第4話 東風の吹く刻に。
修復の最終段階に近づくにつれて、一花が工房を訪れる回数が増えた。
最初は屏風の経過を確認するためだったが、そのうち特に用もなく来るようになり、湊もそれを当然のことのように受け入れた。
二人でコーヒーを飲みながら屏風を見ることが、日課のようになっていた。
一花は引っ越しの準備を進めながら、工房に来た。
幼い頃の祖母の話をしたり、今の仕事の話をしたり。
湊は聞いた。自分から話すのは得意ではないが、聞くことはできた。
一花の声が工房に満ちていると、梅の香りも濃くなる。それが心地よかった。
「あなたは」と一花がある日、聞いた。「この仕事、好きですか」
「好きです」と湊は即座に答えた。
「壊れたものを、元に戻す。それが性に合っている」
「完全には戻らないでしょう」
「戻りません。でも、失われた部分の輪郭は、わかるようになる。何があったかを、読み取ることはできる」
一花は少し考えてから、言った。
「それ、人間関係にも使えそうですね」
湊は答えられなかった。人間関係は、屏風より難しい。
引っ越しの二週間前に、屏風の修復はほぼ完了した。
右側の松は、汚れが落ちて鮮明になり、金地の輝きも戻っていた。松の幹の細部、松葉の一本一本が、再び生きているように見える。
左側は、まだ空白のままだった。
湊は何度も、この空白をどうするべきか考えた。修復師の仕事として言えば、後補彩色として新たに描き足すこともできる。
しかし何を描けばいい? かつてここにあったのは梅だが、梅を「戻す」ことが正しいのかどうか、湊にはわからなかった。
引っ越しの五日前、一花が最後の確認に来た。
その日の夜、工房に激しい風が吹いた。
十二月の初旬にしては、温かみのある風だった。方角は東からだった。湊は気づかないふりをしたが、気づいていた。
窓枠が震えるほどの、そして梅の香りを運んでくるほどの、強い東風が。
一花は屏風の前に立っていた。右の松を、左の空白を、交互に見ていた。
「湊さん」と一花が言った。
「はい」
「左側は、修復しなくていいです」
湊は振り返った。
「空白のまま、でいいです。千年間そうだったんだから」と一花は言い、その後少し間を置いてから、「……でも、何か感じたら」と続けた。
「感じたときに、描いてください。あなたが」
東風がもう一度、窓を鳴らした。
湊は一花の横に立った。二人で、右の松と左の空白を見ていた。工房の照明の中で、金地は静かに輝いていた。
「一花さん」
「はい」
「好きです」
言葉は思ったより短く出た。湊は普段、感情を言語化するのが苦手だ。しかし今夜は、これ以上も以下もない言葉が、自然に口から出た。
一花はしばらく黙っていた。
「それは」と一花は静かに聞いた。「あなた自身の気持ちですか」
「わかりません」と湊は正直に言った。
「屏風の男の気持ちと、自分の気持ちが、どこで分かれているか、今はまだわからない。でも」
湊は一花の横顔を見た。疲れていても、白いコートを着ていなくても、変わらずそこにある顔。
「わからなくても、確かなものだと思っています」
一花は少しだけ笑った。泣いているわけではないのに、目が光っていた。
「私も」と一花は言った。
「あなたに会ってから、ずっと不思議な気持ちでいます。千年分の誰かに引っ張られているのか、自分がそう感じているのか、区別がつかなくて」
「同じです」
「でも」
「でも」
二人が同時に言って、一拍の沈黙があって、それから二人とも、少し笑った。
東風が止んだ。
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