第62話 リーネの旅支度(前編)
ハイエルネリアへ同行する者を決めてから、数日が過ぎた朝だった。
私は大樹の家の共用空間でリーネと過ごしていた。
リーネは敷物の上に木製の玩具を並べ、私はそのそばでハイエルネリアへ返した書簡の控えを見ている。
共用空間の扉が開き、ヴァルネから戻ったイレナが入ってきた。
いつもの外出用の鞄を持っている。
リーネは玩具から顔を上げ、イレナの鞄を指した。
「あ」
イレナは鞄を持ち上げ、リーネへわずかに笑いかけた。
「ハイエルネリアから返事が届いております。それと、グレイフェル辺境伯家からも」
イレナは鞄から二通の封書を取り出した。
先に差し出された方には、ハイエルネリア王家の印がある。
封を開くと、差出人はやはり母上だった。
母上は、ようやく帰る気になったことを歓迎し、大祭に間に合えばよいのだから道中を急ぐなと書いていた。
リーネの生活を崩さず、あの子の体調を見極めて無理のないよう来るように、と念を押している。
王宮では休める部屋と必要な物を用意するので、到着予定が決まれば知らせること。
父上もリーネに会える日を気にしているという。
文面は丁寧だったが、私よりもリーネへの指示の方が多かった。
「母上らしいな。王宮では、もうリーネを迎える準備を始めているそうだ」
私は開いた手紙をイレナへ示した。
「まだ出発日すら伝えていないのだが」
「王妃陛下ですので」
私は母上の手紙を畳み、もう一通へ手を伸ばす。
「グレイフェル辺境伯家から王都セルディオンへも話が上がっております。リュセル様が領内を離れ、ハイエルネリアへ向かわれることは、ローディネル王国側でも正式に把握されました」
「そうか」
「ローディネル王国側からは、必要であれば護衛隊をお付けする用意があるとのことです」
「私に護衛を?」
「形式上の申し出です」
「要らん」
「そう仰ると思い、まだ受けておりません」
話が早い。
近くで衣服を畳んでいたマルタが、俯いたまま笑った。
「国境までの儀礼的な見送りについても申し出がありましたが」
「それも要らん。普通に通してくれればいい」
「では、必要最低限の通行と出境の連絡だけ整えます」
イレナは、護衛と見送りの申し出を断る旨を控えへ書き加えた。
「では、あとは出発日ですね」
三日あれば、イレナが馬車を用意し、マルタたちが必要な荷をまとめられる。
「三日後に出る」
「承知しました。長旅に使える馬車を手配いたします」
イレナが答えると、マルタは畳んでいた衣服を卓へ置いた。
「では、まずリーネ様のお支度からですね」
名を呼ばれたリーネが、敷物から顔を上げる。
マルタは母上から贈られた衣服を広げ、今のリーネに合うものを選んでいく。
着替えと洗い替えを分け、眠る時に使う物も取り出しやすいようにまとめていた。
一年前に母上が用意していた物が、こういう時に使われるのか。
荷のそばには、リーネが前にマルタへ預けた布の鳥も置かれている。
リーネは布の鳥の背を撫で、それから敷物に並べた木製の玩具へ戻った。
しばらく玩具を見てから、一つを両手で持ってくる。
マルタの前へ立ち、それを差し出した。
「これ」
「こちらも持っていきますか?」
「うん」
マルタが布の鳥の隣へ収めると、リーネはすぐに玩具の場所へ戻った。
また一つ持ってくる。
マルタは何も言わず受け取り、最初の玩具の隣へ置いた。
リーネはもう一度戻り、三つ目を抱えてきた。
「リーネ様。もしかして、全部お持ちになるのですか?」
リーネは敷物に残る玩具へ手を伸ばし、途中で荷物のそばに並んだ三つへ首を巡らせた。
「全部持っていけばよいのでは?」
横からセラが言った。
「セラ」
「……はい」
マルタに名を呼ばれただけで、セラは口を閉じた。
それを見ていたニナがリーネのそばへしゃがむ。
「一番好きなの、一つ選ぶ?」
リーネはすぐには動かなかった。
最初に持ってきた玩具を手に取り、隣の玩具を見る。
そちらへ持ち替えてから、今度は手放した方へ腕を伸ばす。
誰も急かさなかった。
私も敷物のそばに座り、リーネが決めるのを待った。
リーネは二つを見比べ、片方を置く。
別の玩具へ触れかけたあと、最初に持ってきた物を両手で抱えた。
「これ」
「これにする?」
「うん」
ニナが立ち上がり、選ばれた一つをマルタへ渡した。
マルタは残った玩具を敷物へ戻す。
リーネは元の場所に並べられる玩具を見ていたが、選んだ一つと布の鳥が荷へ収まると、そちらへ歩いていった。
布の鳥の背を撫で、選んだ玩具を押さえてから頷いた。
そして旅支度の荷から離れたリーネが、近くにいたルヴェンへ手を伸ばす。
「べるー」
白銀の尾を両手で掴み、荷物の方へ引こうとする。
『リーネ様。私は荷物ではありませんよ』
「べるー、いく」
『はい。私は自分で参ります』
ニナとセラが噴き出した。
リーネは返事を聞くと尾を離し、荷の中にある布の鳥へ触れた。
「ルヴェンを荷物扱いとは……」
私の喉からも笑いが漏れかけた。
白銀の尾先が私の腕を一度叩く。
『主、いま笑いましたか?』
「……笑ってはいないぞ」
セラとニナはまだ笑っていた。
「……何をしている? 早く荷物をまとめろ」
二人は返事をせず、荷の前へしゃがんだ。
「ふん……とんだとばっちりだな」
残る大仕事は馬車の手配だが、それはイレナへ任せてある。
その日から三日間、マルタたちは衣服や道中で使う物をまとめ、イレナはヴァルネとの連絡と馬車の用意を進めた。
そうして三日後の朝を迎えた。
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