第92話 祭りの前の一曲(後編)
演奏者たちが楽器を膝へ置くと、私はリーネを抱き上げた。
「今度こそ、おしまいだ」
そう声をかけると、リーネは演奏者たちへ手を振った。
琴の女が手を振り返し、姉妹も礼を言って歩き出す。
通りへ戻ってから、ニナがセラの袖を引いた。
「最後のところ、覚えてる?」
「笛の?」
ニナが小声で旋律を口ずさむと、セラも途中から加わった。
私の腕の中で、リーネが二人へ顔を向ける。
馬車に乗って私の膝へ座った後も、姉妹が歌い始めるのを待つように、その顔をじっと見ていた。
「リーネ様も、覚えていらっしゃいますか?」
セラが歌の初めを口ずさむと、リーネはぱっと笑った。
「あー、あー!」
ニナも声を合わせ、リーネは私の膝の上で身体を揺らす。
姉妹が音を伸ばせば、顎を上げて一緒に声を伸ばし、途中で息が切れると、口を閉じてにこにこしている。
それで終わりかと思えば、すぐにまた大きな声が加わった。
私はリーネの腰を支え、膝からはみ出した足がぱたぱたと動くのを眺めていた。
「さっきより元気に歌ってる」
ニナが笑いながら最後の節を歌い終え、セラも口を閉じた。
リーネだけが、まだ「あー、うー」と歌っている。
二人の声がしなくなると、歌うのをやめて、両手をぱちぱちと叩いた。
「まだ歌うのか」
私を見上げたリーネは、笑ってもう一度手を叩く。
「では、もう一回だけですよ」
セラがそう言う間に、ニナは初めから歌い出していた。
リーネは待ちかねたように口を開き、今度は最初から二人の歌に加わった。
◇
城へ戻って昼食を取り、午後は部屋で過ごした。
リーネの昼寝の間に私も旅の記録を読み返し、日が傾く頃には、約束していた父上と母上との夕食へ向かった。
姉妹とイレナも席に着き、夕食が始まった。
マルタはリーネの食事を手伝い、ルヴェンは私の椅子のそばにいる。
父上から社での打ち合わせについて尋ねられ、私はネフェリアと当日の進行を確認し、奉納台も見てきたと伝えた。
「そうか。あとは当日を待つばかりだな」
「ええ」
「リーネも、一緒に見てきたのね。今日はたくさん出かけたこと」
母上に話しかけられたリーネは、食べていたパンを持ったまま笑った。
セラがその顔を見て、母上へ話を続ける。
「帰りに、街の演奏も聴かせていただいたんです。リーネ様と踊っていたら、もう一度弾いてくださって」
「あなたたちも踊ったの?」
「はい。リーネ様に手を引かれて、一緒に」
母上へ答えたニナに、セラが笑いかけた。
「ニナ、リーネ様が手を離されてからも踊っていたものね」
「姉さんも、ずっと一緒だったじゃない」
ニナが答えてから母上へ顔を戻すと、母上はにこにこと話を聞いていた。
セラも笑っている。
ニナは少し照れた顔で頷いた。
「……とても楽しかったです」
「それはよかったわ。こちらへ来て、気を張ってばかりでは疲れてしまうもの」
「最後には、リーネ様の周りに花まで咲いたんです」
セラが両手を広げ、ニナも身を乗り出した。
「足元から、ずっと向こうまで。リーネ様は、ご自分でもお花を見つけて喜んでいらっしゃいました」
「まあ。リーネが咲かせたのね」
「ええ。ハルバ村でも一度ありました。ルヴェンが成長に合わせて加護を調整しており、今日も魔力を使いすぎてはいません」
私が答えると、母上はリーネへ微笑んだ。
「あなたもお祭りの飾りを増やしてきたのね」
パンを持ったリーネは、母上の笑顔へ笑い返した。
父上はセラへ、踊っていたのは姉妹とリーネだけかと尋ねる。
「いえ、最後は皆で。リュセル様もご一緒でした」
「お前も踊ったのか」
父上に向き直られ、私は手にしていたグラスを置いた。
「リーネに手を貸していただけです」
『主も曲に合わせて足を動かしておられましたね』
椅子のそばから、ルヴェンが付け加えた。
父上は愉快そうに私を見る。
「それを踊ったと言うのではないか」
「動かなければ、いつまでも手を引きますので」
「そうだろうな」
父上は笑いながら料理へ戻った。
母上にどんな曲だったのか尋ねられ、言葉で説明しようとしたセラは、ニナへ助けを求めた。
「最初は、こんな感じだったよね」
パンを食べ終えたリーネは、姉妹が口ずさむのを聴きながら手を叩いた。
マルタが笑って、その手についたパンの粉を布で拭う。
「リュセル様も覚えていらっしゃいますか?」
セラに尋ねられ、私は曲の出だしを口ずさんだ。
二度も聴けば覚える。
ニナが嬉しそうに歌い継ぐと、母上まで手で拍子を取り始めた。
リーネの笑う声がした。
私は歌うのをやめ、自分の食事へ戻ろうとした。
「りゅー」
呼ばれて顔を上げると、リーネは私を見て、もう一度手を叩いた。
母上の手拍子は続いている。
私はフォークを置き、途切れた曲の続きを歌った。
リーネは身体を揺らし、私の歌へ「あー」と声を重ねた。
音を伸ばすところでは、顎まで上げて真似をする。
最後の節を歌い切ると、リーネは少し遅れて口を閉じ、ぱちぱちと手を叩いた。
「これで満足か」
リーネはにこにこと笑いながら頷いた。
「上手に歌えたわね、二人とも」
母上は私にも笑いかけた。
私は黙ってフォークを取り直したが、リーネはまだ嬉しそうに、私へ拍手を送っていた。
◇
食事が終わり、マルタがリーネを椅子から降ろすと、父上が片手を差し出した。
「こちらへ来るか、リーネ」
リーネはその声へ顔を向け、とことこと歩いていく。
父上は椅子に座ったまま身を屈め、近づいてきたリーネを抱き上げようとした。
ところが、リーネは差し出された手を両手でつかみ、その場で足を踏み始めた。
「いっしょ」
「おや。私とも踊ってくれるのか」
父上は嬉しそうに立ち上がった。
リーネに手を引かれるまま食卓から離れ、向かい合うと、小さな歩幅に合わせて足を動かす。
ニナが笑って、先ほどの曲を口ずさんだ。
セラもすぐに歌い始め、リーネは二人の声を聞くと、膝を曲げて身体を弾ませた。
「こうか?」
父上が真似をして膝を曲げると、リーネは口を開けて笑い、もっと深くしゃがんだ。
つないだ手を頼りに立ち上がり、またしゃがむ。
父上も付き合っていたが、次に立った時には笑いながらリーネへ話しかけた。
「歌に合わせていたはずなのだがな」
リーネは返事の代わりに、父上の手を揺らした。
ニナの歌が笑い声に変わり、セラも笑いながら続きを引き受ける。
父上は曲に戻って足を動かし、リーネもそれについて歩き始めた。
「父上も、ずいぶん楽しそうですね」
「楽しいぞ。お前も、もっと素直に踊ればよかったではないか」
昼の私を見ていたわけでもないのに、よく言う。
リーネに手を引かれて向きを変えた父上を眺めていると、母上が私へ顔を向けた。
「あなたも、こうして付き合っていたのね」
「ここまでしゃがんではいません」
「そこは違うのね」
母上は笑って、踊っている二人へ手拍子を送った。
リーネがその音に合わせて足を踏むと、父上も同じように床を踏む。
姉妹の歌が最後の節へ入っても、リーネはまだ父上を誘って歩いていた。
セラとニナが歌い終えると、父上が足を止めた。
リーネも止まり、つないでいた手を離して、父上へぱちぱちと拍手を送る。
「お相手いただき、ありがとう」
父上はリーネに向かって丁寧に頭を下げた。
リーネは父上の顔を覗き込もうと身を屈め、目が合うと、きゃっと笑ってまた手を叩いた。
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