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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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55/104

第55話 母上には、敵わない

 「ああ」


 答えると、母上は私の腕の中を覗き込むように近づいた。

 リーネは布の鳥を握ったまま、母上の顔を見上げている。


 「あなたが赤子だった頃も、これくらいだったわ」


 「そうなのか」


 母上は私の横まで来ると、リーネの手足を順に見た。


 「もう自分で動くの?」


 「腹這いで部屋の中を進む。立つのは、何かにつかまっている間だけだ。まだ一人では立てない」


 「よく見ているのね」


 「毎日見ていれば分かる」


 母上は私とリーネを見比べたあと、両腕をこちらへ差し出した。


 「抱いてもいい?」


 「赤子の抱き方を知っているのか?」


 「……あなた、自分が誰に抱かれて育ったと思っているの?」


 「それもそうか」


 「まったく」


 私がリーネの身体を少し持ち上げると、母上は片腕を背へ回し、もう片方の腕で腰と脚を受けた。

 リーネの身体が母上の胸元へ収まり、頭から脚まで支えられたのを確かめてから手を離す。


 私は母上のすぐ隣へ残った。


 「……慣れているな」


 「あなたを育てましたからね」


 母上は腕の中のリーネへ顔を向けた。


 「初めまして、リーネ」


 「あぅ」


 「今のは返事ではないぞ」


 「分かっています。あなたは昔から、こういうところが変わらないのね」


 リーネの手が持ち上がり、母上の耳へ向かって開いた。

 指先が届く前に、母上が少しだけ顔を寄せる。


 「あなたも赤子の頃、よく私の耳へ手を伸ばしていました」


 「覚えていない」


 「覚えていたら、私の方が驚きます」


 リーネの指が長い耳の先へ触れた。

 母上は避けず、掴まれる前に顔の向きを戻す。


 「可愛い孫だこと」


 「孫ではない」


 「では、この子は何なの?」


 「私が保護している人間の赤子だ」


 母上はリーネを抱いたまま、私へ顔を向けた。


 「その子に《七葉の王護》まで与えておいて?」


 「……必要だったから与えた」


 「では、今はそういうことにしておきましょう」


 「何も分かっていないだろう」


 母上は答えず、扉の近くに控えていた随行者へ合図した。

 一人が抱えていた包みを卓上へ運び、重ねられていた布を外す。


 中から出てきたのは、何着かの小さな服だった。

 今のリーネに合いそうなものだけではない。一回り大きく見える服と、その先に着るための服も分けて重ねられている。


 「これは、リーネへの贈り物よ」


 「服なら、こちらにもある」


 「知っています。これは今着るものと、少し大きくなってから着るもの、その先に必要になるものです」


 母上の説明を聞きながら、マルタが卓の前へ進み出た。

 断りを入れてから服を一枚ずつ広げ、袖と身頃を確かめていく。


 「こちらでしたら、しばらくお召しになれそうでございます。大きいものは、成長なさったあとに」


 「人間の子どもの育ち方は、来る前に調べました。リュセルとは違いますから、同じ速さでは大きくならないでしょう?」


 「……そうだな」


 リーネの服は、この包みに入っている分だけではなかった。

 母上によれば、下の馬車にも、あとで運び上げる服がいくつか残っているという。


 「同じ大きさの服が、なぜ何枚もある?」


 「汚した時の着替えと、洗っている間の替えです。一枚ずつでは足りません」


 私はマルタを見た。

 マルタは服を畳み直してから私へ顔を向け、にっこりと笑った。


 「……何だ、マルタ」


 「いいえ。何も申し上げておりません」


 何も言ってはいないが、何を言いたいかは分かる。

 母上は私たちのやり取りを聞き、卓上の服を見た。


 「どうせあなた、今着ている服が小さくなってから、次を用意すればいいと思っていたのでしょう?」


 「必要になれば、その時に用意すれば――」


 「ほら」


 私は途中で口を閉じた。


 「あなたは昔から、必要になってから考えるのよ」


 「……必要になる前に何を考える?」


 「必要になることを考えるのです」


 以前、マルタに袖が短くなったと教えられた服が、近くの籠に畳まれている。

 あの時の私は、傷んだ箇所を探していた。

 リーネが大きくなり、その服を着られなくなるとは考えていなかった。


 今の服が着られなくなるなら、次の服が要る。

 その次も、同じように要るのだろう。


 「大きさが合わなければ、仕立て直せます。どれも無駄にはいたしません」


 マルタがそう言うと、母上は一度、大きく頷いた。


 「あなたがいてくれてよかったわ。これなら、先の分も任せられます」


 「お任せくださいませ」


 二人の間では、もう服を収める場所まで決まり始めている。

 私が必要ないと返した時より、話が随分と進んでいた。


 包みの端には、衣服とは別に、小さな木の玩具が入っていた。

 丸みを帯びた輪がいくつか組み合わされ、赤子の手でも握れる太さに削られている。

 角はなく、振ると木同士が触れて音がした。


 魔力は感じない。

 ハイエルネリアで作られた物ではあるが、何かの術具でも、特別な力を持つ品でもなかった。


 「服は、これから必要になるものです。でも、その玩具は必要だから選んだものではありません」


 「必要ではない物を、なぜ持ってきた?」


 「贈り物は、必要な物だけを渡すものではないでしょう」


 「王妃陛下、その通りでございます」


 マルタがすぐに答えた。

 母上とマルタが揃ってこちらを見ている。

 セラは二人の後ろで勢いよく頷き、もう一度頷こうとして、隣のニナに袖を引かれた。


 「使ってもらえたら嬉しい。喜んでもらえたら、もっと嬉しい。そういう物も贈るのです」


 マルタが木の玩具を持ち上げ、リーネから少し離れたところで一度振った。

 木の輪が触れ合う音に、リーネが顔を向ける。

 母上の腕の中から手を伸ばし、指を開いた。


 「あら」


 母上の声が弾んだ。


 「ただ手を伸ばしただけだぞ」


 「それで十分です」


 マルタが玩具を近づける前に、リーネの顔がこちらを向いた。

 玩具へ伸びていた手を戻し、今度は私へ向けて両腕を持ち上げる。


 「あぅ」


 「あなたのところへ行きたいみたいよ」


 「そうなのか?」


 私は両腕を差し出した。

 母上がリーネの背と腰を支えたまま身体をこちらへ向け、私が脇と脚を受けてから腕を入れ替える。


 私の胸元へ戻ったリーネは、片手で服を掴んだ。

 もう片方の手もすぐに寄せ、布を握る。


 「……なるほど」


 「何だ」


 「いいえ」


 母上は空いた両腕を下ろし、私に抱かれたリーネを見た。


 「思っていたより、きちんと育てていることは分かりました」


 「最初からそう言っている」


 「服が小さくなってから、次を考えていたけれど」


 私は返さなかった。

 母上は私から離れると、マルタたち人間側の四人へ向き直った。


 「リーネのことを見ていてくれているのですね」


 「皆でお仕えしているだけでございます」


 マルタが頭を下げると、イレナたち三人も続いた。


 「ありがとう」


 母上はそこで言葉を切り、私を見た。


 「リュセルのことも」


 「なぜ私まで入る」


 「あなた一人では、この家はこうなっていなかったでしょう?」


 共用空間には、リーネの敷物が広げられたままになっている。

 卓には皆が使うカップが並び、ルヴェンはいつもの場所で白銀の尾を床へ流していた。


 四体の家付き精霊が家の中を整え、マルタたちは贈られた服をどこへ収めるか話している。

 イレナは扉の近くに立ち、出入りする随行者と室内の両方を見られる位置を崩していない。


 「安心しました」


 「何にだ?」


 「あなたが、ちゃんと暮らしていることです」


 「以前から普通に暮らしていた」


 「ふふっ、そういうことにしておきましょう」


 また同じ言い方をされたが、今度は問い返さなかった。

 母上はリーネの服を握る指を一度見てから、敷物へ顔を向ける。


 「リーネは、いつもここで何をしているの?」


 「見ていれば分かる」


 私は敷物の中央へ膝をつき、リーネを下ろした。

 腰が安定するまで背に手を添え、両手が敷物についたところで離す。


 母上も王妃の衣装の裾を整え、敷物のそばへ腰を下ろした。

 マルタが木の玩具をリーネの手が届く場所へ置く。


 リーネは玩具へ手を伸ばし、木の輪を掴んだ。

 一度持ち上げると音が鳴ったが、すぐに敷物へ置き、腹這いになる。


 その先では、ルヴェンの尾がゆっくりと揺れていた。

 リーネは両腕で身体を引き、木の玩具を置いたまま白銀の毛へ向かって進む。


 「次は何をするの?」


 「私にも分からん」


 リーネの手が、ルヴェンの尾先へ届いた。


 「……今度はそっちらしい」

読んでいただきありがとうございます。

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