第51話 王妃陛下が、我が国へやって来る(前編)
王都セルディオンの外交文書を扱う一室で、担当官は一通の文書を読んでいた。
それは、ハイエルネリア王家の正式印で封じられ、先ほど開封されたばかりのものだった。
担当官は、そこに記された王妃本人の入国希望をもう一度読み直した。
『ハイエルネリア王妃本人が、ローディネル王国への入国を希望する』
担当官は文書を最初から読み直すと、すぐに上官の部屋へ向かった。
文書は通常の外交書簡より先に回され、確認する者が増えるたび、王城のさらに上へ運ばれていく。
やがてそれは、国王エドヴァルド三世の前へ届いた。
小会議室には、外交を預かる大臣、財務と交易を扱う官僚、軍務と警備を担う責任者が集められている。
エドヴァルドは文書の末尾まで読み、正面に立つ外務大臣へ尋ねた。
「この文面は、王家の使者を寄越すという話ではない。入国を望んでいるのは王妃本人で間違いないのか」
「使者にも再確認いたしました。王妃陛下ご本人でございます」
「王妃本人の入国なら、通常は王都で迎え、国王である私が応対する。先方は今回の訪問を、どのように扱うつもりだ」
「私的訪問と明記されております。訪問先はヴァルネ近郊に限られ、大規模な歓迎、儀礼、会談も辞退されております」
エドヴァルドは文書へ目を戻した。
随行も必要最小限とされ、ローディネル側へ求められているのは、入国経路と滞在中の安全に関する調整だけだった。
「訪問先はリュセル殿下だけか。先日の洗礼では、エレオノーラとセヴェリン大司教までヴァルネへ赴いた。今回も、あのリーネが関わっているのではないか」
「お察しのとおりです。使者へ確認したところ、王妃陛下はリュセル殿下だけでなく、リーネにもお会いになることを望んでおられます」
リーネの洗礼を巡って王国と教会が動いた際、第二王女エレオノーラを王家の名代として派遣すると決めたのは、エドヴァルド自身だった。
「洗礼の次は、ハイエルネリアの王妃本人か」
「王妃陛下にとっては、息子であるリュセル殿下と、そのご家族を訪ねるためのものかと」
王妃にとっては家族への私的な訪問でも、ローディネルにとっては、閉鎖的な五大国の王妃本人を戦時下の領内へ迎えることになる。
「まずは安全の確保でございます」
軍務の責任者が卓上へ地図を広げた。
「我が国は現在も戦時下にあります。入国地点と移動経路を定め、軍事行動が行われている区域を避けねばなりません。道中とヴァルネ周辺の警備、ハイエルネリア側の護衛との分担、帰路についても事前の調整が必要です」
「王妃陛下の一行へ、こちらの軍が近づきすぎることも避けるべきかと存じます」
外務大臣の指摘に、軍務の責任者も頷く。
「護衛のつもりでも、先方から軍の監視と受け取られてはなりません。まず安全な経路を確定し、グレイフェル辺境伯へ――」
「陛下」
財務と交易を扱う官僚が、そこで口を挟んだ。
「これは、非常に大きな機会ではございませんか」
「何が言いたい」
「ハイエルネリアは閉鎖的で、国家間の接触そのものが限られております。我が国も以前から安定した交易窓口を求めておりますが、いまだ実現しておりません」
ハイエルネリア由来の希少な素材や優れた工芸品、エルフ圏で扱われる品々が、ローディネルへまったく入らないわけではない。
しかし流通量は限られ、その時々の取引に頼っている。
王国同士で継続して物を動かせる、安定した窓口はなかった。
「そのハイエルネリア王妃陛下が、我が国の領内まで自らお越しになるのです。王家と直接話せる機会など、次にいつ得られるか分かりません」
安全確保だけを考えていた会議の空気が変わった。
外務大臣が文書と地図を見比べる。
「せっかく我が国へ入られるのであれば、セルディオンまでお越しいただくことはできないでしょうか」
「国王陛下との非公式な会談だけでもお願いできれば、今後の関係は大きく変わりましょう」
交易担当の官僚が、すぐに続けた。
「交易窓口について、話を始めるだけでも価値がございます。継続的な経路を設けるための担当を、互いに置ければ――」
「こちらから贈答品を用意し、歓迎の意を示すことも必要ではございませんか」
別の者からも意見が上がる。
先ほどまで地図の上にあった話が、いつの間にか王都での会談と交易へ膨らんでいた。
エドヴァルドも、すぐには止めなかった。
「確かに、これほどの機会は二度とないかもしれんな」
王都まで招かずとも、王家から歓迎の意を伝える方法はある。
「王都まで求めずとも、私から歓迎の親書を届けることくらいはできぬか」
「陛下。先方の文面には、大規模な歓迎、儀礼、会談は求めないとございます」
軍務の責任者が、先触れの一節を示した。
小会議室が一度、静かになった。
「求めていないだけで、こちらから申し出ることまで禁じているわけではございません」
交易担当の官僚が答える。
「だが、公式訪問にする意思がないことは明らかだ。王都へ進路を変えさせれば、意向を無視したと受け取られかねん」
「強要する必要はございません。選択肢としてお伝えするだけならば」
「その選択肢を、断りにくい形で出すことが問題なのだ」
私的訪問を尊重すべきだという意見と、得難い機会を生かすべきだという意見がぶつかり合った。
その時、一人の官僚が文書の補足へ注目した。
「そもそも、そのリーネという赤子が今回のご訪問の理由なのでしょう?」
「リュセル殿下と、その子へ会うためと聞いている」
「でしたら、その子を介して王妃陛下との接点を設けることもできるのではございませんか。たとえば、リーネを王都へ――」
「……リーネは我が国の民だ。王家が王都へ招き、王妃陛下との対面の場を整える名目は立つな」
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