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人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第1話 生存者、一名

小狐新作です!

よろしくお願いします。

 ――生存者、なし。


 記録帳にそう書きかけた瞬間、瓦礫の奥から赤子の泣き声が聞こえた。


 私は筆を止めた。

 風が、焼け落ちた街の灰を巻き上げていく。


 半分から折れた時計塔。

 黒く焦げた家々。

 石畳の上に散らばった食器や、片方だけになった子どもの靴。


 昨日まで3000人ほどが暮らしていた辺境都市ロアナは、わずか一晩で地図から消えた。

 人間同士のくだらない戦争によって。


 「……聞こえたか、ルヴェン」


 『はい』


 私の後ろに立つ白銀の獣が、静かに答えた。


 狼に似た四肢。

 鹿のように枝分かれした角。

 背から伸びる、鳥の翼にも似た淡い光。


 大精霊ルヴェン。


 古き風と記憶を司り、ハイエルフの王族としか契約しない存在だ。

 人間の王であれば、1度その姿を目にしただけで地面に額を擦りつけるだろう。

 もっとも、今のルヴェンは煤が毛についたことの方が気になるらしく、長い尾でしきりに背中を払っている。


 『人間の赤子でしょう』


 「…そうか」


 『お探しになりますか?』


 「……なぜ私が」


 私は記録帳へ視線を戻した。


 【生存者、なし】


 最後の2文字を書けば、この街についての調査は終わる。

 あとは街の構造と戦闘の痕跡を簡単に図面へ残し、次の土地へ向かえばいい。


 私は救済者ではない。

 世界の記録者だ。


 国が生まれ、栄えた後に腐って滅びる。

 森が切り拓かれ、街道になり、やがて戦場になる。

 その変化を見届け、書物へ残す。


 それが、故郷の森を離れてから100年、私が続けてきたことだった。


 『泣き声が弱くなっています』


 「人間の赤子は、よく泣くものだろう」


 『よくご存じで』


 「…知識として知っている」


 『実際に世話をされたご経験は?』


 「あると思うか」


 『ございませんね』


 再び、かすかな声がした。

 今度の泣き声は、風に消えそうなほど細かった。


 私は筆先を紙へ下ろす。


 生存者――。


 筆先が紙に触れたまま、黒インクが小さく滲んだ。

 私は赤子の声を聞いた。

 それなのに、生存者なしと書くのか。





 私は人間が嫌いだ。

 だが記録へ嘘を残すことは、それ以上に嫌いだった。


 記録というものは、書いた者が消えた後にも残る。

 私が見ていないものを書いてはならない。

 見たものを、なかったことにしてもならない。


 「……確認する」


 『救助されるのではなく?』


 「ルヴェン、生存者の有無を確認するだけだ」


 『なるほど』


 「…何だ?」


 『主が「確認だけ」とおっしゃる時は、たいてい何かを拾って帰るものですから』


 「ふん……いつの話だ」


 『92年前の精霊樹、71年前の天馬、43年前の山岳民族。いずれも同じことをおっしゃいました』


 「…あれは放置すれば、記録対象が消えるところだった」


 『では今回も、記録対象の保全ということで』


 「まだ拾うとは言っていない」


 私は記録帳を閉じ、革鞄へ収めた。

 そしてルヴェンがいつものように私の後ろをついてくる。


 『それにしても、随分と足がお速い』


 「声が消える前に確認しなければ、生存者であったか判別できない」


 『承知いたしました』


 「何だ? 笑っているのか」


 『御冗談を。精霊は笑いません』


 「口元が少し上がっているぞ」


 『風の戯れでしょう』


 そして私は崩れた通りを進む。

 この街へ来るのは、初めてではない。




 四十年前、ロアナの中央広場には、隣国との終戦を記念する大きな樫が植えられた。

 敵も味方も武器を置き、二度と争わぬようにと、領主と市民が手を取り合って植えた木だ。


 そして今、その樫は切り株だけとなり、大半が戦争兵器の材料になった。


 かつて木の周りを走っていた子どもたちは、もう老人になっていただろう。

 その孫やひ孫が、今度はこの街を守り切れず、そして街は焼かれたのかもしれない。


 人間は誓いを忘れ、自分たちの短い時間の中で同じ過ちを繰り返す。

 だから、短命種には深く関わらない、そう決めたのだ。


 『こちらです』


 泣き声を頼りに進むと、診療所らしい建物へたどり着いた。

 屋根は落ち、石壁もほとんど崩れている。

 入り口には、白い杖へ薬草を絡ませた看板が半分だけ残っていた。


 赤子の声は、建物の奥から聞こえてくる。

 しかし、通路は瓦礫で完全に塞がれていた。


 ルヴェンが鼻先を動かす。


 『生命の気配は一つだけです』


 「周囲に敵意は」


 『ございません。ただし、建物のほうが厄介な状況で、梁が不安定です。手で除けば崩れる可能性が――』


 私は片手を上げた。

 そして指先を軽く曲げる。


 崩れた診療所を覆っていた瓦礫が、一斉に宙へ浮かび上がった。

 石壁や屋根、折れた柱に診療台。

 床を埋めていた破片まで、すべて同じ高さで止まる。


 街一区画分ほどの残骸が、まるで時間を止められたように空中で静止する。


 『主』


 「何だ」


 『加減をお願いいたします。赤子が驚いております』


 瓦礫の奥から、大きな泣き声が上がった。

 浮かせた瓦礫をその場へ留める。


 「先ほどまで声が弱いと言っていたではないか」


 『主の魔力に驚いて、元気を取り戻したのでは』


 「……なんと面倒な生き物だ」


 浮かせた瓦礫を通りの脇へ積み重ねる。

 人間の魔法使いが100人いても、半日はかかる作業だろう。

 だが私にとっては、道を塞ぐ落ち葉を払うのと大差はない。


 開けた通路の奥に、小さな部屋があった。

 そこだけは、不思議と火があまり回っていない。

 倒れた棚と寝台の間に、幾重にも毛布を重ねた塊が置かれていた。


 泣き声は、そこから聞こえている。

 私は膝をつき、焦げた毛布へ手を伸ばした。


 上の布を取り除くと、人間の女がいた。

 若い女だったが、すでに息はない。

 背中にひどい火傷を負い、両腕で小さな籠を覆うように倒れている。

 最後まで、籠の中のものを守ろうとしたらしい。


 「……愚かな」


 『何がでしょう』


 「逃げれば、女だけは助かったかもしれない」


 『それでも、守る方を選んだのでしょう』


 「短命種が、自分よりも脆い命を守ってどうする…」


 『主には理解できませんか』


 「……理解する必要があるか?」


 女の腕の下から、籠を引き出す。

 中には、赤子がいた。

 人間の赤子だ。


 頬には煤がつき、目元は涙で濡れている。

 端が少しだけ焦げた毛布にくるまれ、小さな拳を振り回しながら泣いていた。


 鼻先へ指を寄せると、弱いながら呼吸は一定している。

 露出した肌に火傷はなく、煤の大半は毛布の外側についていた。

 呼吸と皮膚を見る限り、すぐに治癒魔法をかける必要はない。


 しかし……あまりにも小さい。

 腕も、指も、首も。

 そう、何もかも、だ。

 わずかな力をかければ、壊れてしまいそうだった。


 「これが、人間の赤子か……」

読んでいただきありがとうございます。

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