第37話 この家に仕える条件②
試験と言う言葉を聞いたギルベルトは、反射的に眉間に皺を寄らせた。
「試験、でございますか」
「ルヴェン」
私が呼ぶと、リーネの隣にいたルヴェンが顔を上げた。
『承知しております、主。家付きの役目を引き受けた四体と、その配下をすでに呼び寄せております』
ルヴェンは木の寝床にいるリーネの手から尾先を離さないまま、翼を一度広げた。
大樹の外で、風の流れが変わった。
窓から入っていた風が部屋の中央へ集まり、私たちの周囲を一度巡ってから外へ抜けていく。
続いて、遠くに聞こえていた泉の水音が近づいてきた。
私は入口から外の踊り場へ出る。
螺旋階段の手すりの向こうで、細い水の帯が宙を上っていた。
泉から離れた水は地面へ落ちることなく、光を反射しながら大樹の周囲を巡り、高層部の踊り場まで届く。
高台の土が小さく盛り上がった。
そこから土塊に似た影が幾つも顔を出し、螺旋階段の下へ集まってくる。その中に、膝ほどの高さがある丸い石獣がいた。亀にも似た背に苔と小さな芽を載せ、ほかの影よりも遅れて進んでいる。
枝の間では、葉をまとった小さな姿が揺れていた。
淡い光だけで形を保つものもいれば、小鳥や獣に似た姿を取っているものもいる。
先に上ってきたのは、脚が床へ触れていない淡い青白色の小獣だ。長い耳と羽毛のような尾の周囲を、風の帯が絶えず巡っている。
水の帯の先端には、透明な細長い獣が姿を現していた。胸の内側で青い核が揺れ、水中を進むように宙を上ってくる。
橙色の火蜥蜴が大樹の入口まで上ってくると、木を焦がすことなく壁へ足をつけた。身体の中心に赤い光を抱え、尾の先だけが炎のように揺れている。
この四体は、ほかの者たちよりも形が安定していた。人間の言葉も話せる。
下級の精霊は人語を持たない者が多いが、大精霊であるルヴェンと、彼らをまとめる四体の指示は理解できる。
ギルベルトも入口から踊り場へ出て、螺旋階段の下に集まる精霊たちを見下ろした。
「これほどの数が、いつの間に……」
『この森と、その周辺にいた者たちでございます。足りなければ、さらに遠くからも呼び寄せられます』
ルヴェンはひげを淡い青白色の小獣へ向けた。
『風のフィルネ、水のネレア、地のドルム、火のカーナ。この四体が家付きとなり、属性ごとに下級の者たちをまとめます』
『昇降、換気、乾燥、見張りは私がやります。荷物も人間も運べます。今すぐでも』
風のフィルネは返事を待たず、ギルベルトの足元へ身体を広げた。
小獣の輪郭が崩れ、淡い光をまとった風となる。
『風のフィルネ。人間を運ぶ時は、先に何をするか伝えなさい』
『あ……』
ルヴェンが片方の翼を動かすと、階段の下にいた風の精霊たちもギルベルトの足元へ集まった。
「これは、何を――」
ギルベルトの身体が持ち上がった。
前に《蒼穹渡り》で運んだ時ほど高くはないが、両足は完全に踊り場から離れている。
ギルベルトは反射的に手すりへ手を伸ばしたが、その身体は風に包まれたまま外側へ運ばれていった。
「リュセル殿下っ!」
「落ちはしない」
風のフィルネと風の精霊たちは、ギルベルトを大樹の周囲へ沿って降ろし、長い螺旋階段を使うことなく地上へ運んだ。
少しして、同じ風が再びギルベルトを包み、私たちが待つ踊り場まで戻してくる。
風のフィルネだけが元の小獣へ戻り、彼の肩の高さを一周した。
足が床へ着くと、ギルベルトは両足で床を踏み直してから、階段の下を見た。
「今後は、これで人や物を運ぶおつもりですか」
「そうだ」
水のネレアが身体を水の帯へ広げると、窓の外から澄んだ水が室内へ入ってくる。
私は入口近くの壁へ手を触れ、木を浅くくぼませた。
水の帯がその中へ流れ込み、澄んだ水面を作る。
『泉に濁りはありません。毎日、朝と夜に確かめます。赤子に使う水は、温度も別に整えます』
水のネレアは水面の縁を一度巡ってから、再び透明な獣の姿へ戻った。
地のドルムは地上で、倒れていた太い枝の前で止まった。
『主。これは、どこへ』
「作業道の脇だ。根の上には置くな」
私の返答を聞いてから、地のドルムは枝の下へ潜り込んだ。背中の苔が土とつながり、周囲の土の精霊たちが一斉に枝を押し上げる。
枝が作業道の脇へ運ばれる間、葉をまとった木の精霊たちが根の周囲へ集まり、押し固められた土をほぐしていた。
別の木の精霊が大樹の幹へ触れると、外側の階段へ落ちていた葉が、伸びてきた細枝に巻き取られた。
火のカーナは壁の高い位置へ移り、尾の先を大きく揺らした。
部屋の灯りが増し、その周囲だけが穏やかに暖かくなる。
木の寝床にいたリーネが、揺れる光へ顔を向けた。
火のカーナはその場で身体の光を弱め、寝床の周りが暖かくなりすぎない位置へ移る。
リーネが手を動かすと、尾の火だけを左右へ揺らした。
「水を運び、荷を上げ、家と森を整え、灯りと暖かさを保つ仕事は、この者たちが行う。火に近い者がいれば、湯を沸かすのも容易だ」
『火だ』
火のカーナが壁の上から、私へ顔を向けた。
『火に近いものではない。火だ。湯も温められるし、料理の火も私なら安定させられる』
「そうか」
火のカーナの尾の光が、ひときわ大きくなった。
人間へ任せる必要があるのは、リーネの食事や衣類、人間側との連絡だ。
それならば二人か三人で足りるだろう。
イレナは水場へ近づき、運ばれてきた水を指先で確かめた。
水のネレアはその指先へ水面を押し上げ、直接触れさせている。
「これが常に使えるのでしたら、水汲みの必要はございません。物資も地上から運んでいただけるのであれば、人数は大きく減らせるかと存じます」
「では、二人か三人でよいな」
「はい、殿下。仕事の分担を確認する必要はございますが、八名は必要ないでしょう」
ギルベルトは、それ以上八人必要だとは言わなかった。
だが、集まった精霊たちは、人間が使う道具ではない。
四体は新しい家とリーネを守る役目を引き受けたからここにいる。
ルヴェンの命令は聞くが、誰にでも従うわけではなかった。
ギルベルトは窓の外に集まる精霊たちを見下ろし、そして何か気付いたような表情を見せる。
やがて、先ほどの私の言葉へ話を戻した。
「まさか、試験というのは……」
「この四体は、人間の言葉より、その内にあるものを見る」
風のフィルネは相手が精霊を支配し、縛ろうとする意図を感じ取る。
水のネレアは害意と隠した目的を探る。
地のドルムは家や森を使い捨てる意思を見る。
火のカーナが確かめるのは、リーネへ向けられる暴力性だ。
一体で人の心をすべて読むのではない。
四体がそれぞれに感じたものを重ね、この家へ入れるかを決める。
四体のうち一体でも拒めば、その人間をこの家へ近づけない。
「辺境伯が選んだ者でも、認められなければ入れないということですか」
「当然だ」
ギルベルトは隣にいるイレナを見た。
イレナも、集まった精霊たちを静かに見ている。
私はイレナへ顔を向けた。
「お前も受ける」
イレナが私を見返した。
「その試験を、私も受けるのでございますか」
「この家で暮らすなら当然だ」
「すでに任務は命じられておりますが」
「ギルベルトの命令と、この家へ入れるかどうかは別の話だ」
ギルベルトは否定しなかった。
辺境伯が命じた相手であっても、この家では例外にならない。
ルヴェンが翼を閉じる。
それを合図に、風のフィルネ、水のネレア、地のドルム、火のカーナがイレナの周囲へ寄ってきた。
下級の精霊たちは、少し離れた場所で動きを止める。
風のフィルネが起こした風がイレナの髪と衣服の間を通り、水のネレアは水場から抜け出して彼女の足元を巡った。
地のドルムが床へ身体を沈めると、イレナの靴底の下で木がかすかに動く。
火のカーナは彼女の顔の近くまで上り、赤い核の光を強めた。
イレナは手を払うことも、後ろへ退くこともしなかった。
ただその場に立ち、自分を囲む精霊たちの判断を待っている。
ギルベルトも口を挟まず、その様子を見守っていた。
「そうだ。この精霊たちに認められることが、この家に仕える条件だ」
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