第72話 リーネは、私の昔を知る
開いた側面窓の向こうで、若者は像と私を見比べたまま動かなかった。
その状況を見ていたセラが何事かと像と私の顔を見比べる。
「ええっ!?」
隣にいたニナも、長い耳を持つ魔法使いの像から目を離せなくなっていた。
「……同じ顔」
マルタは座席から像を確かめ、私へ向き直る。
「これは……間違いなく、ご本人でございますね」
『主ですからね』
ルヴェンだけは、驚く理由がないとでも言いたげだった。
客室で重なった声が御者台まで届き、イレナが木人へ指示を出す。
木人は四頭の速さを落とし、広場を通る人や荷車を妨げない場所へ箱馬車を寄せて止めた。
イレナは、箱馬車が人や荷車の流れを塞いでいないことを確かめてから御者台を降りた。
側面窓へ回ると、窓の外から像を見上げ、客室にいる私を確かめる。
「……リュセル様?」
「ああ。私だ」
イレナは返事をせず、像と私を見比べた。
その間にも、リーネは窓の外にある像へ手を伸ばしている。
「近くで見るか?」
リーネは像へ向けていた手を、私へ伸ばした。
マルタが、リーネの膝にあった木の馬を預かった。
私はリーネを抱き上げ、停止した箱馬車の昇降口から下りる。
若者は道を空け、私たちから距離を取った。
マルタが続いて下りる。セラとニナ、ルヴェンも車外へ出てくる。
イレナは木人へその場で待つよう告げると、四頭の様子と馬具を改めて確かめてから合流した。
私たちは車道へ出ず、像へ向かう人の流れに沿って広場を進んだ。
リーネは私の腕の中から、台座の上の四人を見続けている。
若者も、私たちとの距離を保ってついてきた。
像の前まで来て、私はリーネを地面へ下ろした。
リーネの右には私が立ち、左には木の馬を持つマルタがいる。
四頭と車輪から離れ、人の流れからも外れている。
リーネは長い耳を持つ像を見上げた。
私の顔を確かめ、また像へ顔を上げる。
「りゅー!」
「そうだ。私だ」
リーネは答えが合っていたことを喜び、私の指を握った。
イレナは四人の像と私を正面から比べ、年代を確かめる。
「この像は、百二十年前の完全踏破者を表したものなのですよね?」
「ああ」
若者の顔から、先ほどまでの気安さが消えていた。
像の長い耳と、今ここにいる私の耳を何度も見比べている。
「百二十年前と、同じ顔で……その耳……」
言葉が途切れた。
「……まさか」
それでも考え直す材料は見つからなかったらしい。
「……ハイエルフ?」
「そうだ」
若者は息を吸い、背を伸ばした。
「エルフの中のエルフ。最も古い血を引き、精霊に最も近い、エルフの頂点……。存在は知られていても、人間や普通の冒険者が会える方々ではありません」
私が何も言わずにいると、若者は記憶を探るように続けた。
「閉ざされたハイエルネリアに住み、その多くがアルヴァリス王家に連なるとも聞いています」
その程度なら、人間の国でも知られているらしい。
セラがニナへ顔を寄せた。
「……知ってはいましたけど、人の口から聞くと、本当にすごい存在なんですね」
私がそちらを見ると、セラは背を正して口を閉じた。
若者は広場の建物と行き交う冒険者たちを示した。
「ここはオルディナですよ!?」
「知っている。来たことがあるからな」
「そういう意味じゃありません!」
若者は広場の地面を指し、ここで驚いている理由を説明し始めた。
「オルディナはローディネル王国北部の王家直轄都市で、オルディナ大迷宮を中心にできた迷宮都市です。あの迷宮は、世界三大迷宮の一つなんですよ」
オルディナは、ハイエルネリア方面へ伸びる主要街道にも接続している。
都市を支えているのは、地下に広がる迷宮だ。
魔石、魔物の素材、希少な鉱石、迷宮でしか得られない品が運び出され、それを求める商人が集まる。
武具を扱う店も、冒険者を泊める宿も、迷宮から戻った者へ食事を出す店も多い。
以前来た時から建物は増えているが、迷宮を中心に人と物が集まるところは変わっていない。
若者は私の反応に困った後、広場の地面を指した。
「広さも深さも世界最大級で、深く潜るほど危険になる。深さは世界でも一、二を争って、最深部の危険度は最高位だと言われています」
その手が、台座の上の四人へ向く。
「百二十年ほど前、そのオルディナ大迷宮を史上初めて完全踏破した四人がいた。四人全員が最深部へ着き、四人とも生きて帰った」
若者は四人の像を見上げた。
人間の男が剣を持ち、獣人が前へ出る構えを取り、長い耳の魔法使いと人間の女神官が後ろに並んでいる。
「それから百二十年、第二の完全踏破者は一人も現れていない。今も完全踏破者は、あの四人だけです」
像を見上げていた顔が、ゆっくり私へ戻った。
「つまり……百二十年前に史上初の完全踏破をした、あの四人の魔法使いが……」
若者は、言葉にしてよいのか迷っていた。
「……あなた?」
「だからそう言っている」
若者は両手で頭を抱えかけ、どうにか思いとどまった。
「じゃあ、あなたが、この大迷宮を完全踏破した伝説の――」
「四人だ」
「え?」
「踏破したのは四人だ。私一人で踏破したわけではない」
若者は口を閉じ、台座の上に並ぶ四人を見直した。
私の指を握っていたリーネも、残る三人の像を見上げた。
やがて、つないだ指を持ち上げる。
「みんな?」
「ああ。昔、一緒に旅をしていた者たちだ」
セラは、剣士と獣人と神官の像を眺めた。
「リュセル様にも、冒険者仲間がいたんですね……」
「いた。そこまで意外そうに言われる筋合いはない」
私が剣士の像を示すと、リーネもそちらを見上げた。
剣を構えた男は、敵を前にしているような厳しい顔をしている。
「こいつは、この像ほど真面目な顔をしている時間の方が短かった」
次に並ぶ獣人は、今にも台座から飛び出しそうな姿で作られていた。
「こいつは像の通り、落ち着きがなかった」
女神官の像だけは、静かな笑みを浮かべている。
「この像を見れば、あの女が一番笑っただろうな」
顔も姿もよく似せてある。
それでも、こうして動かず並んでいると、私の知る三人とはどこか違って見えた。
若者は人間の剣士と女神官の像を見比べた。
「人間の剣士と女神官が、完全踏破の後に結婚したという話も、本当なんですか?」
「本当だ。式にも出た」
今度はセラが驚いた。
「結婚式にも出られたんですか?」
「呼ばれたからな」
リーネは、隣り合う剣士と女神官の像を見上げていた。
「子も生まれた」
若者はしばらく像を見上げていたが、やがて私へ身体を向けた。
「自分は、この大迷宮を完全踏破したいです」
「先ほども聞いた」
「でも……今は意味が違います」
若者は、大迷宮の入口がある方角へ顔を向けた。
「百二十年、誰もできなかったのは知っています。それでも、自分は第二の完全踏破者になりたいです」
「百二十年、誰もできなかったのだろう?」
「はい」
「それでも?」
「それでもです」
若者の返事は変わらなかった。
「……名は?」
「ユアンです」
「そうか。覚えておこう」
ユアンは目を見開き、それから深く頭を下げた。
頭を上げた時、その口がすぐに動く。
「あの、最深部って――」
しかし、最後まで尋ねなかった。
ユアンは像の台座を見つめ、考えた後で首を横へ振る。
「……やっぱり、いいです」
「何がだ?」
「自分で辿り着いて、自分で見たいです」
「そうか」
ニナは、台座の上に残る三人から私へ顔を戻した。
「その三人は、今はどちらにいるんですか?」
「もういない」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
百二十年前と同じ姿の私と、変わらない姿で作られた三人の像だけが並んでいる。
マルタが静かに問い直した。
「……亡くなられたのですか?」
「ああ」
人間も獣人も、ハイエルフと同じ時間は生きない。
「踏破から百二十年だ。人間や獣人なら、そうなる」
三人の姿を思い出せば、迷宮の中よりも食事の時の顔が先に浮かぶ。
「よく食べて、よく喋って、そしてよく笑う連中だった」
リーネは私が見ている三つの像へ顔を上げた。
そのまま、私の指を包む手に力を込める。
広場を通る者の中に、立ち止まる者が増えていく。
「あの人……」
別の者が、私と像を見比べる。
「像と同じじゃないか?」
「長い耳……エルフ?」
「まさか……」
「え……? 像と変わらない姿……踏破者……?」
声を聞いた者が振り返り、人の輪が広がっていく。
イレナは箱馬車まで戻れる通り道を確保し、マルタは木の馬を持ったままリーネの反対側に立つ。
セラとニナも、人の流れを塞がない位置へ移る。
ルヴェンは私たちの後ろに位置取っていた。
リーネは私の衣をつかみ、身体を預けてきた。
先ほどまで像を追っていた顔は、今は私の衣へ寄っている。
「宿へ行くぞ」
「よろしいのですか?」
イレナは、周囲に集まり始めた者たちを見ていた。
「何がだ?」
「……いえ」
宿へ行くと告げても、リーネは顔を上げなかった。
「疲れたか?」
リーネは私の指を放し、両腕をこちらへ伸ばした。
「りゅー、だっこ」
私はすぐにリーネを抱き上げた。
リーネは私の胸へ頬をつけ、腕を首へ回す。
マルタは木の馬を持ち、イレナは箱馬車へ向かった。
セラとニナがその後へ続き、ルヴェンも私のそばを離れない。
ユアンはずっとリーネを抱いた私と四人の像を見ていた。
「本物だ!」
誰かの声に、さらに多くの顔がこちらを向く。
「踏破者が帰ってきた!」
背後で「踏破者が帰ってきた」という声が広がる中、私はリーネを抱いたまま箱馬車へ戻った。
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