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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第99話 精霊王は、距離が近い

 精霊王に名を呼ばれたあとも、父上と母上は石床へ膝をついたままだった。


 奉納台のそばでは、ネフェリアも祭務者たちも同じ姿勢で頭を下げている。

 社の外へ目を向ければ、前庭を埋めるエルフたちまで、一人残らず世界樹の前へ跪いていた。


 その中には、マルタたちの姿もある。

 大祭の作法を知らないはずのマルタ、イレナ、セラ、ニナまで、誰かに促されるより先に膝をついていた。

 マルタは膝をついた自分へ戸惑いながらも、顔だけを上げ、私の隣に立つリーネを見ていた。


 精霊王は、すべての属性を束ねる最高位の精霊体だ。

 この世界に存在する者の中でも、上位の神格を持つ。

 魔力で身体を押さえつけられたわけではない。

 それでも、その存在を前にした者たちの身体は、意識より先に最大の礼を選ぶ。

 国を治める王も、祭りを取り仕切る者も、人間の護衛や侍女も、その神威の前では変わらない。


 立っているのは、私とリーネだけだった。


 リーネは私の人差し指を握り、精霊王を見つめ続けている。

 周囲が一斉に跪いても、足を折ることも、頭を下げることもなかった。

 儀礼を知らないマルタたちさえ跪いているのに、リーネは立ったままだ。


 握る手にも、怯えた様子はない。

 瞬きを一つしただけで、目の前に立つ光の女から目を離さなかった。


 「久しぶりだな」


 私が返すと、石床へ膝をついていた父上が顔を上げた。


 「リュセル。精霊王の御前だ。少しは礼をわきまえよ」


 王として当然の言葉だろう。

 だが、精霊王は父上へ向けて片手を上げた。


 「よい」


 それだけで、父上は言葉を止める。


 「リュセルが私に頭を下げていたら、そちらの方が落ち着かぬ。今までどおりでよい」


 精霊王は公に向けていた凜とした顔を崩さず、私へ言った。


 前庭の近いところから、抑えた声が届いた。

 精霊王の神威の中で立ったままだと驚き、さすがは王太子殿下だと称える声だった。


 続けて何かを言いかけた声が、途中で止まる。

 私の隣にも、立ったままの者がいると気づいたのだろう。


 その時、精霊王の目が私の隣へ移った。


 リーネはまだ立っている。

 私の指を握り、精霊王から目を逸らさない。


 精霊王も、すぐには視線を戻さなかった。

 前庭から、あの人間の幼子も立っているという囁きが届く。


 「ふむ」


 リーネと目を合わせたまま、精霊王はしばらく動かなかった。

 やがて公の場へ顔を戻し、大祭の終わりを見届ける。



 ◇



 それから間もなく、私たちは社に設けられた王族用控室へ移った。


 父上と母上、ネフェリアも同席している。

 リーネは変わらず私の右手を握っていた。


 前庭の者たちの目がなくなった途端、精霊王が私の左腕へ自分の腕を絡めた。


 「ようやく会えたな、リュセル。三度も私を待たせおって」


 少なくとも、公の場ではこれをしない程度の分別はあるようだ。


 「離れろ」


 「嫌だ。四十年ぶりなのだぞ。少しくらいよいではないか」


 「よくない。お前にとって、四十年など大した時間でもないだろう」


 「長いかどうかの話ではない。お前が来るはずの日に、三度もいなかったのだ」


 腕を引いても、精霊王はまとわりついたまま離れない。

 直近三回の大祭で精霊王を迎えてきたネフェリアも、まとわりつく姿を見るのは初めてだった。

 今は言葉もなく、二人のやり取りを見ている。

 父上と母上は口を挟まない。


 精霊王は私の拒絶を気にせず、さらに身体を寄せてくる。


 「一度目に来なかった時は、次の十年を待った。二度目もだ。三度目には、待つのをやめて会いに行こうかと思ったぞ」


 「来なくて正解だったな」


 「そうであろう? 私は待てる精霊王だからな」


 「褒めていない」


 「待てることと、来なかった理由を聞かぬことは別だ」


 「面倒な区別だな」


 「一度目は、世界の記録をまとめていると聞いた。二度目も同じだった。三度目もだ。なぜ一度も来なかった」


 「聞いたとおりだ。世界の記録をまとめる仕事があった」


 「それだけではあるまい。その仕事は、最後に会った時より前から続けていただろう。それでも以前は大祭へ来ていた」


 事実だった。

 世界各地を巡り、記録をまとめる仕事に終わりはない。

 大祭のために戻る時間を作れなかったわけでもなかった。


 「私は十年に一度、この大祭に合わせて降りてくる。その時くらい、顔を見せてもよかったであろう」


 「十年に一度だから都合がよかった。一度避ければ、次まで十年ある」


 「私を避けていたのだな」


 問いの形ではなかった。

 隠し続けなければならないことでもないため、私はそのまま認める。


 「仕事があったのは事実だ。だが、お前と話すと長い。こうして離れようともしない。面倒だった」


 精霊王は傷ついた様子もなく、むしろ納得したように頷いた。


 「四十年ぶりに会った相手へ、面倒だったと言うか」


 「聞いたのはお前だ」


 「そうか。ならば話は簡単だ」


 私の腕を抱えたまま、嬉しそうに顔を寄せる。


 「話せなかった十年分が三つ、すべて残っている。今日、三度分、私と話せばよい」


 「それが嫌だった」


 今度は、母上が口元へ手を当てた。

 父上は何も言わず、私たちから顔を背けている。


 精霊王は私の返答を退けるように、さらに腕へ力を込めた。


 「では、一度目の十年から話すとしよう」


 「りゅー」


 右手を引かれ、私はすぐにリーネへ顔を向けた。


 「どうした、リーネ」


 リーネは私の返事を聞くと、握っていた指を持ち上げた。

 それまで途切れず話していた精霊王の声が止まった。


 精霊王はようやく私の腕から離れ、リーネへ正面から向き直った。

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