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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第84話 リュセル王太子殿下

 関所兵は、私の顔を確かめるように見つめていた。


 「失礼ですが……本当に、あのリュセル様で?」


 「先ほどからそう言っている」


 兵は困り果てた顔で、私の周囲を探った。

 そこで、ようやく何が引っかかっているのか分かった。

 私から感じ取れる魔力が、人間と大差ないからだ。


 エルフは、他者の魔力を見る。

 人間が相手の服装や体格を目に入れるのと同じで、意識せずとも気配を探るのだ。


 この国では、魔法を使えること自体は珍しくない。

 弓や剣へ魔法を重ねる者も多く、もともとの身体能力も人間より高い。

 その中でどれほどの魔力を持ち、どのような精霊と契約しているかは、相手を知る大きな目安になる。


 それは法で定められた身分ではない。

 だが、力ある者や高位の精霊に認められた者へ敬意が集まるのは、昔から変わらなかった。


 「……ああ。そういえば、結界を張ったままだったか」


 「結界……?」


 人間の国で本来の魔力を放ったまま歩けば、町へ入るたびに騒ぎになる。

 そのための抑制は、長い旅の間に染みついた習慣だった。

 怒りが強ければ結界を越えて漏れることもあるが、平時には意識することさえない。


 私は、魔力を抑えていた結界だけを解いた。


 抑えを失った膨大な魔力が、巨大樹の内側へ広がる。


 近くにいた精霊たちが、一斉に契約者の肩や腕へ逃げ込んだ。


 関所内の声が、同時に途切れた。

 帰還者の一人が荷を取り落とし、乾いた音が巨大樹の内側へ響く。


 剣の柄をつかんだ兵もいた。

 別の兵は一歩退き、腰を落として身構える。

 柄を握った指は白くなり、後退した兵の膝も震えていた。

 それでも、刃を抜く者も、膝をつく者もいない。

 誰もが戦いの始まりを待つように、息を詰めて私を見ていた。


 一方の私は、敵意も威圧も向けてはいない。

 ただ、閉じていたものを開いただけだ。


 腕の中のリーネは私の胸元から顔を上げ、急に静まり返った周囲を見回している。


 開いた戸口から、ルヴェンが姿を現した。

 契約者へ逃げ込んでいた精霊たちが、ルヴェンを見るなり深く身を伏せ、震えたまま顔を上げない。


 『主。魔力をお抑えください。皆が驚いておりますよ』


 「まさか……」


 押し殺した声が一つ漏れ、それをきっかけに囁きが重なった。


 関所の奥から、兵たちを率いる年長のエルフが進み出た。

 膝の震えに耐えながら私の前まで来ると、かすれた声で尋ねる。


 「リュセル……王太子殿下……?」


 「だから、最初からそう言っているだろう」


 私は抑制の結界を元へ戻した。

 関所を満たしていた魔力は消え、外へ漏れる量もいつもの程度に収まる。


 年長の兵は、その場で片膝をつき、深く頭を下げた。

 剣の柄を握っていた兵が手を離し、ほかの関所兵たちも一斉に片膝をつく。

 王太子殿下だ、という声が帰還者の列へ伝わり、跪く動きが波のように関所の奥へ広がっていった。

 やがて、巨大樹の内側にある関所では、見える限りのエルフが私へ頭を垂れていた。


 先ほどまでの警戒とは違う。

 王太子へ向ける、臣下の礼だ。


 人間の国で同じことをされれば、面倒だと思っただろう。

 だが、この国では以前からこうだった。

 忘れていたのは、私の方だ。


 「お、お帰りなさいませ、リュセル王太子殿下……」


 「ああ。もうよい。立て」


 顔を上げた年長の兵は、立ち上がる前に私の腕へ目を向けた。


 「殿下。その、人間の幼子は……どなたでございましょう」


 「リーネだ」


 「いえ、お名前ではなく……」


 「私が育てている」


 再び、関所から音がどこかへ消えた。


 先ほどは魔力に備えていた兵まで、今度は構えを解いたまま動かない。

 帰還の列にいた者たちも、私の腕の中へ顔を向けている。


 リーネは集まった長い耳を見回し、私の衣を握った。


 「いっしょ」


 「ああ」


 「そちらの人間の方々は……皆、殿下のご同行者で?」


 「私とリーネの同行者だ。全員、私が保証する」


 「承知いたしました」


 年長の兵は戸口のルヴェンへ向き直り、深く頭を下げた。


 「ルヴェン様まで……」


 『お久しぶりですね』


 ルヴェンにとっては、実際に久しい相手なのだろう。

 年長の兵は恐縮したまま、すぐに別の提案を口にした。


 「ただちに王家のペガサス空客車を手配いたします。ご用意が整うまで、どうぞ賓客用の部屋でお待ちください」


 「必要ない」


 ペガサスは、ユニコーンとは別の種ではない。

 もともと希少なユニコーンの中でも、精霊にことさら愛された個体には銀の角と翼が現れる。

 魔力も精霊との親和性も高く、王家が保護して空を行く王族の客車へ用いていた。


 確かに、王族が帰還する時の迎えとしては正しい。

 しかし、今の私には乗り換える理由はなかった。


 「この馬車で行く」


 「しかし王太子殿下を、このようなみすぼらしい馬車のままお通しするわけには――」


 「みすぼらしい?」


 兵の言葉が止まった。


 この箱馬車は、人間の王家が用意したもので、彼らの国では十分に上等な車両だ。

 長い旅にも耐え、リーネが休めるだけの広さもある。

 これを上回るのはハイエルネリア王家の馬車くらいであり、粗末な物ではない。


 「私は気に入っている」


 「も、申し訳ございません。ですが、このままお通ししたと知られれば、私の首が……」


 「ならば、知られなければよい」


 「ご帰還を報告しないわけにもまいりません!」


 「私はこのまま行く」


 年長の兵は、再びその場へ膝をついた。


 「な、なりません! なにとぞ……! なにとぞ最低限の体裁だけでも……!」


 その姿を見下ろしていたリーネが、私の腕の中で片手を上げた。

 兵の頭までは届かない。

 リーネは少し離れた空中で、誰かの頭を撫でるように手を二度動かした。


 「かーいそう」


 車内から、ニナの囁き声が聞こえた。


 「……姉さんによくやってるやつですね」


 「私、そんなに可哀想だったの……?」


 リーネは、なおも年長の兵へ向けて手を動かしている。


 「……ふむ」


 私には、何がかわいそうなのか分からない。

 だが、リーネがそう言うのなら、このまま置いていくのもよくないのだろう。


 「では、どうすればよいのだ」


 年長の兵は勢いよく顔を上げた。


 「馬車はそのままで結構でございます。関所より先導を一名、前後へ護衛をお付けいたします。それだけでも、殿下をお迎えした形は整えられます」


 御者台からイレナが答える。


 「それでよろしいのではないでしょうか」


 「……まあ、いいだろう」


 年長の兵は安堵したように頭を下げ、すぐに人員を選び始めた。


 「殿下のご帰還は、王宮へ急ぎ報告いたします!」


 「好きにしろ」


 私はリーネを抱いたまま箱馬車へ戻った。

 マルタが扉を閉め、セラとニナも元の座席へ着く。

 ルヴェンはそのまま車内へ入り、最後部の座席ではリーネが私の膝へ収まった。


 イレナも御者台へ戻り、木人の隣へ座る。

 木人が四頭分の手綱を整える間に、先導役が箱馬車の前へ立つ。

 護衛の兵たちは前後へ分かれ、列を通すために道を空けたエルフたちは、まだ頭を下げたまま私たちを見送っていた。


 王家のペガサス空客車は来ない。

 私たちをここまで運んだ箱馬車が、木人の動かす手綱に従ってゆっくり走り出す。


 箱馬車は先導と前後の護衛を伴い、関所の奥へ進み始めた。

読んでいただきありがとうございます。

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