↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/104

第46話 リーネと私の肖像画

 リーネが初めて自分の力で私のところまで進んでから、数日後の朝、マルタは窓辺で着替えをさせていた。


 私はそのそばに立ち、敷物の上で動く小さな手足を見ていた。

 腕を袖へ通されたリーネは、布の鳥へ手を伸ばしながら「あぅ」と声を上げた。


 「この服は、そろそろ仕立て直した方がよさそうでございますね」


 マルタが、リーネの右袖を指でつまんだ。


 「どこか傷んだのか?」


 縫い目にほつれはなく、布にも破れは見当たらない。

 袖口まで指で確かめても、直すべき傷はなかった。


 「服が傷んだのではございません。リーネ様が大きくなられたのでございます」


 マルタは袖口を伸ばし、リーネの手首へ合わせた。


 この服を着せ始めた頃、袖は手の甲へかかっていた。

 今は腕を伸ばすと手首がすべて見え、袖口との間にわずかな隙間までできている。


 「袖が短くなったのか」


 「はい。身体が大きくなられた分だけ」


 リーネは袖口を握ろうとして手を開き、届かないと分かると、今度は自分の足先へ指を伸ばした。


 離乳食を口にし、腹這いで進むようにもなった。

 できることが増えたのは分かっていたが、身体まで大きくなっていたことには、短くなった袖を見て初めて気づいた。


 「人間の赤子は、今の時期にはどんどんお姿が変わります」


 マルタは新しい服へ着替えさせ、短くなった服を脇へ畳んだ。

 それから、畳んだ服とリーネを見比べる。


 「この服が着られなくなる頃には、今のお姿も見られなくなっているのでしょうね」


 「それほど早く変わるのか?」


 「はい。ですから今のうちに、リーネ様のお姿を絵に残しておかれてはいかがでしょう」


 「……絵とは、肖像画のことか?」


 「はい、その通りでございます」

 

 「肖像画か……そもそもだが、私が覚えていれば、わざわざ絵にする必要はないのではないか?」


 「いえ、リュセル様がお忘れにならないためだけではございません」


 マルタは着替えを終えたリーネを抱き起こし、どうぞ、と私へ渡した。


 「リーネ様が大きくなられた時、ご自分が赤子の頃はどのようなお姿だったのかお見せできます。この頃のことをリーネ様ご自身が覚えておくのは難しゅうございますから」


 腕の中のリーネは、私の襟へ指をかけて引いている。


 私が覚えているだけでは、リーネは自分の姿を知ることができない。

 絵があれば、言葉を理解するようになった時に、今の姿をそのまま見せられる。


 「分かった」


 私は、朝の報告に来て部屋の入口に控えていたイレナへ顔を向けた。


 「ヴァルネで絵師を探してくれ。人間の赤子を描いたことがある者を一人だ」


 「承知しました」


 イレナは条件を聞き返すことなく一礼し、その日のうちにヴァルネへ連絡を出した。



 ◇



 数日後、イレナは一人の絵師を連れて大樹の家へ戻ってきた。


 「身元とこれまでの仕事は、辺境伯家でも確認しております。家へ入れることは、四体の精霊も認めました」


 イレナの報告を聞いてから、私は絵師へ目を向ける。


 「赤子を描いたことがあるのか?」


 「はい。じっとしていられないお子様も、何人か描いております」


 マルタが求めたのは、今のリーネを残す絵だ。

 長く座っていられないせいで別人のような姿になるのでは意味がない。

 その経験があるのなら、任せてもよさそうだった。


 共用空間の窓辺に、絵師の道具が並べられる。

 最初は、私が身体を支えた状態で、絵にはリーネ一人だけを描く予定だった。


 だが、リーネはまだ背を起こしたまま長く座っていられない。

 私は椅子へ腰を下ろし、膝の上にリーネを座らせた。

 手には、北緑館から持ってきた布の鳥を持たせておく。


 「では、そのままでお願いいたします」


 絵師が下描きの筆を動かす。


 リーネは布の鳥を握ったまま、絵師が動かす筆を目で追い、顔までそちらへ動かした。

 絵師が紙へ目を落とすと、今度は窓辺を通った風のフィルネへ顔を向けた。

 さらにルヴェンの尾が左右に揺れると、今度はそちらへ身を乗り出した。


 「リーネ様、もう少しだけ、こちらへお顔を向けていただけますか」


 頼まれた方向へ向くよう、私は膝の上の身体を戻した。

 正面を向いたのは、絵師が筆を持ち上げるまでだった。

 リーネはすぐに首を回し、ルヴェンの尾へ手を伸ばす。


 もう一度戻しても、今度は窓の外で揺れた葉へ目を向けた。


 「あぅ!」


 三度目に身体を戻そうとしたところで、リーネは眉を寄せ、布の鳥を膝へ叩きつけた。


 「もういい」


 私が告げると、絵師は筆を止めた。


 「本日は、ここまでになさいますか?」


 「そうではない。絵を描くために、リーネを同じ向きへ押さえておく必要はないと言っている」


 残すのは、こちらの都合で動きを止められ、不満そうにしている姿ではない。

 私が見せたい今のリーネは、そんな顔をしていなかった。


 絵師はリーネを見て、それから手元の大きな紙を脇へ置き、小さな紙を何枚か取り出した。


 「でしたら、普段どおりに過ごしているところを描かせていただけませんか」


 「動いていても描けるのか?」


 「一枚をその場で完成させるのではなく、まず小さな紙へ何枚も姿を写します。その中から一枚を選んでいただければ、工房で正式な絵に仕上げられます」


 リーネの動きを止めずに、今の姿を残せる方法らしい。

 それなら、最初の目的にも合っている。


 「それで頼む」


 私はリーネを膝から抱き上げ、敷物の中央へ下ろした。

 布の鳥も、両手の届くところへ置く。



 ◇



 リーネは布の鳥を掴むと、左右へ大きく振り始めた。


 絵師は細い炭を走らせ、その腕の形を一枚目の紙へ写す。

 リーネが鳥を手放し、腹をつけたまま腕で身体を引くと、新しい紙へ替えた。


 ルヴェンの尾へ指を伸ばす姿。

 マルタがイレナへ声をかけると、そちらへ振り向く姿。

 床を横切った風のフィルネを見上げる姿。


 絵師は一つの姿勢を続けさせようとせず、リーネが動くたびに紙を替えていく。


 「肖像画とは、随分違うな」


 私が呟くと、絵師は手を動かしたまま答えた。


 「お顔を整えて描く一枚もございます。ですが、今しかなさらない動きを残す絵も、肖像画でございます」


 敷物の端には、描き終えた小さな紙が並んでいる。

 布の鳥を振る時には肘が曲がり、ルヴェンの尾へ手を伸ばす時には腹が床へついている。

 どれも飾ってはいないが、私がすぐそばで見ていたリーネと同じだった。


 しばらくして、リーネが動きを止めた。


 顔を上げ、敷物から少し離れた椅子に座る私を見ている。


 「あぅ」


 声を上げると、両手を敷物につき直した。

 片腕ずつ前へ伸ばし、腹をつけたまま、私のところまで身体を引いてくる。


 数日前にも見た動きだ。

 私は椅子から立ち上がらず、足元まで来るのを待った。


 リーネは私の靴先へ触れるところまで進み、垂れている衣の前を両手で掴んだ。

 布を引きながら上体を起こし、腹の下へ両膝を入れる。


 前に同じことをした時は、ここから片足をついたところで身体がぐらつき、私は両脇を支えた。


 今は私の目の前で、背後には柔らかな敷物しかない。

 転ぶとしても、柔らかな敷物の上だ。


 私はすぐには触れず、両手だけをリーネの身体の後ろへ回した。

 背にも脇にも触れてはいない。


 リーネは衣を握ったまま膝立ちになり、右足を前へ出した。

 足裏が敷物へつく。


 腰が一度下がりかけた。

 だが、リーネは右手で布を握り直し、腕を曲げて身体を上へ引く。


 曲がっていた右脚が伸び、左膝が敷物から離れた。

 左の足裏も床へつく。


 私の手は、まだリーネの身体へ触れていない。


 リーネは両手で私の服を掴み、自分の両脚で立っていた。


 「…………」


 マルタが息を呑み、イレナも入口で動きを止める。

 誰も声を上げなかった。

 まず倒れないかを確かめるように、リーネの足元を見ている。


 紙の上で炭が走る音だけがした。

 絵師は声をかけず、衣を掴んで立つリーネと、その身体の左右へ触れない距離で両手を添える私を描いている。


 リーネが顔を上げた。

 私を見ると、右手を服から離し、こちらへ伸ばしてくる。


 支えが左手だけになり、身体が右へ傾いた。


 私は待つのをやめた。

 倒れる前に両脇へ手を入れ、そのまま抱き上げる。


 リーネは目を丸くしたものの、泣きはしなかった。

 伸ばしていた右手で私の襟を掴み、左手も服から離さない。


 「……立ったな」


 「今度は本当に、ご自分で立たれましたね」


 「あぃ」


 リーネは答えるように声を上げ、私の襟を引いた。



 ◇



 その後もしばらく遊んでいたリーネは、やがて眠そうに目をこすり始めた。


 私はリーネをマルタへ預けた。


 絵師が炭を置いたのは、マルタの腕の中でリーネが眠り始めた頃だった。


 片づけを終えたセラとニナも、敷物のそばへ来ている。


 今日描いた紙を、敷物の上へ順に並べる。


 布の鳥を振る姿。

 腹這いで私のところへ進む姿。

 ルヴェンの尾へ手を伸ばす姿。


 最後の紙には、私の服を両手で握り、自分の脚で立ち上がったリーネがいた。

 紙の中の私は、その身体の左右へ、触れない距離で両手を添えている。

 倒れそうになれば、すぐに支えられる位置だ。


 立ち上がったリーネを見下ろす目は、子を見守る父親のように穏やかだった。


 「どの姿を、正式な絵に仕上げましょうか」


 絵師の問いに、私は最後の紙を指した。


 「これだ」


 「こちらでよろしいのですか? お顔がよく見えるものや、リーネ様お一人だけのものもございますが」


 数日前、リーネが立とうとした時は、私が身体を支えた。

 今日は、私が触れる前に、自分の力で立った。

 今のリーネを残すなら、きれいに座った姿より、初めて立ち上がったこの瞬間の方がいいと思った。


 「ああ。それでいい……それを残してくれ」


 「承知いたしました。この一枚をもとに、正式な肖像画へ仕上げます」


 絵師は選ばれた紙を両端から持ち上げ、ほかの素描とは分けて道具箱の上へ置いた。


 マルタは腕の中で眠るリーネを見下ろし、目元を和らげる。

 セラとニナも、選ばれた素描を覗き込みながら微笑んでいた。


 三人の侍女の温かな視線が、眠るリーネと、紙の中で立つリーネへ静かに注がれていた。

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。