第3話 飛んでいった梅
湊は調査を続けながら、並行して文献を当たり始めた。
「桐島」という旧家名。「西から梅が戻るまで」という家訓。対になっていない屏風。そして「東風吹かば」の歌。
一つ一つは細い糸だったが、引っ張るうちに、やがて繋がっていった。
平安後期、都から西国へ流された貴族の記録が、古い歴史資料の断片に残っていた。
政争に敗れ、現在の山陰地方へ配流された若い男。
才気に富み、和歌を得意としたという記述が僅かに残っている。
男の都での記録はほとんど消えていたが、流された先の土地には、奇妙な伝説があった。
「ある夜、東から梅の木が飛んできた。空を光りながら飛んできた梅は、流人の屋敷の庭に根を下ろした。その後、男は都を偲んで日々その梅を愛でたが、梅は一度も花を咲かせなかった。男が都で死んだ日と同じ日に、梅は突然、一夜にして白い花を咲かせた」
湊はその記録を読み返した。
もう一つ、調べなければならないことがあった。
自分の家のことだ。
湊の家は代々、山陰の小さな神社の神職を務めている。
湊が二十代で家を出るまで、神社の境内には古い梅の木があった。
御神木として扱われ、年に一度の祭りでは、その梅の木の前で祝詞を読む。
「なぜ梅を祀るのか」
子供の頃に父に聞いたとき、答えは短かった。
「千年前に、東から飛んできたから」
湊はその答えを信じなかった。神社というものは、それらしい縁起を後から作るものだと思っていた。だから家を出た。
今、その答えが、別の場所から確認されようとしていた。
一花に電話する前に、湊はもう一つのことを調べた。
屏風の左側の金地に、かつて何が描かれていたか。
赤外線の画像を拡大し直した。何もない、と思っていた左側の画面に、ごく微かな痕跡があった。顔料の跡ではなく、筆の圧力がわずかに残している紙目の変形だ。
枝だった。
曲がりくねった細い枝が、右側の松に向かって伸びている。そして枝のあちこちに、丸い形の名残りがある。
梅の木だ。
左の画面には、かつて梅が描かれていた。松と梅が、向き合うように配置された屏風だったのだ。
しかし梅は消えた。正確には、消えたのではなく――「飛んだ」のかもしれない、という考えが、湊の頭の中に芽生えた。
伝説と、屏風の状態と、家訓と、神社の御神木が、一本の線でつながった。
荒唐無稽だ、と湊は自分に言い聞かせた。しかし修復師として十年かけて磨いた直感が、この仮説の「正しさ」を告げていた。
古いものは、感情の強さに引っ張られることがある。
強い思いは、時に物理的な何かを動かす。
一花に話したのは、次の週末だった。
コーヒーを出しながら、湊は調べたことを順番に説明した。歴史の断片、神社の伝説、屏風の痕跡。一花は黙って聞き、湊が話し終わると、長い間コーヒーカップを見つめていた。
「つまり」と一花はゆっくり言った。
「千年前に、誰かが男を想って梅を描いた。そして男が流されたとき、絵の中の梅が本当に飛んでいって、男のいる場所に降り立った」
「仮説です」
「でも、あなたはそう思っている」
湊は否定しなかった。
「そして」と一花は続けた。
「うちの家系が千年間、松を守ってきた。あなたの家系が千年間、西の地で梅を祀ってきた」
「それも、仮説の範囲ですが」
「仮説じゃないかもしれない」と一花は言い、顔を上げた。
「私、来月、引っ越すんです。仕事の都合で、遠くに」
湊は、予期していなかった言葉に、一秒反応が遅れた。
「どこに」
「まだ確定じゃないですけど……西のほうに」
工房の窓から、冬の光が差し込んでいた。白くて薄い光が、一花のコートの肩を照らしていた。
梅の香りが、濃くなった。
どうでしたか?
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それでは。




