第48話 王家の使者は、言葉を失う(前編)
その日の朝、私は食堂を兼ねた共用空間の食卓で、リーネへ離乳食を食べさせていた。
リーネは私の膝の上に座り、匙が近づくと口を開ける。
最初は何が運ばれてくるのか分からない様子だったが、最近は匙を見れば次に食べ物が来ると覚え始めたらしい。
もっとも、毎回きれいに食べられるわけではない。
口を開けたまま匙へ手を伸ばし、指先を中身へ入れようとする。
その手を押さえて次の一口を運ぶと、食卓のそばで伏せていたルヴェンが尾を動かした。
リーネはすぐにそちらへ顔を向ける。
匙の先が頬へ触れ、柔らかく煮た穀物が口元へつく。
「今は食べる方を見ろ」
『リーネ様、お食事中でございますよ』
布で拭っても、リーネはルヴェンの尾を目で追っていた。
急がせる必要はないため、こちらを向くまで匙を止めて待つ。
やがて顔が戻り、次の一口を待つように口が開いた。
その時、開いていた窓から風のフィルネが入ってきた。
『主。森へエルフが一人入ってきたよ』
私は匙を止めた。
この森へ人間が来ることはあっても、エルフが単独で来ることは珍しい。
「エルフ?」
『うん。それと、主と同じ印を持ってる』
『王家からの御使者でしょうか』
王家の印か。
それなら、ハイエルネリアから来た者だろう。
膝の上を見ると、リーネはまだ口を開けていた。
器にも離乳食が残っている。
私は何事もなかったように匙を取り直した。
「イレナ。誰が来たのか確認してくれ」
入口近くに控えていたイレナが一礼する。
「リーネが食べ終わるまでは待たせておけ」
イレナは一瞬だけ私を見た。
だが、何も聞き返さずに頭を下げる。
「承知しました」
イレナが根元へ向かった後も、私は食事を続けた。
食べている途中でリーネを抱えて移動すれば、落ち着かないだろう。
来訪者には、少し待ってもらえば済む。
リーネは二口続けて食べた後、三口目の匙を両手で掴もうとした。
「これは持たなくていい」
匙を少し上げると、リーネも両手を上へ伸ばす。
その隙に口へ運ぶと、今度は素直に食べた。
しばらくして、イレナが戻ってきた。
「来訪者は、ハイエルネリア王家直属侍従のエルディン様です。四体の精霊も、危険はないと判断しております」
「エルディンか」
本国にいた頃から何度も顔を合わせている。
知らない者ではないが、それでも食事を途中で切り上げる理由にはならない。
私は残っていた数口をリーネへ食べさせた。
最後に口元を布で拭き、カップから水を少し飲ませる。
「通してくれ」
「承知しました」
◇
エルディンはイレナに案内され、共用空間へ入ってきた。
私は食事を終えたリーネを抱き、椅子に座って待っていた。
昔と変わらない王家の侍従服をまとったエルディンが、私の前で足を止める。
ルヴェンも敷物の脇で尾を伏せたまま、エルディンの様子を見ていた。
「久しいな、エルディン」
エルディンはすぐに王族へ対する礼を取りかけた。
だが、その視線が私の腕の中へ移る。
動きが、ほんの一瞬止まった。
「何だ」
エルディンは顔を上げ、改めて礼を終える。
「ご無沙汰しております、リュセル殿下」
そう言った後、もう一度リーネを見た。
「だから、何だ」
「……いえ。王護登録書の内容が事実であることを確認しておりました」
「私が虚偽の登録をするとでも思ったのか?」
「そのような意味ではございません」
エルディンはすぐに否定し、持っていた鞄から一通の書状を取り出した。
「王妃陛下より、こちらをお預かりしております」
私はリーネを左腕へ抱き直し、空いた手で私信を受け取った。
エルディンの目が、その動きを追っている。
今度は問い返さず、そのまま封を開けた。
私信には、王護登録書を確認したと書かれていた。
リーネという人間の女児を保護し、今も私が育てていると知ったこと。
登録書には必要最低限しか記されておらず、リーネがどのように暮らしているのか分からないため、エルディンを向かわせたこと。
そして、リーネが元気にしているのなら、一度自分の目で見たいということ。
最後には、こう記されていた。
――あなたがリーネをこちらまで連れて来ないことくらい分かっています。ですから、そのうち私が会いに行きます。
そこまで読み、私は眉を寄せた。
「勝手に決めているな」
「王妃陛下でございますので」
「理由になっていない」
私信には、いつ来るとも書かれていない。
母上の性格なら、先に書くだけ書いておいた可能性もある。
私は書面を畳み、卓上へ置いた。
エルディンは、少し離れた場所にいたマルタたちへ目を向けた。
マルタは離乳食の器を片づけようとし、セラとニナは食卓の周りを整えている。
イレナも入口のそばへ戻っていた。
「こちらの方々は?」
「ここで暮らしている者たちだ」
エルディンが一瞬黙った。
「……皆様が、こちらで?」
「そうだ」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




