第5話 世界最強、育児に敗北する(前編)
「ほら、止まってないで続けな」
「分かっている」
最後のひと匙を飲ませる。
赤子は満足したように口を閉じた。
「終わりか」
「まだだよ」
「まだ何かあるのか」
「背中を軽く叩いて、げっぷをさせな」
「…げっ……何をさせる?」
「飲み込んだ空気を出すんだよ」
「それなら放っておけば自然に出るだろう」
「出ないこともある。赤子の腹が苦しくなるよ」
言われた通り、赤子を起こす。
老婆が私の肩へ布をかけた。
「その子の顎を肩に乗せて、背中をとんとんしてやりな」
「どの程度の強さだ」
「軽く叩くんだ」
私は赤子の背中へ手を添えた。
人間の赤子に合わせた軽さを考え、指先だけを動かす。
「弱すぎだね」
「先ほどは軽くと言っただろう?」
「赤子に合わせた加減ってものがあるんだよ」
「……人間の基準は狭すぎる」
「文句を言わずにやりな」
数度、背中を叩く。
赤子の口から小さな音がした。
その直後、肩へ温かいものがかかる。
「……吐いたぞ」
「少しくらい戻すこともあるよ」
「私の外套に」
「洗えばいいだろう」
「これは1000年樹の繊維で織られた――」
「赤ん坊より外套の心配かい?」
老婆に睨まれる。
私は黙った。
『主よ』
「何だ」
『お似合いです』
「何がだ」
『肩の染みが』
「……後で覚えておけ」
赤子はすっきりしたのか、私の肩へ頬をつけている。
丸まっていた手が開き、私の外套の上へ落ちた。
これで終わりだと思った直後、妙な匂いがした。
「……ルヴェン」
『はい』
「何か匂わないか…?」
『私には、赤子から漂っているように感じられます』
老婆が赤子の腰回りを確認する。
「ああ。おむつだね」
「腰の布か?」
「汚れたから替えるんだよ」
「……誰が??」
老婆は布を台へ置き、私を見たまま顎で寝台を示した。
「……私がか?」
「拾ってきたのは、あんただろう」
「…村へ連れてきた」
「だから?」
「ここからは人間の仕事だ」
「じゃあその人間の仕事を今、覚えな」
「必要ない」
「今夜、誰がこの子を見るんだい?」
「引き取り手を探せ」
「こんな時間に、戦争孤児を引き取れる家がすぐ見つかると思うかい?」
「村で相談すればいい」
「この村だって豊かじゃない。明日にでも皆で話すが、今夜は無理だよ」
「ならば、この家で――」
「あたしゃ腰が悪い。夜通し赤ん坊を抱くなんて無理だね」
「他の者は」
「みんな自分の子や畑がある」
「では、どうしろと」
「拾った者が面倒を見る、そういうことだろう?」
なんと理不尽な……
「一晩だけ我慢しなよ」
老婆はそう言って、布とぬるま湯を用意した。
「ほら、替えな」
「……私は竜を倒したことがある」
「そうかい」
「…一国の軍勢を一人で退けたこともある」
「そりゃ立派だねえ」
「……大精霊と契約している」
老婆は横に侍る大精霊をちらりと見る。
「そんなの見れば分かるよ」
「その私に、赤子の汚れた布を替えろと?」
「竜を倒せるなら、それくらいできるだろう。違うかい?」
「……ぐっ」
竜を倒せると言った手前、反論できなかった。
私は赤子を寝台へ横たえて布を開き、指先を浮かせたまま老婆へ顔を向けた。
『リュセル様』
「何だ」
『お顔が、竜王と対峙された時より険しいですが』
「…黙れ」
「さっさと替えな。冷えるよ」
老婆に急かされ、私は指先を動かした。
「……清浄」
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