第71話 リーネ、ダンジョン都市へ行く
朝の光が、小屋の窓から寝具の上へ差していた。
リーネは布の鳥を片腕に抱いたまま目を開けた。
枕のそばには、昨夜置いた木の馬が残っている。
私は寝具の脇に座り、ルヴェンはその向こうで尾を丸めていた。
マルタは入口のそばに、着替えと朝の世話に使う物を用意している。
開いた入口の向こうでは、セラとニナが焚き火へ薪を足していた。
さらに先では、イレナが四頭と箱馬車の周りを歩き、夜の間に異常がなかったか確かめている。
リーネは身体を起こすと、明るくなった窓へ顔を向けた。
布の鳥を抱いたまま窓の外を確かめ、空へ指を伸ばす。
「ほし?」
「今は見えん。夜になればまた見える」
リーネは窓の向こうをもう一度探した。
やがて伸ばしていた手を戻し、枕元の木の馬を持ち上げる。
「リーネ様。お着替えをいたしましょう」
マルタが寝具のそばへ来ると、リーネは木の馬を握ったまま両腕を上げた。
顔と手を拭き、着替えを終えてから、私たちは小屋の外へ出た。
焚き火のそばには朝食が用意され、昨夜から小屋の反対側で休ませていた四頭も水と飼葉を取っている。
リーネは火から離した敷物へ座った。
私が隣につき、マルタが反対側で食事を手伝う。
布の鳥と木の馬は、リーネのすぐ脇に置かれていた。
朝食を終えると、セラとニナが使った食器を洗い、箱へ収める。
マルタは小屋の寝具をまとめ、入口まで運んだ。セラが受け取って箱馬車へ戻し、次の荷はニナが運ぶ。
小屋の中から寝具と旅道具がなくなると、マルタもリーネのそばへ戻った。
セラとニナは箱馬車の荷扉を閉め、根が動く場所から離れる。
イレナは小屋の周りを一度回り、人も荷も残っていないことを確かめた。
四頭と箱馬車も、昨夜から離れた場所にある。
「片づけていただいて問題ありません」
私は小屋の壁へ掌を当て、地中の根へ魔力を戻した。
屋根を支えていた枝がほどけ、壁の板が根へ変わっていく。
床を持ち上げていた木も地面へ沈み、最後に入口の枠が土の中へ消えた。
根が通った跡へ土が戻り、倒れていた草が起き上がる。
リーネは目を丸くし、木の馬を敷物へ置いてマルタの手を離した。
「すごい!」
両手を胸の前で、ぱちぱちと打ち合わせた。
褒められるほどのことではないのに、返す言葉がすぐに出なかった。
「……このくらいは普通だ」
箱馬車のそばで、セラがニナへ声を潜めた。
「リーネ様には、ほんとに弱いよね」
「姉さん、リュセル様に聞こえるよ」
セラがこちらを見た。
だが私はすでに、セラを見ていた。
「ひいっ」
ニナは何も言わず、姉から一歩離れた。
「……ふん」
昨夜まで小屋があった場所には、朝露に濡れた地面しかない。
リーネは木の馬を持ち直し、マルタの手を握ると、何もなくなった場所へ腕を伸ばした。
だが、地面へ近づこうとはせず、木の馬を取り直して手を上下に動かしている。
セラは箱馬車のそばから戻って敷物を畳み、ニナと一緒に収めた。
イレナは四頭へ馬具を付け、車体とのつなぎ目を確かめる。二人が荷を固定すると、出発の支度は整った。
私は先に箱馬車の客室へ上がる。
マルタからリーネを受け取り、側面窓に近い座席へ座らせる。布の鳥と木の馬も同じ座席へ置いた。
マルタが後に続き、セラとニナも客室へ上がる。最後にルヴェンが乗り込んだ。
全員が座った後、イレナは扉を閉め、御者台の空いた側へ上がった。
木人が手綱を動かし、四頭が歩き始める。
箱馬車は揺れを抑えながら速度を上げ、いつもの速さで街道へ戻った。
◇
初めのうち、窓の外を通るのは荷を背負った旅人や商人の幌馬車だった。
しばらく進むと、武器を携えた二人連れが反対から歩いてきた。
リーネは布の鳥を膝へ置き、二人の姿が後ろへ流れて見えなくなるまで顔を動かしている。
次に見えたのは、街道脇で休んでいる冒険者の一団だ。
革と金属を組み合わせた防具を身につけ、旅人よりも多くの荷を身体へ留めている。
リーネは木の馬を膝へ置き、窓枠の内側から一団を指した。
「冒険者だ」
リーネは私の声を聞いても言葉を繰り返さず、道具を広げている一人へ顔を向けた。
さらに街道を進むと、縄や袋を積んだ荷車が現れた。
その後ろには、大きな角と畳んだ獣皮を運ぶ商人が続いている。
御者台の方で連絡小窓が開いた。
「ダンジョン都市へ向かう冒険者が増えてきましたね」
イレナの声が車内へ届く。
「ああ。ここまで来れば、そうなる」
この先の都市は、巨大なダンジョンを中心に長い年月をかけて広がってきた。
各地から冒険者が集まれば、武具を扱う者も、食料や宿を用意する者も集まる。
私が以前訪れた時も、街道は同じような者たちで混み合っていた。
やがて城壁が窓の外まで伸び、街道を進む人と荷車が一つの門へ集まり始めた。
木人は四頭の歩みを落とし、前の荷車との間を保って進む。
進んでは止まる動きを何度か繰り返し、箱馬車も入場を待つ列で止まった。
イレナは御者台に残り、前方と四頭を見ている。
客室では、リーネが窓側の座席に座り、私はその隣についていた。
向かいにはマルタがいる。
リーネは窓ガラスへ顔を近づけ、止まった列の間を歩く人々を眺めている。
マルタはリーネが外を見やすいよう、側面窓を大きく開いた。
人の話し声と荷車の軋む音が、外の空気とともに車内へ入ってくる。
リーネは窓枠へ両手を置き、上体を外へ乗り出しかけた。
私は隣からリーネの腰へ腕を回し、窓から落ちないよう身体を支える。
リーネは私の腕に支えられたまま、開いた窓から外を覗き込んだ。
窓の外には、都市へ戻る途中らしい若い冒険者が立っている。
革と金属を組み合わせた防具には街道の土がつき、武器は外れないよう身体へ固定されていた。
若者は四頭立ての大型箱馬車と、御者台で手綱を持つ木人を見ていた。
外装から王家の紋章と華美な飾り金具は外してあるが、四頭を連ねた大型箱馬車も木人の御者も、一般の旅人が用意できるものではない。
大きく開いた窓からリーネが顔を出すと、若者はこちらへ顔を上げた。
私に支えられた幼い子と、向かいに控えるマルタまで見てから、窓から数歩離れた位置で足を止める。
リーネは私の腕の中から、若者の胸当てと身体へ固定された武器を見ている。
若者はリーネが見ている先をたどり、自分の胸当てへ目を落とした。
「珍しい?」
リーネが防具を指す。
何か言おうとしたが、言葉にはならない。
それから私の顔を見た。
若者は武器へ触れず、距離も詰めなかった。
「魔物と戦う時に使う道具だよ。危ないから、見るだけな」
リーネは手を伸ばそうとはせず、私に支えられたまま装備を見ている。
若者も子供の反応を急かさず、その場で列が動くのを待っていた。
「皆さんもダンジョン都市へ?」
「ああ」
「その子は初めてですよね?」
「そうだ」
リーネが自分の話だと分かったかは知らない。
だが、若者の声へ顔を戻した。
「なら驚くと思いますよ。冒険者だらけですから」
前の荷車が動く。私はリーネを座席へ戻し、若者も列に合わせて歩いた。
木人が四頭を進めると、箱馬車も同じだけ前へ出る。
再び止まったところで、若者が私へ尋ねた。
「そちらの方も、ここへ来るのは初めてですか?」
「以前来たことがある」
「そうでしたか。自分はこの都市を拠点にしています。まだ最深部を目指せるほどではありませんけど、いつかこのダンジョンを完全踏破したいんです」
「そうか」
目標として口にするのは簡単だが、若者の声に迷いはなかった。
「百二十年ほど前、このダンジョンを完全踏破した四人がいるんです」
列が進み、若者は前を向いて歩く。
箱馬車が追いつくと、また開いた窓の外へ並んだ。
「人間の剣士、獣人の戦士、長い耳の魔法使い、それに人間の女神官。四人全員で最深部まで行って、四人とも帰ってきた」
リーネは窓枠へ手を置き、若者の声を聞いている。
「中央広場には、その四人の像まであります。自分も、いつかあの四人みたいになりたいんです」
若者の話に、私は何も付け加えなかった。
そのまま、続きを待った。
「有名な話ですよ。知っています?」
「知っている」
「ですよね。この辺じゃ子供でも知っていますから」
若者はそれで納得し、列が動くと自分のいた場所へ戻った。
それ以上、こちらへ尋ねることもなかった。
◇
入場を待つ列は、少しずつ門へ近づいた。
私たちの番になると、イレナが門の者と言葉を交わし、木人へ進むよう伝える。
箱馬車が門の下へ入った。
窓から見える石壁が頭上まで続き、車輪の音が壁の間で響く。
リーネは首を反らし、門を見上げた。
「おっきい」
「そうだな」
門を抜けると、最初に金属を打つ音が聞こえた。
開いた工房では職人が防具を台へ載せ、店先には武器と旅道具が並んでいる。
リーネは音のする工房へ顔を向けた。
箱馬車が角を曲がると、今度は防具を身につけた一団が通りを横切る。
その先では、大きな角や牙を積んだ荷車が店の前で止まっていた。
荷を運ぶ者たちの向こうには、旅人を呼び込む宿と食事処が続いている。
若い冒険者は、同じ門を通った人の流れの中にいた。
箱馬車が混雑で歩く速さになると、再び側面窓の近くへ並ぶ。
「初めてなら、中央広場は見た方がいいですよ」
御者台の連絡小窓から、イレナの声が返った。
「宿へ向かう大通りが、中央広場を通ります」
遠回りにはならないらしい。
「まだあれがあるのか?」
「もちろんですよ。撤去したら冒険者たちが怒りますよ」
若者は、像が残っていて当然だというように答えた。
大通りを進むにつれ、人の数が増えていく。
木人は四頭を歩く速さに保ち、御者台のイレナが左右から入る人と荷車を確かめていた。
やがて建物の並びが途切れ、窓の外が開けた。
広場の中央に、一つの台座がある。
その上には、四人の像が立っていた。
剣を持つ人間の男。
前へ踏み出そうと身体を構えた獣人。
長い耳と魔法使いの装いを持つ男。
神官の衣をまとった人間の女。
リーネは木の馬を膝の上へ置いた。
長い耳を持つ像を見上げ、隣に座る私へ顔を向ける。
もう一度、像を確かめた。
空いた手が、台座の上にいる私を指す。
「りゅー!」
窓の外の若者は、リーネが有名な像を見つけたのだと思ったらしい。
「そうそう。この人が四人の――」
言葉が止まった。
若者は像の顔を見上げ、窓の内側にいる私を確かめた。
再び、像へ顔を上げる。
「…………あれ?」
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