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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第56話 たまには、帰ってきなさい

 リーネの手がルヴェンの尾先へ届いてからも、母上はリーネのそばを離れなかった。


 リーネは白銀の毛を握ったあと、木の玩具を持ち上げた。

 輪が鳴ると手を止め、今度は布の鳥へ腕を伸ばす。


 母上は王妃のために用意された席へ戻らず、その動きをそばでじっと見ている。

 エルディンたちは、少し離れた場所に控えていた。


 しばらくして、エルディンが母上のそばへ進み出た。


 「王妃陛下。帰路につきまして……」


 「まだ来たばかりでしょう?」


 「すでに十分なお時間が経っております」


 母上はようやくリーネから目を離し、エルディンを見上げた。


 「そうなの?」


 「はい」


 エルディンの返事に迷いはなかった。

 母上だけが、過ぎた時間を知らなかったらしい。


 リーネが眠そうに目元をこすり、私の膝へ頬を寄せた。


 「もう寝る時間だ」


 「もう?」


 母上とエルディンの声が重なった。


 「いつもこの頃には眠くなる」


 私はリーネの脇へ手を入れ、敷物から抱き上げた。

 腕の中に収まったリーネは、目元に手を当てたまま、私の胸元へ額をつける。


 「もう少しくらい、一緒に――」


 「駄目だ。眠い時に寝かせる」


 「王妃の私より、リーネのお昼寝の方が大事なの?」


 「母上はリーネに会いに来たのだろう?」


 「ええ」


 「ならば、リーネに合わせればいい」


 母上は笑った。


 「本当に、そこは譲らないのね」


 「当然だ」


 私はリーネを部屋へ運び、いつもの寝床へ下ろした。

 布の鳥を手が届く場所へ置くと、リーネの指が翼の端へ触れる。


 ついてきた母上は、寝床から離れた場所で足を止めた。

 近づくことも、声をかけることもしない。


 リーネの指が布の鳥から離れ、目が閉じた。

 呼吸が穏やかに繰り返されるまで待ってから、私たちは共用空間へ戻った。


 「そういえば、リーネとあなたの肖像画は残さないの?」


 「今、絵師に描かせている」


 「完成したら、私にも一枚くれる?」


 「……なぜだ」


 「孫の絵が欲しいのよ」


 「孫ではない」


 「では、あなたが育てているリーネの絵が欲しいの」


 「……絵師に聞いておく」


 「お願いね」


 「国王陛下も、あなたとリーネのことをずいぶん気にしていましたよ」


 「父上も来るつもりだったのか?」


 「ええ。でも、あなたが嫌がると思ったから、今回は置いてきました」


 「正しい判断だ」


 「陛下が聞いたら怒りますよ」


 「聞かせなければいい」


 エルディンと随行者たちが、帰り支度を始める。


 「リュセル」


 「何だ」


 「たまには、ハイエルネリアにも帰ってきなさい」


 「必要があればな」


 「その『必要』なら、そろそろありますよ」


 「何の話だ?」


 「次の大祭が近いでしょう?」


 「……もうそんな時期か」


 ハイエルネリアで行われ、王家にも深く関わる大祭のことを忘れていたわけではない。

 ただ、次の時期がそこまで近づいているとは考えていなかった。


 「今回は顔を見せなさい。もちろん、リーネも一緒に」


 「なぜリーネまで連れていく話になっている」


 「では、あなた一人で帰ってくるの?」


 私は答えなかった。


 「その間、リーネはこちらへ置いていく?」


 リーネをこの家に残し、私だけがハイエルネリアへ帰る。

 そうした場合を、これまで考えたことはなかった。


 今すぐ決める話ではない。

 それでも、どちらかと答える言葉は出てこなかった。


 「ほら。そういう顔をすると思いました」


 「まだ何も言っていない」


 「言わなくても分かります」


 「勝手に決めるな」


 「では、考えておいてください」


 「気が向いたらな」


 「その言い方では期待できませんね」


 母上は約束を求めなかった。

 帰り支度を終えたエルディンが一礼すると、母上は最後にもう一度、リーネの部屋へ足を向けた。


 寝床の上で、リーネは布の鳥のそばに片手を置いて眠っていた。

 母上は手を伸ばさず、声も抑えた。


 「また会いましょうね、リーネ」


 リーネは反応せず、同じ呼吸を繰り返している。


 「次は、あなたたちが来る番ですよ」


 「まだ行くとは言っていない」


 「ええ。まだ、ね」


 私たちは部屋を出て、家の入口まで進んだ。

 エルディンと随行者たちが、母上の後ろへ続く。


 「次に来る時は、もう少し簡単に来い」


 「それは私ではなく、国同士に言ってください」


 「面倒だな」


 「王族なのだから諦めなさい」


 母上は次の言葉を待たず、入口の外へ出た。

 風のフィルネと下級の風精霊たちが、母上たちの足元へ風を集める。

 風に身体を支えられた母上が、私へ軽く手を上げた。


 私も手を上げて返す。

 母上たちはそのまま大樹に沿って地上へ運ばれていった。

 枝の向こうへ姿が隠れるまで、私は入口に立っていた。


 共用空間へ戻ると、マルタは母上が置いていった服を、今着られるものと、少し先に着るもの、その先のものへ分けていた。

 セラが畳んだ服をニナが籠へ収め、イレナは空になった包みをまとめていた。


 四体の家付き精霊は、随行者が動かした椅子や、開けたままになっていた扉を元に戻している。

 ルヴェンはいつもの場所で、白銀の尾を敷物の端へ流していた。


 しばらくして、リーネの部屋から「あぅ」という声がした。

 私が部屋へ入ると、リーネは寝床の上で目を開けていた。

 そばには布の鳥がある。


 リーネは私を見ると、両腕を持ち上げた。


 私は寝床のそばへ行き、背と腰へ腕を入れて抱き上げた。

 胸元へ引き寄せると、リーネの手が私の服を握る。


 次の大祭まで、あまり時間はない。

 もし本当にハイエルネリアへ帰るなら、今のリーネを連れて移動することになる。


 道中の食事をどう用意するか。

 眠る場所と、休ませる場所も先に決めておく必要がある。


 着替えは、母上が置いていった中から、今の大きさのものを多めに持っていけばいい。

 布の鳥も持っていった方がいい。


 リーネの荷物は、道中ですぐ取り出せるよう、大人の荷物とは分けておくべきだろう。


 まだ大祭へ行くと決めたわけではない。

 それでも、行くと決めてから準備を始めたのでは遅い。

 今度は必要になってから考えるわけにはいかないのだろう。


 腕の中で、リーネが私の服を引いた。


 「分かった。まずは、お前の旅支度からだな」

読んでいただきありがとうございます。

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