第49話 王家の使者は、言葉を失う(後編)
……何を確かめたいのだろうか。
イレナは外部との連絡と警護を担当している。
マルタたちはリーネの世話や家のことをする。
必要だから一緒に暮らしているだけだ。
今度は、エルディンの目が食卓で止まった。
片づける前の器と匙が、まだ卓上に残っている。
「こちらは?」
「リーネの食事だ」
「殿下が、お食べさせになっていたので?」
「そうだが?」
エルディンは口を閉じた。
「何かおかしいか?」
「……いえ」
それ以上は答えず、別の質問を続ける。
「リーネ様のお世話は、普段どなたが?」
「私とマルタたちだ」
「お休みになる場所は?」
「リーネの部屋だ」
「リーネ様のお身体の具合はいかがですか?」
「今のところ問題ない」
質問が途切れない。
「先ほどから何を確認している?」
「王妃陛下より、分かる限り確認してくるよう申しつけられております」
母上はエルディンを使い、リーネの暮らしを一つずつ調べさせているらしい。
「余計なことを」
聞こえているはずだが、エルディンは反応しなかった。
話を続ける間、私は食後のリーネを腕から敷物へ下ろした。
近くへ布の鳥を置くと、すぐに翼を掴む。
両手で鳥を振った後、腹をつけたまま腕で身体を引き、敷物の上を少し移動した。
エルディンは、会話の途中でも何度かそちらを見ている。
「気になるなら近くで見ればいい」
エルディンは少し驚いたように私を見た。
「よろしいのでございますか?」
「お前がリーネへ危害を加える理由はないだろう」
王家へ長く仕え、私も昔から知っている相手だ。
危険がないのなら、近づけても問題はない。
エルディンは一礼してから、敷物の少し手前まで進んだ。
リーネが布の鳥から顔を上げる。
初めて見るエルディンの顔をしばらく見た後、視線が長い耳の辺りへ移った。
「リーネ様」
エルディンが静かに呼びかける。
「あぅ」
リーネが声を返すと、エルディンの表情が少しだけ緩んだ。
しばらくすると、リーネの視線がエルディンから私へ移った。
私は敷物から少し離れた場所に座っている。
リーネは両手をつき直し、腹をつけたまま腕で身体を引いて、こちらへ進み始めた。
そのまま足元まで来ると、私の衣を両手で掴む。
布を引いて上体を起こし、膝立ちになってから片足を敷物へつけた。
この前から何度か見ている動きだ。
私は前ほど急いで手を出さず、転びそうになればすぐ支えられる位置へ両手を置いた。
リーネは衣を掴んだまま、もう片方の膝も持ち上げた。
両足の裏が敷物へつき、自分の脚で立つ。
「この前から、こうして立つようになった」
エルディンは少し遅れて口を開いた。
「もう、お立ちになるのですね」
返事が妙に遅い。
「さっきから何なのだ」
エルディンは、私の衣を掴んで立つリーネを見た。
それから、言葉を選ぶように間を置く。
「殿下。ハイエルネリアでは今、かなりの騒ぎになっております」
「何がだ?」
「殿下が人間の乳児へ《七葉の王護》を与え、ご自身で育てておられると判明したためでございます」
「登録書に書いただろう」
「はい。ですから、その内容を皆が信じられなかったのでございます」
やはり、意味が分からない。
「なぜだ?」
エルディンはまた少し黙った。
「以前の殿下をご存じの方ほど、信じられなかったのだと思います」
言いたいことは分かった。
私が人間を好んでいなかったことなら、エルディンも昔から知っている。
「人間が嫌いなのは今も変わらん」
エルディンは何も言わず、私の服につかまっている人間の赤子を見る。
それから私へ視線を戻した。
「……左様でございますか」
「その反応は何だ」
その直後、リーネの身体が少し揺れた。
私はすぐ両脇を支え、そのまま抱き上げる。
リーネは驚いたように目を丸くし、私の襟を掴んだ。
エルディンは、その動作も黙って見ていた。
「王妃陛下へは、王護登録書の内容に誤りはなかったとご報告いたします」
「最初から誤りなどない」
エルディンは否定せず、一礼した。
王護登録書には、私がリーネを手元へ置いて育てているとだけ書いた。
その一文だけで、食事の時間や誰と暮らしているか、どのように動くようになったかまでは記していない。
母上が知りたがっていたのは、そういうことらしい。
そしてエルディンが私信を入れていた鞄を閉じ、帰る準備を始める。
「もう一点、王妃陛下より申しつかっております」
「まだあるのか」
「近いうちに、王妃陛下ご自身がリーネ様へ会いに来られるとのことです」
私はエルディンを見た。
私信にも似たことは書かれていた。
だが、口頭でも伝えさせたということは、本当に来るつもりなのだろう。
「来なくていいと伝えろ」
すぐに答えたが、エルディンは静かに首を横へ振った。
「恐れながら、それは殿下ご自身からお伝えください」
「なぜ私が」
「私に王妃陛下のお考えを変えることはできません」
それはそうかもしれないが、納得はできない。
私が何か言おうとしたところで、腕の中のリーネが顔を上げた。
「あぅ」
エルディンがリーネを見る。
その表情は、初めてこの部屋へ入ってきた時より少し柔らかかった。
「王妃陛下も、きっとお喜びになるかと存じます」
「何を喜ぶというのだ」
エルディンは答えず、一礼した。
「それでは、失礼いたします」
イレナに案内されて出ていくエルディンを見送る。
腕の中へ目を落とすと、リーネは何も知らず、私の服を握っていた。
母上が、このリーネを見るためだけにハイエルネリアから本当にやって来るらしい。
「……面倒なことになった」
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