第47話 ハイエルネリア王家は、大騒ぎ
ハイエルネリア王宮の王家記録局で、一人のエルフ文官の手が止まった。
アルヴァリス王家の最上位庇護《七葉の王護》は、王家の者が国外で新たな対象へ与えた場合も、付与者と対象が本国の記録板へ刻まれる。
国外で新たに王護を与えた場合、付与した王族本人も、対象と庇護の理由を記した王護登録書を本国へ送る決まりになっていた。
その朝、リュセル本人から届いた王護登録書を開いた文官は、記録板と同じ名をそこに見つけた。
付与者、リュセル・アルヴァリス。
ここまでは問題ない。
庇護対象、人間の女児、リーネ。
年齢、乳児。
文官は記録板へ顔を戻し、名と種族を一字ずつ確かめた。
次に、手元の王護登録書へ記された付与者と対象を、もう一度確認する。
どちらにも、同じ内容が記されていた。
登録書には、庇護対象だけでなく、現在の扱いも簡潔に記されていた。
リュセルが人間の乳児を自ら保護し、現在も手元へ置いて養育している。
文官の指が、そこで止まった。
彼は王護登録書を持って上司の席へ向かった。
上司は付与者の名を読み、対象欄で一度瞬きをし、登録書の最後まで目を通す。
「……記載の誤りではないのだな?」
「記録板の内容と、リュセル殿下ご本人から届いた王護登録書が一致しております」
上司はもう一度、対象欄へ目を落とした。
その後、王護登録書は王家直属侍従エルディンのもとへ運ばれた。
◇
エルディンは、差し出された王護登録書へ目を通した後も、すぐには口を開かなかった。
王宮へ仕えて長いエルフである。
リュセルがハイエルネリアにいた頃から、帰国時の出迎えや王家への報告を何度も取り次いできた。
「保護なさっている、という意味ではないのですか?」
「いえ。登録書では、ご自身で養育なさっているとのことです」
記録局の文官から返され、エルディンは王護登録書を読み直した。
「……リュセル殿下が?」
「はい」
「人間の赤子を……ご自身で?」
「そのように登録されております」
エルディンは王護登録書を卓上へ置いた。
ハイエルネリア王国に暮らす者の大多数はエルフである。
王宮で働く文官、侍従、兵士、使用人も、ほとんどがエルフだった。
一方、現存が確認されているハイエルフは、世界全体でも十人前後しかいない。
その全員が、アルヴァリス王家に属する王族である。
エルディンにとってリュセルは、世界でもわずかしか存在しないハイエルフの王子だった。
だが今、登録書を三度も読み直した理由は、その身分ではない。
あのリュセルが、人間の赤子を育てている。
リュセルが人間を助けたというだけなら、エルディンも驚かなかった。
人間を嫌っていても、目の前で死にかけている赤子を見捨てるような人物ではない。
しかし、人間の乳児へ《七葉の王護》を与えた。
そのまま自分のそばへ置いた。
今も自ら育てている。
これらは、通りがかりに命を救っただけでは説明できない。
エルディンは王護登録書を手に、国王と王妃の私的な居室へ向かった。
◇
「リュセル殿下について、新たな報告がございます」
エルディンが告げると、リュセルの父である国王は手元の本を閉じた。
「聞こう」
エルディンは、記録で確認できた事実を順に伝えた。
リュセルが人間の女児を保護していること。
その子へ《七葉の王護》を与えたこと。
現在も、乳児を自ら育てているとリュセル本人の登録書に記されていること。
「……誰が?」
王妃が聞き返した。
「リュセル殿下でございます」
王妃は口を閉じ、エルディンの顔を見た。
「私のリュセルが?」
「はい」
国王はエルディンから記録を受け取り、自分で読み始める。
王妃はその横から対象欄を覗き込んだ。
「……人間の女の子。リーネというのね」
王妃の指が、登録書の最後の一文で止まった。
「それで、本当にリュセル自身が育てているの?」
「リュセル殿下ご本人の登録書には、そのように記されております」
「あの子が父親になったということ?」
エルディンにも、王妃が養子縁組や法的な身分を尋ねているのではないと分かった。
人間の赤子を自分のそばへ置き、自ら育てているリュセルを、父親という一語で表したのだ。
「まだ、そこまで決まったわけではないだろう」
国王がすぐに訂正した。
「では、あなたはリュセルが人間の赤子へ王護を与え、自分で育てている理由を、ほかに説明できるのですか?」
国王は記録を持ったまま黙った。
しばらくして、書面を卓上へ置く。
「……まず、事実を確認しよう」
落ち着いた声だった。
だが国王は、その直後にエルディンへ顔を向ける。
「本当に、リュセル本人が育てているのだな?」
「リュセル殿下ご本人の登録書には、そう記されております」
エルディンは一礼しながら、国王も相当に動揺していると気づいた。
王妃は、まだ記録から目を離していなかった。
「今は、どこで暮らしているの?」
「ローディネル王国の都市ヴァルネ、その近郊に新しい住居を構えたところまでは確認されております。詳しい生活状況は、報告にございません」
「誰かほかに一緒にいるの?」
「そちらも詳細は不明でございます」
王妃は少し考え、登録書を置いた。
「それで……乳はどうしているの?」
エルディンは登録書の内容を思い返したが、そこまでの記載はなかった。
「そこまでは、登録書に記されておりません」
「このまま想像していても仕方がない」
国王が、そこで話を止めた。
「誰かを現地へ向かわせよう」
王妃が顔を上げる。
その視線がエルディンへ向いた時、彼は嫌な予感がした。
「エルディン。あなたが行ってちょうだい」
「私が、でございますか?」
「あなたは、昔からリュセルを知っているでしょう。あの子を知らない者が行っても、以前と何が違うのか判断できません」
理由を聞き、エルディンは自分が選ばれた意味を理解した。
任務は、王妃からの書状をリュセルへ届けること。
そのうえで、人間の乳児リーネが本当にいるのか、リュセル自身が本当に育てているのか、どのような環境で暮らしているのかを自分の目で確かめ、王家へ伝える。
監視でも、国家間の調査でもない。
遠くで暮らす王子と、そのそばにいる赤子を、家族が確かめたがっているだけだった。
エルディン自身も、リュセルが人間の乳児を抱く姿を想像できずにいる。
任務でなかったとしても、報告が事実なのか見てみたい気持ちはあった。
「ローディネル王国側へ、余計な騒ぎを起こすな」
国王が念を押した。
「王家の正式な外交使節ではない。今回は、あくまで私的な訪問だ。外交上の先触れも、儀仗も必要ない」
「承知いたしました」
王妃からリュセルへ渡す私信も、エルディンの出立までに用意されることになった。
エルディンは一礼し、手元の王護登録書を整えた。
「一つ、リュセルへ伝えておいて」
退出しようとしたところで、王妃に呼び止められる。
エルディンは足を止め、振り返った。
「何とお伝えいたしましょう」
王妃は少し考えてから答えた。
「近いうちに、私もリーネに会いに行く、と」
「待て」
国王が止めた。
「何です?」
「お前まで行くのか?」
王妃は、当然のことを聞かれたように首を傾げる。
「当たり前でしょう。あのリュセルが父親になったというのですよ?」
「だから、まだ父親になったと決まったわけではない」
「では、エルディンに確かめてきてもらいましょう」
王妃は改めてエルディンを見る。
「リュセルには、母が会いに行くと伝えておきなさい」
「承知いたしました」
エルディンは一礼し、王家の居室を出た。
居室を出る頃には、王宮に滞在しているほかのアルヴァリス王族にも知らせが伝わり始めていた。
各居室から戻ってきた侍従たちが、困惑した顔で似たような言葉を口にしている。
――あのリュセルが?
――人間の?
――赤子を?
長く仕えてきたリュセルが、人間の乳児を腕に抱いている。
廊下を歩きながら、もう一度その姿を思い浮かべようとした。
やはり、どうしても想像できない。
それでも報告が正しければ、遠からず自分の目で見ることになる。
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