第81話 国王陛下は、頭を抱える(後編)
日が傾いても、その日の政務はほとんど進まない。
これまで書類を開くたびに局長が現れ、三人はそのたびに話を中断した。
五通目を持ってきた局長へ、国王が先に尋ねる。
「……今度は何だ」
「宿の周囲にいた兵士は、地中から現れた木の根によって拘束されました。重傷者は確認されておりません。隊長は道中でも、統治責任者への慈悲を求め続けています」
局長が一枚めくる。
「居館には侵入を防ぐ結界がありましたが、リュセル殿下は門前から何かしらの魔法を発動。居館の下に巨大な樹木を生じさせ、建物を破壊されました」
国王が椅子から身を乗り出す。
「…………死者は」
「確認されておりません。居館内にいた者は、木の根に保護された状態で外へ運び出されています」
国王は机へ手をつき、ゆっくりと座り直した。
「……殿下は、実に理性的であられる」
「どこを見てそう言っておる」
「居館を破壊しながら、一人も死なせておりません」
国王は反論せず、局長へ続きを求めた。
「統治責任者本人は、根に巻かれたままリュセル殿下の前へ引き出されました。命を取られようとしたところ、イレナ・ヴァルクが二人の間へ入ったと、複数の目撃があります」
「……それで、どうなった?」
「イレナ・ヴァルクが必死に助命を願いました。その後、リュセル殿下は魔力を収め、その場を離れられています」
「……あの状態の殿下を、止めたのか」
「結果としては、そうなります」
国王は目を閉じた。
「……大したものだ。辺境伯は、得難い部下を持っている」
宰相が局長へ向き直る。
「統治責任者は、生きているのですね」
「はい。すでに意識を失っていましたが、命は取られておりません。リュセル殿下は魔力を収め、そのまま宿へ戻られました」
国王は、机上に重なった報告書をしばらく見ていた。
「確認したいことがある」
その声で、局長が姿勢を正す。
「殿下は、今回の件を王国からの敵対行為だと受け取っておられるのか」
「現時点の報告だけでは、断定できません」
「現地の者に確かめさせろ。ただし、殿下ご本人へ近づかせるな。接触できるならイレナ・ヴァルクに限れ」
「承知いたしました」
◇
その指示が沿道の王室情報局員へ届くまでにも、当然ながら数日を要した。
命令を受け取った王室情報局の密偵は、すぐさま命令通りに接触を図るべく動く。
街道脇に、大型の箱馬車が停まっていた。
四頭の馬は馬具をつけたまま休み、木人の御者がそのそばに立っている。
客室の扉は開けられ、マルタたちは馬車の陰で身体を休めていた。
リュセルはリーネを抱き、ルヴェンもすぐ近くにいる。
イレナは一人、車体の状況を確かめていた。
街道を歩いてきた男が、馬車から離れた位置で立ち止まる。
男が名乗るより先に、イレナが振り返った。
「王国の方ですね」
男は否定せず、頭を下げる。
馬車へ近づく途中で、リュセルの顔は一度だけ男へ向いていた。
だが、呼び止める声も、男の行く手を阻むものもなかった。
「王室情報局の者です。突然の無礼をお許しください」
「構いません。それで、ご用件は?」
「一点だけ、確認させていただきたいのです」
男はリュセルとの距離を保ったまま、声を抑えた。
「リュセル殿下は、今回の件でローディネル王国へお怒りでしょうか」
イレナはすぐに答えた。
「ご安心ください。リュセル様は、王国そのものへお怒りではありません」
男の口から息が漏れる。
「では、オルディナの統治責任者に対してのみ、と」
「はい。ただ、木を生やして統治責任者の居館を破壊した程度です」
男が書き留めようとしていた手を止めた。
「……程度?」
「すでにリュセル様は気にしておられません。翌朝には、当初の予定どおりオルディナを出ましたので」
「王国からの指示だったとも、お考えではないのですね」
「はい。そのように疑っておられるご様子もありません」
男は手元の記録へ、今聞いた言葉をそのまま書き込んだ。
「ご回答、感謝いたします」
再び頭を下げた男に、イレナが頷く。
男が街道へ戻ると、イレナは中断していた馬車の確認を再開した。
休憩を終えた箱馬車は、ほどなく次の街へ向けて走り出した。
◇
その報告が王都へ届いたのは、さらに数日後だった。
国王の執務室で、王室情報局長が文面を読み上げる。
「リュセル殿下に、ローディネル王国への敵意は認められない。怒りの対象は、命令を出した統治責任者個人に限られる。現在はその件を意に介さず、旅を継続している。以上、イレナ・ヴァルク本人への確認によるものです」
局長は報告書をめくる。
「なお、イレナ・ヴァルクは、木を生やして統治責任者の居館を破壊した程度、と述べております」
「…なに?」
「原文のままでございます」
宰相はすぐには答えなかった。
「……リュセル殿下の基準では、程度なのでしょうな」
「基準がおかしい」
国王は椅子へ座り直し、重なった報告書の一番上を取り上げた。
「オルディナの統治責任者は、即刻解任。身柄を拘束し、王都へ送れ。最終処分はこちらで決める」
「承知いたしました」
宰相が手元の紙へ命令を書き留める。
「捕縛に向かった隊長については、いかがいたしますか」
「その者は処分するな」
国王の返答に迷いはなかった。
「武力行使を避け、兵の数を抑え、自ら交渉に出た。命令の内容も隠さず、最後まで衝突を止めようとした。その行動まで罪に問えば、次に無謀な命令を止める者がいなくなる」
宰相が記録を続ける。
「他の官吏と兵士は、命令への関与を個別に調べます。無関係な者と、現場で命令に従わざるを得なかっただけの者まで、一括して処分してはなりません」
「暫定的な統治は、現地に残る官吏のうち次席の者へ任せろ。王都から正式な後任を送るまでだ」
「そのように手配いたします」
処分の方針が決まり、宰相は一度筆を置いた。
そして国王が局長を見る。
「ところで、居館を壊した樹はどうなった」
「そのまま残っております」
「……それはどうする」
「……どういたしましょう」
宰相の手も、止まっていた。
「現地では、すでに見物人が集まり始めているとのことです」
局長の報告を最後に、三人の間へ沈黙が落ちる。
撤去するとも、残すとも、誰もその場では口にしなかった。
国王は別の文書を取り上げた。
「宰相。殿下の進路上にあるすべての都市へ、もう一度通達を出せ」
「すでに、王族として礼節をもって接し、不用意な詮索をしないよう伝えております」
「違う」
国王は文書を机へ戻した。
「絶対に捕らえようとするな、と書け」
「それは、あえて書くまでもないことかと」
「では、文書の頭に『本当に絶対に』、と書け」
「…………」
宰相が筆を持ち直す。
「目立つよう、赤字でだ。それも大きくだ」
「………はい」
数日後、その王命を受け取った沿道の領主たちは、赤字で大書された「本当に絶対に」の文字を前に、いったい何があったのかと頭を抱えることになる。
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