから、結果が出た。たまたま物を分ける作業がある治療院に拾われたから、役に立ったように見えているだけです。……それは偶然の産物であり、制度として万人に再現できる有用性とは到底呼べない」
「そんな……! ニアもミラも、必死に自分の居場所を見つけたのに!」
「偶然を制度の根拠にするわけにはいかないと言っているのです、少年。一握りの偶然の成功例のために、その他大勢の第五等級者が爆発するリスクを許容するなど、審査局としては絶対に認められない」
冷酷なまでの切り捨て。
だが、それが中央の論理だった。彼らは統計の枠外にある「例外的な成功」を拾い上げるよりも、全体の安全を維持することを最優先しているのだ。
「ルカ、もういい」
ヨハンはルカの肩に手を置き、静かに制した。
「……ヨハンさん」
ヨハンは監査官に向き直り、彼が投げ出した過去の事故記録のバインダーに手を置いた。
「監査官殿の仰る通りです。過去の凄惨な事故も、そしてニアやミラたちの成功が、今はまだ『偶発的なもの』に見えることも、私は否定しません」
ヨハンの言葉に、監査官は満足げに頷こうとした。
だが、ヨハンの目は死んでいなかった。
「だからこそ、です」
ヨハンははっきりと監査官の目を射抜いた。
「危険だからと無価値の烙印を押し、使い方を教えずに社会へ放り出すことこそが、最も事故のリスクを高めているのではないですか? 現に、使えないはずの能力が暴走して死者が出ているのがその証拠です」
「なっ……」
「偶然の成功を制度にできないというのなら、必然にすればいい。第五等級者を危険なまま放置するのではなく、専門家の監督下で安全試験を行い、発動条件から例外までを緻密に記録し、安全な運用手順を確立して『再現性を検証する』のです。私たちが作ったこの記録票は、そのためのものだ」
ヨハンは机の上の羊皮紙を指差した。
「危険なパズルだからこそ、解き方を公式に探る仕組みが必要なんです」
監査官は事故記録を閉じた。
「では、人数と期間を限定した計画を出してください。誰が監督し、何を禁じ、費用をどこから出すのか。善意だけでは承認できません」
「その申請人は、私です」
扉が開いた。順番を待っていたリアーネが、護衛と記録官を伴って入ってくる。
王女はヨハンの隣ではなく、申請人の席へ座った。
「三日間の設備試験で、私が蓄えた時だけ治療灯が動きました。ただ、それを他の設備でも繰り返せるかは未確認です。九十日の個別解析を申請します」
巻物には、ヨハンたちが作った安全条件が添えられていた。戦闘は禁止。実測は隔離した設備で行う。本人の同意を毎回取り、いつでも中止できる。生活費は試験参加の成否と切り離す。
「私以外にも、異なる技能を持つ協力者を加えたい。同じ方法で調べられるかを確かめるためです」
「殿下を名目に、対象を無制限に増やすことは認められません」
「最初の名簿と、追加する場合の審査条件を提出します」
監査官はすぐには頷かなかった。午後いっぱい、金額と中止条件の修正が続いた。
リアーネは途中で一度、席を立って指を伸ばした。戻る時には、王女の名のある頁より先に、安全管理者の署名を確かめた。
五日後、条件付きの承認が届いた。
初夏のその日から九十日。事故も失敗も除外せず、満了時に全記録を提出すること。
監査官の評価欄には、まだ『偶発的適職』とある。ルカは悔しそうに見つめたあと、それも控えに写した。
「消さなくていい。今は、そう評価されたんだ」
ヨハンは言った。
「九十日後に、何を書き足せるかを確かめよう」




