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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第42話 大樹の家には、朝がある(後編)

 リーネの世話が一段落すると、セラが近づいてきた。


 「リーネ様、おはようございます」


 リーネは声のした方へ顔を向ける。

 セラが顔を近づけると、リーネはその髪へ小さな手を伸ばした。


 「わっ」


 リーネの指が、垂れていた髪をつかんだ。


 「つかんでくださいました」


 「お姉ちゃん」


 後ろからニナの声が飛んでくる。


 「布、まだ残ってるよ」


 「少しくらいいいでしょう」


 「さっき間違えた分もあるよ」


 「……すぐやるわよ」


 セラはリーネの指から髪をそっと外し、布の籠へ戻った。

 代わってニナがこちらへ来た。


 「……おはようございます、リーネ様」


 そう言って、ニナは人差し指を一本、リーネの手の前へ差し出した。

 姉には遠慮なく言葉を投げるのに、その指だけはひどくゆっくりと近づいてくる。


 リーネは開いていた手を何度か動かし、指先に触れると、そのまま小さな指を巻きつけた。

 まだ一本を包みきれない手で、それでも離すまいと握っている。


 「握ったぞ」


 「はい」


 答えはいつもと同じ、落ち着いたものだった。

 しかし、リーネが握りやすいように指を少し曲げ、腕に負担がかからない高さまで自分の手を下げている。


 「嬉しくないのか」


 「嬉しいです」


 今度は間を置かずに返ってきた。

 だが、リーネの手が緩むたび、離れてしまわないよう指をそっと添え直していた。

 後ろでセラが笑う。


 「その指、しばらく返してもらえそうにないわね」


 「お姉ちゃん、仕事」


 「はい……」


 やはり、どちらが姉なのか分からない。



 ◇



 マルタは続いてリーネの乳を用意し始めた。

 水のネレアが必要な水を出し、火のカーナがその近くへ移動する。


 「火のカーナ様。こちらを少しだけ温めていただけますか」


 『これか』


 「はい。熱くしすぎないようお願いいたします」


 火のカーナの尾先が弱く光り、器の周囲だけが暖かくなる。

 マルタが頃合いを見て「そこまででございます」と告げると、火のカーナの光が消えた。


 精霊の力を使っているが、すべてを任せているわけではない。


 乳を温めるのは火のカーナだが、適温になったところで止めるのはマルタだった。

 飲ませる時刻も使う器も、精霊ではなくマルタが決めている。

 昨日、精霊たちがこの女を家へ入れた理由も、これなら分かる。


 乳を飲み終えたリーネが落ち着いた頃、マルタが別の話を始めた。


 「殿下のお食事はいかがいたしましょう」


 「私の分まで用意するのか」


 「はい」


 「必要ない。腹が減れば自分で何か取る」


 森へ出れば食べられる物はいくらでもある。

 そもそもルヴェンには、食事というものがない。

 精霊は何かを食べて命をつなぐ存在ではないため、時刻も献立も考える必要がなかった。


 「左様でございますか」


 そう答えたものの、マルタは引き下がらなかった。

 私がリーネと同じ時間に食卓を囲まないことが不服らしく、朝食の話を終わらせようとしない。


 「それでは駄目なのか」


 「今はまだ乳を召し上がるだけでございますが、リーネ様も成長すれば食事を取るようになります」


 「ああ」


 「その時には、食卓を囲む者が多いほど、きっとお喜びになります。皆が食べる姿を見て、ご自分も同じように食卓へつくことを覚えていかれます」


 なるほど…それなら話は変わる。

 私だけならどうでもよいが、リーネが覚える必要があるのなら、初めからその形にしておいた方がよいだろう。


 「では、そうしろ」


 「皆で同じ時間に、でございますか」


 「リーネが覚えやすいようにしろ」


 マルタが微笑んだ。


 「承知いたしました」



 ◇



 朝食の支度が整うと、風のフィルネと下級の風精霊たちが料理と食器を生活階へ運び、私たちも風に乗って同じ階へ上がった。


 昨日までは椅子と食器を運び込んだだけだった中央の部屋に、マルタたちが朝食を並べていく。

 私はリーネを膝の上へ抱いて席についた。

 ルヴェンは椅子を使わず、私の隣で尾を丸めている。


 だが、マルタの後ろにセラとニナが並び、三人とも食卓から離れたところに立っている。


 「何を立っているのだ。早く席につけ」


 セラが「えっ」と声を漏らし、ニナまで黙り込んだ。

 マルタもすぐには返事をせず、やがて口を開く。


 「ですが、私どもは侍女でございます。殿下と同じ食卓へつくわけにはまいりません」


 「関係ない。さっき言っただろう。食卓を囲む者が多いほど、リーネが喜ぶと」


 マルタは、自分が先ほど口にした言葉を返されて黙った。

 セラが「本当に?」と尋ねると、ニナが「殿下がそう仰ってる」と小声で返す。


 やがて姉妹が恐る恐る椅子を引き、マルタも困りながらその隣へ座った。

 それで全員かと思えば、イレナだけは私の後ろに控えたままだった。


 「お前も何を立っているのだ。早く座れ」


 「わたくしも、ですか?」


 「そうだ」


 イレナは「承知いたしました」と答え、空いていた席へ腰を下ろした。

 全員が席についたところで、マルタがもう一つ告げた。


 「量はございますが、今朝は殿下のお食事として整えたものしかございません。私どもまで同じものをいただくことになりますが……」


 「それの何が問題だ?」


 マルタが答えるより早く、膝の上のリーネが片手を上げた。


 「あぃ!」


 「リーネも問題ないと言っている」


 ルヴェンは隣でにやにやしている。


 「……ルヴェン」


 『何も言っておりません』

 

 そう返しつつ、ルヴェンのにやにやはそのままだった。

 結局、マルタは全員分の食器を揃え、私へ出すはずだった料理を同じように取り分けた。


 風のフィルネは窓辺に座り、水のネレアは近くの水場を漂っている。

 火のカーナは壁の上に張りつき、地のドルムもいつの間にか入口近くまで上がってきていた。


 随分と増えたものだ。

 旅を始めた時は私とリーネだけだったが、その後ルヴェンが加わり、今では一つの部屋に人間も精霊もいる。


 食事が始まると、当然ながら声も増えた。


 セラがニナへ話しかけ、ニナが返す。

 マルタが二人の会話へ加わっても、イレナは静かに食べ続けている。


 誰かが話すたび、膝の上のリーネは身体を弾ませた。

 セラが笑えば小さな声を上げ、ニナがそれに返すと、今度は足をばたつかせる。


 マルタの言った通り、食卓を囲む者が増えた分だけ、リーネの反応も増えていた。


 静かな場所へ連れてきたことは間違っていない。

 だが、人の声まで遠ざける必要はなかったらしい。


 リーネはこれから言葉を覚え、人と話し、人と関わっていく。

 そのためには、こうして誰かの声が聞こえる場所も必要なのだろう。


 食事が終わる頃、マルタが尋ねた。


 「殿下。明日からも、朝はこのくらいの時間でよろしゅうございますか」


 好きにすればよい。

 そう答えかけて、やめた。


 私が何時に起きたいかなど、どうでもよい。

 今決めるべきなのは、別のことだ。


 膝の上のリーネが、マルタの声に反応して顔を上げた。


 「リーネに合うようにしてくれ」

読んでいただきありがとうございます。

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