第88話 父上と母上と、リーネの晩餐会
食卓には、イレナたち四人の席に加え、リーネのための幼児用の椅子も用意されていた。
私の席と幼児用の椅子の間には、大人用の席が一つあった。
幼児用の椅子へ座らせると、リーネはちょうど手の届く高さにあるテーブルへ両手をついた。
父上と母上が席に着き、私も腰を下ろす。ルヴェンは私の椅子のそばにいた。
内庭の者に案内されてきた四人のうち、セラが椅子を引いて座ろうとした。
すかさず、ニナがその袖を引く。
「姉さん、待って。陛下方と同じお席だよ」
「あ……いつものつもりで」
セラが慌てて椅子から手を離した。
ニナもその隣に立ったまま、イレナの方を見ている。
イレナが私へ声をかけた。
「私どもも、陛下方と同じお席に……?」
大樹の家では一緒に食べていても、王城で父上と母上に同席するとなれば遠慮もするのだろう。
だが、今夜は父上が招いた客でもある。
立ったままでは食事にならない。
「何をしている。早く座れ」
私はすぐ隣の席を、マルタへ示した。
「マルタはここだ。リーネの食事を見てやってくれ」
「かしこまりました」
マルタが私とリーネの間へ座り、イレナと姉妹も席に着いた。
食卓に料理が並び、私の前へスープ皿が運ばれてきた。
湯気に混じる香草の匂いは、馴染みのあるものだった。
リーネの食事は、普段から食べているものを柔らかく、食べやすい量にしてもらうよう、マルタが事前に内庭へ頼んでおいた。
リーネが皿とスプーンへ手を伸ばすと、隣のマルタが皿を寄せた。
「はい、リーネ様。ご自分でどうぞ」
スプーンを持たせてもらったリーネは、一口すくって口へ運んだ。
リーネがすくいにくそうにすると、マルタは皿の中身を寄せて、次に手が動くのを待っている。
「いつも、この者が手を貸しているのか」
父上が尋ねた。
「ええ。食事などの細かな世話は、普段からマルタに任せています」
スープを一口飲むと、香草の香りの後に野菜の甘みが残った。
久しぶりに口にする故郷の味だった。
リーネはマルタに皿を支えてもらいながら食べている。
自分で食べ進めている間に、マルタも自分の料理へ手をつけた。
「おいしい? リーネ」
母上の問いに顔を上げたリーネは、にこっと笑って答えた。
「うん」
「まあ……! あなた、見た? 今、私に笑ってくれたわ」
母上は顔をほころばせ、父上へ声を弾ませた。
「見ていたとも」
「かわいいこと。おいしいのね。よかったわ、本当に」
母上は食事を忘れたように、リーネの笑顔を眺めていた。
やがて自分の料理へ戻ってからも、その顔には笑みが残っている。
しばらく食卓には食器の触れる音と、料理を勧める声が続いた。
「今は、ヴァルネの近くに住んでいるのだったな」
「ええ。街から半日ほど離れた森に、家を造りました。静かなところです」
「ローディネルは、まだ戦をしておるのだろう。そちらは大丈夫なのか」
「最近は、あの辺りも落ち着いています。私たちに手を出さぬ限り、こちらから関わるつもりもありません」
「手を出してきたら?」
「七度生まれ変わっても後悔するほど、徹底的に叩き潰します」
父上は苦笑した。
「お前は全く……そういうところは、少しも成長しておらんのう」
「でも、あのやんちゃな息子が、こんなにかわいい娘を連れて帰ってきたのよ」
母上はリーネへ笑いかけた。
「それだけでも、立派な成長だわ」
その後も、森の家での暮らしを話しながら食事を続けた。
リーネは自分の食事を終え、スプーンを手放していた。
マルタが皿と一緒に下げてもらうと、リーネはこちらへ両手を伸ばした。
私はマルタが椅子から抱き上げたリーネを受け取り、膝へ乗せた。
リーネは私に寄りかかり、大人の声を聞いていた。
私も残りの食事を済ませ、そのまま両親との話に付き合った。
リーネは初めのうちこそ声のする方へ顔を向けていたが、私たちの話が続くうちに、私の服へ顔を寄せてじっとするようになった。
小さなあくびが出る。
リーネは顔を上げ直さず、私の胸へ身体を預けた。
「父上、母上。今夜はこの辺りで。リーネを寝かせてきます」
「ええ。長い旅だったものね。ゆっくり休んで」
私はリーネを抱えて席を立った。ルヴェンも足元へ来る。
部屋を出ようとすると、父上が声をかけた。
「明日の夕食も、共にしよう」
「ええ。またリーネを連れてきます」
◇
私はリーネを抱いたまま、食卓を辞したマルタとともに部屋へ戻った。
侍従が扉を開けると、腕の中のリーネが顔を上げる。
先ほど休んだ部屋を見回したものの、すぐに私の肩へ頬をつけた。
「もう寝るぞ」
声をかけると、耳元でかすかな返事がした。
侍従たちには廊下に控えてもらい、私は寝間着を用意したマルタへリーネを預けた。
着替えの間も、リーネの頭はこくりと前へ傾く。
それでもマルタが袖を持つと、自分から腕を通そうとした。
なかなか手が出てこないので、私が袖口を広げる。
指先が出てくると、リーネはその手で私の手をつかんだ。
「こちらの腕も残っている」
手を握られたまま待ち、マルタにもう片方の袖を通してもらった。
着替えが済むと、私はリーネを抱き取った。
マルタが掛け物を折り返してくれたので、寝台へ寝かせ、そばに腰を下ろした。
「今日もよく食べていたな」
「ええ。ご自分で食べるのも、ずいぶんお上手になりました」
マルタが布の鳥を差し出すと、リーネは私の手を離して鳥を受け取り、胸へ抱いた。
羽の先を指で撫でながら、寝台の上で小さく身体を丸めた。
「父上にも、あのくらい気軽に触れてくれるとよいのだが」
「お会いしたばかりですもの。これからでございましょう」
父上は、明日も一緒に食べようと言っていた。
食卓を囲むうちに顔を覚え、リーネから手を伸ばすようになれば、父上も喜ぶだろう。
布の鳥を抱いたまま、リーネがこちらへ顔を向ける。
すぐ脇へルヴェンが上がり、リーネの足元で身体を丸めた。
「助かった。お前も休んでくれ」
「はい。おやすみなさいませ」
マルタは灯りを落とし、部屋を出ていった。
扉が閉まると、リーネが布の鳥から片手を離し、私へ伸ばしてきた。
私はそばに座ったまま、指を握らせた。
「りゅー」
「ここにいる。おやすみ、リーネ」
握った指を引き寄せ、リーネは目を閉じた。
私は握らせた手を寝具に預けた。
リーネが顔をすり寄せ、温かな頬が指に触れる。
吐く息が時折、手の甲へかかった。
ルヴェンも顎を寝台へ下ろした。
私が少し身じろぎすると、リーネの指に力が戻る。
まだ起きているのかと顔をのぞけば、目は閉じたままだった。
私は座り直すのをやめ、握られていない方の手で、額にかかった髪をよけた。
やがて、手の甲に触れる息がゆっくりと揃っていく。
握っていた手も緩み、私の指に添えられるだけになった。
リーネは頬を寄せたまま、すうすうと眠っていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




