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人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第2話 人間嫌いのハイエルフ、赤子を保護する

 『主よ、ご覧になるのは初めてで?』


 「これほど近くではな」


 『では、抱き上げてはいかがでしょう』


 「なぜ私が?」


 『泣いております』


 「それは見れば分かる」


 『では、早く』


 「…ルヴェン、私に命令するな」


 籠の中で赤子が手足を動かす。

 毛布が少しずれた。

 その下に、女の血で汚れた1枚の紙が挟まっている。


 私はそれを取り上げた。

 文字は半分ほど滲んでいた。

 それでも、短い文章は読み取れる。


 【――どうか、この子だけは】


 名前は書かれていなかった。

 守った女が母親だったのか、診療所の者だったのかも分からない。


 ただ、最後にこの赤子を託そうとした。

 顔も知らない、誰かに。


 「……勝手なものだ」


 『人間らしいですね』


 「ああ。自分で守り切れないものを、他人へ押しつける」


 『お断りになりますか』


 「当然だ」


 私は紙を毛布の上へ戻す。

 するとそれに合わせたかのように赤子が泣いた。

 先ほどよりも力強い声だった。


 「…何だ。元気ではないか」


 『主よ。これは空腹なのでは?』


 「……ならば、人間のいる村へ連れていけばいい」


 『最寄りの村までは、徒歩で半日ほどです』


 「私なら一刻もかからない」


 『では、主がお運びを?』


 「……お前が運べ」


 『大精霊たる私に、人間の赤子を口でくわえろと?』


 「背に乗せればいい」


 『主よ、それでは転げ落ちます』


 「では…風で固定しろ」


 『主よ、乳児を風の拘束術で縛るのは、あまりお勧めいたしません』


 「ならば籠ごと浮かせる」


 『先ほどの瓦礫を見て泣いておりますが』


 「……では、どうしろと言う」


 『主よ、抱き上げるのです』


 私は赤子を見る。

 赤子も泣きながら、私を見ている。

 澄んだ青色の瞳が、まっすぐこちらを向いていた。

 私が知る人間たちの目にある欲や嘘、敵意はどこにもなかった。


 ただ腹が減って、不安で、助けを求めている。

 私はため息をついた。


 「……これは一時的だ」


 『はい』


 「村へ届けるまでだ」


 『承知しております』


 「…人間の赤子を拾うわけではない」


 『生存者を移送されるだけですね』


 「そう、その通りだ」


 『記録のために』


 「……そうだ」


 『では、そういうことにしておきましょう』


 「ルヴェン」


 『精霊は笑いません』


 ルヴェンを軽く睨みつけつつ、私は籠の中へ手を伸ばした。

 しかし…どこを持てばいいのか。

 首も手足も頼りなく、胴をつかめば潰してしまいそうだ。


 「……抱き方は」


 『存じません』


 「…なぜ知らない?」


 『私は風と記憶を司る大精霊です。育児を司る大精霊ではございません』


 「百年も私のそばにいて、赤子の抱き方一つ知らないのか」


 『主も百年旅をなさっておりますが、同じくご存じないでしょう』


 「…私とお前を一緒にするな」


 『主よ、どのあたりが違うのでしょうか』


 私は結論の出ない無駄な話を切り上げ、そして過去の記憶を探る。

 遥か昔、人間の親が赤子を抱いている姿を見たことがある。


 首を支える。

 背に腕を回す。

 ……たしか、そうだったはずだ。


 赤子に視線を戻し、そして慎重に両手を差し入れ、赤子を持ち上げる。


 軽い。

 驚くほどに。


 竜の顎を片手で押さえたことがある。

 大地を割る魔法を受け止めたことも、王都を覆う結界を張ったこともある。

 だが、この小さな命を支える腕には、自然と力が入らなかった。


 「……脆いな」


 『赤子ですから』


 「これで、どうやって生きていく」


 『人間に育てられ、そして生を繋ぐのでしょう』


 「その人間が今はいない」


 『今は主がおられます』


 「……村までだ、ルヴェン」


 『はい』


 赤子は泣き続けている。

 抱き方が悪いのか、それとも揺らせばいいのか。


 魔法で眠らせれば――いや、赤子の身体に睡眠魔法は強すぎる。

 音を遮断する結界を張れば、私には聞こえなくなる。


 だが、仮にそれをやった所で、赤子が泣いている理由は解決しない。

 人間の赤子とは、これほど厄介な存在なのか。


 「…泣き止め」


 『主よ、赤子に言葉は通じません』


 「……命令ではない。頼んでいる」


 『……なおさら通じないかと』


 赤子が腕を動かした。

 小さな指が、私の銀色の髪に触れる。

 そのまま一房を掴めるだけ掴んだ。


 「おい、引っ張るな」


 赤子は泣きながら、髪を離さない。


 「…ルヴェン」


 『はい』


 「これはどうすれば離す?」


 『そのままでよいのでは』


 「よくない」


 『その割にはやけに嬉しそうですが』


 「私がか?」


 『赤子が、でございます』


 私は腕の中を見下ろした。

 赤子はまだ涙を流していた。

 それでも、私の髪をつかんだことで少し安心したのか、泣き声がわずかに小さくなっている。


 一生懸命に私の髪を掴んだ小さな手。

 ほとんど力などないのに、なぜか振り払うことができなかった。


 「……不思議なものだな」


 『何がです』


 「人間は、あれほど簡単に他者を傷つける。そのくせ、生まれたばかりの頃は、こんなにも無力だ」


 『初めから剣を握って生まれる者はいません』


 「ならば、いつから愚かになる」


 『それは育つ過程でございましょう』


 「…育て方が悪いのか」


 『さて。主がお確かめになってはいかがです』


 「なぜ私が育てることになっている?」


 『村まででしたね』


 「…そうだ」


 『失礼いたしました』


 私は赤子を抱いたまま立ち上がった。

 床に置いた自分の記録帳を拾う。

 先ほど開いていた頁には、書きかけの文章が残っていた。


 【――生存者、なし】


 私はそれを見つめ、筆を取る。

 そして、【なし】の文字へ1本の線を引いた。


 その下へ、新たに書き加える。


 【――生存者、一名】


 【――人間の女児。推定、生後数か月】


 少し考え、さらに続ける。


 【――近隣の集落まで、一時的に保護する】


 『一時的、と殊更強調しておかれなくてもよろしいのでは』


 「これはただ、状況を記録しているだけだ」


 『では、「保護する」でよろしいかと』


 「……そうだな」


 私は一時的に、という部分へ線を引いた。

 乾ききらない黒インクが、紙の上で少しだけ広がった。


 記録帳を閉じる。

 赤子が、また泣いた。


 「ルヴェン」


 『はい』


 「近くの村に、乳を出す家畜はいるか」


 『山羊が数頭おります』


 「人間の赤子は山羊の乳を飲むのか」


 『存じません』


 「では何を飲む」


 『人間の母親から出る乳では』


 「この赤子に母親はいない」


 『そうですね』


 「…代わりになるものは」


 『存じません』


 「大精霊のくせに、何も知らないな」


 『主ほどではございません』


 私は赤子を抱き直す。

 すると赤子は私の胸元へ頬を寄せ、ほんの少しだけ泣き止んだ。


 温かい。


 短命種の小さな身体から、確かな熱が伝わってくる。

 私は百年ぶりに、記録帳以外の重みを抱えて歩き出した。


 焼け落ちた街を出る頃には、日は傾き始めていた。

 腕の中の赤子が、私の髪を握ったまま小さく息をする。

 私は隣を歩く大精霊へ尋ねた。


 「……母親のいない人間の赤子には、結局、何を飲ませればいい?」

読んでいただきありがとうございます。

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