第94話 みんなが持ち帰る葉
本祭一日目の朝、世界樹の麓には、各地から戻ったエルフたちが集まっていた。
葉を胸元に抱える者も、籠に収めて運ぶ者も、両手で大事そうに包む者もいる。
持ち帰った葉の形も様々だった。
掌を覆うほど大きな濃緑の葉の隣で、銀色の裏面が風に揺れている。
その向こうでは、赤い縁を持つ丸い葉が朝の光を受けていた。
ただ、誰も奉納台へは進まない。
葉を携えた者たちは石畳の外で足を止め、本祭一日目の最初の奉納を待っていた。
父上と母上に続いて、私は前庭へ入った。
リーネを抱いたマルタも、私たちの後ろから入ってくる。
それまで残っていた話し声が消え、葉の触れ合う音と、世界樹の枝を渡る風だけが聞こえる。
灰緑色の髪を編んだネフェリアが、白と苔色の祭務衣で私たちを迎える。
「陛下方とリュセル殿下は、奉納台の正面へお願いいたします。リーネ様とマルタ殿は、前庭の向こう側に用意した見学席へ」
父上と母上が示された場所へ進み、私も二人の左へ立った。
マルタはリーネを抱いたまま、前庭を挟んだ向こう側へ進んでいく。
その見学席からは、奉納台までの間が開けていた。
席へ着いたリーネは、マルタの腕の中から、左右に並ぶ葉へ忙しそうに顔を動かしている。
祭事中の位置と順を決めるのは大祭環守だ。
私たちが王族であろうと、ここでネフェリアの指示へ口を挟む理由はない。
社の奥は世界樹へ向かって開かれていた。
低い奉納台の先に、空を覆うほどの幹が立っている。
ネフェリアが奉納台の脇へ立った。
「本祭一日目、最初の葉をお迎えいたします」
前庭の中央へ、幼い子を連れた夫婦が進み出た。
本祭を開く一枚を捧げるため、祈り葉の座が前もって選んだ一家だ。
子はリーネより少し背が高く、母親の手を握って自分の足で歩いている。
父親が布の間から取り出したのは、厚みのある青緑の葉だった。
父親は、海の近くにある森で暮らし、娘を連れて帰るのは今回が初めてだと告げた。
それから子の前へ葉を下ろした。
幼い手が青緑の表面へ重なる。
子の手が載った葉を父親が差し出すと、祭務者は両手で受け取った。
祭務者は帰還の挨拶を返し、その家族の葉として預かった。
前庭の向こうでは、リーネがマルタの腕の中から奉納台へ顔を向けたままだった。
父上が一家へ顔を向ける。
「よく戻った」
夫婦が深く頭を下げ、子も遅れて同じように頭を下げた。
その身体が傾きすぎる前に母親が支えると、子は何事もなかったように顔を上げる。
父上と母上が見届ける中、一家は手をつないで奉納台の前から歩いていった。
ネフェリアが父上と母上へ向き直る。
「最初の葉をお迎えいたしました。陛下方とリュセル殿下は、こちらからお戻りください」
初日の開式で王家が見届けるのは、この一枚だけだ。
父上と母上が祭務者の案内で控室へ向かう。
私も臨席位置を離れ、見学席へ向かった。
二人が控室へ入ると、ネフェリアは前庭の中央へ戻り、祭務者へ合図を送った。
待っていた家族が葉を抱え、奉納台へ向かって進み始める。
石畳の外では、いったん収まった話し声が少しずつ戻っていった。
私がリーネのもとへ着くと、マルタの腕の中でその身体が動いた。
先ほどの子が歩いていった方へ手を伸ばした後、席の前の石畳を指す。
「どうした」
リーネはもう一度、足元を指した。
それから私へ両腕を伸ばす。
マルタがリーネを差し出し、私は両腕で抱き取った。
マルタはそのまま見学席に残り、私たちを見送った。
私の腕へ移ると、リーネは腰をひねり、片方の靴を地面へ近づけようとした。
「降りたいのか」
「うん」
「ここからは父上たちの戻った道だ。奉納も始まっている。今はここにいろ」
私は身体を支え直したが、リーネは先ほどの子が歩いていった先へ手を伸ばした。
次に自分の靴へ触れ、また石畳を指す。
歩けることは分かっている。
だが、父上と母上が退出した今、奉納を待っていた者たちは順に進み始めている。
「殿下」
ネフェリアは一般奉納の列を進ませたまま、私たちの前へ来た。
「一般の奉納は始まっております。最初の方々が奉納台へ進み、戻りの流れがこちらへ届くまで、控室への道は空いております。両側に祭務者を置きますので、その間でしたらリーネ様にも歩いていただけます」
「奉納は止めぬのだな」
「はい。奉納台へ進む道と、殿下方がお戻りになる道は重なりません」
国王夫妻の退出と一般奉納のため、もともと二つの道は分けられている。
控室までなら、その一方をリーネと歩ける。
「分かった。その間に歩かせる」
「では、こちらをお進みください」
私はリーネを地面へ降ろした。
両足が石畳へ着くと、リーネは私の服をつかんで立った。
差し出した人差し指を両手でつかみ、それから片手だけを残した。
「走るな。ゆっくりでいい」
「あい」
一歩目を出したリーネは、前を歩く家族の背を追う。
次の一歩で右足が石の継ぎ目にかかったが、私の指を握ったまま踏み直した。
石畳の両側では、祭務者が控室への道を空けている。
その向こうを、一般奉納の一組目が葉を携えて奉納台へ進んでいた。
リーネの前を歩く幼い子は、母親と手をつないだまま振り返った。
リーネに気づくと、空いている手を小さく上げる。
リーネも私の指から片手を離し、手を振り返した。
それでも、前の家族は立ち止まらない。
父上と母上の入った控室へ向かって、そのまま歩いていく。
普段なら、控室まですぐに着く。
今はリーネが一歩進むたび、その足が揃うのを待ってから、私も次の一歩を出した。
途中でリーネが、奉納台へ運ばれていく大きな葉へ顔を向け、その場で足を止めた。
私も隣で立ち止まる。
「前を見ろ。葉はこの先でも見られる」
リーネは私を見上げて笑い、また歩き出した。
急ぐ必要はない。
ネフェリアの言ったとおり、私たちが控室の前へ着くまで、戻りの道へほかの者が入ることはなかった。
私たちが控室へ入った時、奉納台では一般の一枚目が祭務者へ差し出されていた。
◇
控室へ入ると、私は椅子へ腰を下ろし、リーネを膝に座らせた。
開いた扉の向こうには社の奥が見え、その先で奉納が続いている。
歩き終えたばかりのリーネは、椅子の上から奉納台を指した。
「もう歩かせぬぞ。今度は皆の邪魔になる」
そう言っても、リーネの指は下がらなかった。
奉納台へ向けていた手を自分の胸元へ戻し、何かを抱えるように両手を合わせる。
私はその動きを見て、収納空間を開いた。
中から布包みを取り出し、リーネの前へ置く。
「これか」
「これ」
リーネは布包みへ手を置いた。
すぐに顔を上げ、今度は開いた扉の向こうを指す。
先ほどの家族は葉を持って奉納台へ進み、何も持たずに戻っていった。
開いた扉の向こうでは、同じように葉を携えた者たちが動き始めている。
なぜ葉を届けるのかまで分かっているとは思わない。
ただ、この包みの中にある葉も、皆と同じ場所へ持っていきたいのだと、それだけは受け取れる。
「この葉を、あそこへ持っていきたいのか」
「うん」
私は三日目、リーネを抱いて奉納台の前へ立つつもりだった。
葉は私が捧げればいいと考えていたが、これを選んだのはリーネだ。
布の上に置かれた小さな手へ、私の手を重ねる。
「なら、三日目に、お前も一緒にこれを置く」
リーネは布包みの上に手を置いたまま、開いた扉の向こうにある奉納台を見ていた。
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