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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第77話 大樹のリュセル(前編)

 宿の戸を抜けると、街路にいた兵士たちが一斉にこちらを見た。

 先頭を歩く男の姿を認めると、兵士たちは揃って握っていた槍を下げた。

 中には、露骨に息を吐いた者までいる。


 どうやら、話が済んだと思っているらしい。

 だが、宿の周囲にいる兵士は一人や二人ではなかった。

 道の両側にも、向かいの建物の前にもいる。

 どれも同じ装備を身につけ、こちらの動きを窺っていた。


 こいつらが、私を捕らえようとした豚の手先か。


 私は一度だけ、横へ手を振る。

 次の瞬間、石畳の隙間が押し広げられる。

 地中から伸びた無数の根が兵士たちの足へ絡みつき、その身体を次々と持ち上げる。

 腰や腕にも巻きついた根は、武器へ手を伸ばす暇すら与えず、一人残らずその場へ拘束していく。


 「う、うわあああっ!」


 「な、何だ、これは!?」


 「動けない! 誰か、これを――」


 悲鳴が重なり、静まりかけていた宿の前が再び騒がしくなる。


 先を歩いていた男は、根に吊り上げられた部下たちを見回した。

 その口が何度か動き、ようやく掠れた声が出る。


 「な、何を……」


 「決まっているだろう。この豚の手先を拘束したまでだ」


 男の顔から、さらに血の気が引いていく。


 「安心しろ。命までは取らん。命じられただけのようだからな」


 兵士を締め上げるつもりはない。

 根には、その場から動けないだけの力を与えてある。


 「それで、豚はどこだ?」


 男は部下たちを見た後、深く項垂れた。


 「……こちらです」


 再び歩き出した背中には、宿を出た時まで残っていた張りがなくなっていた。

 私とイレナも、その後に続く。


 一方、宿の前には、何が起きたのかと冒険者や住民が集まり始めていた。

 拘束された兵士を見上げ、次に私を見る。

 そこかしこから、押し殺した声が聞こえた。


 「あれが、踏破者……?」


 「兵士を、全員……一瞬で……」


 その中の一人が身を翻し、冒険者ギルドのある方角へ駆けていった。


 「……ふん」


 放っておけばいい。

 私が用のある豚は、一匹だけだ。


 男は街路を曲がり、人の多い通りを避けるように進んでいく。

 何度か振り返っては口を開きかけていたが、言葉にはしなかった。

 やがて、その足が止まる。


 「どうか……」


 俯いたまま、男は両手を強く握っていた。


 「何とぞ、慈悲をいただけませんでしょうか」


 「我々の領域を害する害獣に、慈悲などない」


 私に牙を剥いただけなら、まだいい。

 だが、あの豚がくだらない命令を出したせいで、リーネは眠りを妨げられた。

 許す理由は全くなかった。


 男はそれ以上何も言えず、再び歩き始める。

 ほどなくして、街路の先に高い外壁が見えてきた。

 壁の向こうには、周囲の建物より明らかに大きな居館がそびえている。

 正面の門には複数の衛兵が立ち、外壁の上にも見張りが置かれていた。


 こちらに気づいた門番の一人が、訝しげに目を細める。

 門番の視線が男から私とイレナへ移り、さらに誰もいない後方へ向けられた。

 そして何かを見たのか、その眉間に皺が寄る。


 門番は隣の衛兵へ短く声をかけると、こちらへ駆けてきた。


 「隊長。お連れした方は……このお二人で?」


 男は答えなかった。

 立ち止まり、ゆっくりと私へ振り返る。

 その膝が石畳へ落ち、続いて両手が地についた。


 「お願いでございます……」


 男は額まで地へつけた。


 「何とぞ、お慈悲を……!」


 最後の言葉は掠れ、男の頬から落ちた雫が石畳に小さな染みを作る。


 「た、隊長?? 一体何を…」


 周囲はこの隊長の行動に困惑の様子を見せる。

 そしてこの異常な光景に、門前の衛兵たちは自然と槍を握り直した。

 外壁の上からも声が上がり、次々とこちらへ視線が集まる。


 「どけ、小僧」


 男は動かなかった。

 私は鼻を鳴らし、その横を通り過ぎる。


 「少々お待ちを!」


 駆けてきた門番が私の前へ回り込んだ。

 槍こそ向けてこないが、門を背にして両腕を広げる。


 「そちらの御方は、エルフの貴人とお見受けいたします。まずは、お名前とご用件の確認から――」


 私は門番ではなく、その向こうにある居館を見た。

 外壁から居館を覆うように、薄い魔力の膜が張られている。

 許可のない者が内側へ入れば、侵入を阻むための術式が働くようだ。


 「くだらん。こんなもので私を止めようなどと、笑止千万」


 「な……」


 門番を退かせる必要すらない。

 私は居館へ向けて手を上げた。


 「なぜ豚のところへ、私がわざわざ出向かなければならないのだ」


 指先の向こうで、居館を守る魔力の流れが揺らぐ。


 「お前がこちらへ来い」


 大地の奥深くへ魔力を通す。


 「木樹魔法 《天樹顕界》」


 一拍遅れて、地の底から轟音が響いた。

 居館の外壁が大きく揺れ、地面が盛り上がる。

 次の瞬間、建物の真下から何本もの太い根が噴き出した。


 石床を砕き、壁を貫き、柱を押し退ける。

 その中心から一本の幹が立ち上がった。

 瞬く間に太さを増した幹は、居館そのものを内側から持ち上げていく。

 枝は屋根を突き破り、さらに空へ伸びた。

 樹冠が広がる頃には、その大樹は居館を覆い隠すほどの大きさになっていた。


 「し、城が……!」


 門前の衛兵が尻餅をつく。

 居館を守っていた魔力の膜は、内側から押し広げられ、硝子のように砕け散った。


 崩れた壁と屋根が大樹の根へ落ちる。

 だが、瓦礫が人間を押し潰すことはない。

 居館の中を走らせた細い根が人間だけを巻き取り、崩落する石材との間へ割って入る。

 ある者は窓から中庭へ運び出し、ある者は根で作った空間の中へ留めておく。

 命まで奪う必要があるのは、あの豚だけだ。


 根が壁を砕き、傾いた塔も屋根も、そのまま大樹の根元へ崩れ落ちていく。

 やがて居館は一本の大樹に呑み込まれ、元の形を失っていく。


 轟音は街中へ響いたらしい。

 振り返れば、通ってきた道の先から人々が押し寄せていた。

 イレナは目を見開き、片手で口元を覆っている。


 崩れた石壁から、白い粉塵が一気に広がった。

 私は周囲へ風の壁を巡らせる。

 押し寄せた粉塵は見えない境で左右へ分かれ、私たちのいる場所だけは視界が遮られなかった。


 「さて、豚はどこだ?」


 居館の跡へ魔力を広げる。

 崩れた部屋の中で逃げ惑う人間も、根に守られたまま動けずにいる者も、その一人一人を捉える。

 探している魔力の気配と照らし合わせれば、見つけるのは容易く、数秒もかからなかった。


 「こいつか」

読んでいただきありがとうございます。

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