第15話 二十三通の行方
春の夜風が吹き抜ける地方聖堂の正門前。
固く閉ざされていた鉄格子をヨハンが押し開けると、そこには月明かりに照らされた十一人の男女が静かに立ち並んでいた。
年齢は十五歳から二十代前半までと幅広い。身につけている服も、土に汚れた作業着、分厚い革の外套、インクの染みがついたエプロンなど様々だ。
彼らはヨハンの姿を認めると、一斉に姿勢を正し、深い敬意を込めて一礼した。
「……君たちは」
ヨハンは呆然と立ち尽くした。
暗がりの中でも、見覚えのある顔がいくつもあった。マレクを失った翌春から、彼が「第五等級」の宣告と共にこっそりと手紙を握らせた若者たち。
「驚いたかい、先生」
ヨハンの背後から歩み出たセラが、自慢げに鼻を鳴らした。
「私が連絡を回したんだ。先生が中央の監査官に目をつけられて身動きが取れなくなってること、それから、街で変な写本が出回って、先生の教えが汚されようとしてるってな。……みんな、居ても立っても居られなくて駆けつけてくれたんだよ」
「セラ……皆に連絡してくれたんですか」
「S級救助冒険者の情報網を舐めるなよ。まあ、全員ってわけにはいかなかったけどね。遠方の街にいたり、どうしても仕事の都合がつかなかったりした十一人は、手紙で無事と『いつでも力になる』って伝言をよこしてる」
セラがそう言うと、集まっていた若者たちが次々とヨハンの前に進み出た。
「ヨハン神官様。五年前のダンです。畑を借りられて、今年は家賃の分まで収穫が残りました」
「四年前のリゼです。まだ薬師の徒弟ですけど、店を持つために貯めています」
運送業のベン、工房勤めのオットー、司書のアネ、渡し守のユル、仕立て屋のリタ、宿駅勤めのフィオ。名を聞くたび、ヨハンの記憶に授与の日の顔が重なった。
合計八人の男女が、それぞれの職業を告げ、一言ずつヨハンへの感謝を口にしていく。彼らは決して、魔王を倒す勇者や無双の英雄になったわけではない。第五等級という特殊な能力の「条件」を理解し、それを実生活のささやかな仕事に活かして、力強く社会に根を下ろしているのだ。
その事実が、何よりもヨハンの心を震わせた。
「……ありがとう。皆さんが無事に、立派に生きている姿を見られて、本当に……」
ヨハンの声が微かに詰まる。
すると、集団の中から三人の若者がさらに前へと歩み出てきた。
一人は、ひどく几帳面そうに髪をまとめた、眼鏡をかけた知的な女性だった。
「お久しぶりです、ヨハン様」
彼女はきっちりとしたお辞儀をした。
「エルサ……さんですか?」
「はい。七年前の夏、三通目の手紙をいただいたエルサ・フェルトです。あの手紙のおかげで、私の技能の狭い条件を理解し、測量士の道を選ぶことができました。今は王都の測量組合で精度管理を任されています」
エルサは、この夏に二十二歳になる。最初期の受取人の一人である彼女は、「だいたい」や「曖昧」を嫌う生真面目な性格そのままに、実務の世界で確固たる地位を築いていた。
次に進み出たのは、ヨハンと同じ神官の正装に身を包んだ、真面目そうな青年だった。
「トーマ・レイスです。六年前、あなたがくださった説明書に救われ、神官を志しました。今は東の地方聖堂で勤務しています。今回は休暇を取って馳せ参じました」
トーマは二十一歳。彼はヨハンを狂信的に神格化するような目はしておらず、同業者として、真っ直ぐで対等な尊敬の念を向けていた。
そして。
最後にヨハンの前に立ったのは、杖をつき、右足に金属と革でできた大掛かりな補助具を装着した、皮肉げな目つきの青年だった。
「……ガイ」
ヨハンは彼の姿を見た瞬間、顔を歪め、目を逸らしそうになった。手紙を読み違え、大事故を起こして重傷を負った五年前の受取人。二十歳になったガイ・ベルクである。
「そんなひどい顔すんなよ、神官殿」
ガイはカシャン、と補助具を鳴らして一歩近づき、ヨハンの肩を軽く小突いた。
「言っとくが、慰謝料を請求しに来たわけじゃねえぞ。あんたの手紙を『絶対安全の保証書』だと勝手に勘違いして、無茶な討伐任務を受けたのは俺の自己責任だ。あんたのせいじゃない」
「だが、私の言葉が足りなかったせいで、君の足は……」
「馬鹿言ってんじゃねえよ」
ガイは鼻で笑い、自身の足の補助具をトントンと叩いた。
「今の仕事は好きだ。でも、怪我をしてよかったとは思わねえよ。……あの紙で、仕事を探し直す気になれたのも本当だ。どっちもある。今日は、両方聞いてもらいに来た」
ヨハンは謝りかけて、言葉を飲み込んだ。代わりに、腰を下ろせる椅子を出した。
全員が成功者になったわけではない。ガイのように重傷を負った者もいる。だが、二十三人全員が生き延び、第五等級という呪いの言葉に潰されることなく、自分自身の足で人生を歩んでいる。
彼らは、ヨハンが社会の裏側でコソコソと書き続けてきた罪滅ぼしの手紙が、決して無意味ではなかったという最大の『証拠』だった。
「さあ、感動の再会はここまでだ」
セラがパンッと手を叩いて場を仕切った。
「先生。あんた一人じゃ、中央の圧力も、街に出回る偽の手紙も止められない。だから私たちが、あんたの頭脳の手足になるために集まったんだ。……これからは、教え子をもっと頼りな」
S級冒険者のセラ、測量士のエルサ、若き神官トーマ、そして装具職人ガイ。
いつの間にか、トーマがガイの座る場所を空け、エルサが机の傾きを測っていた。彼女の小さな《水平》は、触れた板の傾きを知るだけの技能だ。匙一つ分の木片を机の脚へ噛ませると、もう杯は揺れなかった。
ヨハンは礼を言おうとして、誰の名から呼べばいいかわからなくなった。
*
その後、ヨハンたちは聖堂の地下にある古い記録室へと場所を移した。
深夜の密会。ルカも同席し、記録士見習いとして皆の技能情報を整理するための準備を進めている。
灯りの下で、神官のトーマが自身の鞄から一冊の分厚い書物を取り出した。
「ヨハン様。セラさんから、先日あなた方が保護施設で『第五等級=個別検証要』と書かれた数十年前の古い台帳を見つけたと伺いました。それに関連して、どうしてもお見せしたいものがあったのです」
トーマが机の上に置いたのは、装丁がボロボロになった古い教本だった。
「私の赴任先の聖堂の、開かずの書庫に眠っていたものです。およそ八十年ほど前に使われていた、戦時改訂前の育成教本と思われます」
トーマは手慣れた様子でページを捲り、ある項目を指差した。
そこには、教会が定めた等級制度の表が載っていた。
「……これは」
ヨハンは目を見張った。
記載されている数値の基準や、代表的な技能の振り分け例は、ヨハンたちが現在使っている最新の教本と全く同じだった。第一等級から第五等級まで、それぞれの枠組みに変わりはない。
だが、たった一箇所だけ。
表の『見出し』の言葉が、現行版とは決定的に異なっていた。
「現在の教本では、ここは『技能等級』という見出しになっています。つまり、強さや価値のランクづけのような言葉にすり替わっている」
トーマが古い教本の見出しをトントンと叩く。
「しかし、八十年前の教本には、そうは書かれていない。見てください」
そこに記されていた正式な見出しの名称。
それは――『標準化難度』だった。
「標準化、難度……」
ヨハンがその言葉を口の中で転がす。ルカが隣で息を呑むのがわかった。
エルサが見出しの下へ定規を当てた。
「この言葉なら、難しいのは人の価値ではなく、手順を揃える方でしょうか」
ヨハンは、現行の教本を取りに立った。まだ結論にはできない。けれど、古い台帳の読めなかった部分が、初めて形を持った。
二冊を同じ頁で開く。数字も、技能の例も似ている。
なのに、何を測る数字かを示す見出しだけが違っていた。




