第15話 辺境伯、千載一遇の客人に頭を抱える
ヴァルネ領主館の会議室では、東部国境の地図が卓上を埋めていた。
ギルベルト・グレイフェル辺境伯は、家令と守備隊長を相手に、砦へ送る麦の量と避難民用の寝床について確認している。
荷馬車は足りず、城内の倉庫にも余裕はない。
どこへ回しても別の場所が不足する話ばかりだった。
そこへ、城門からの使いが火急の封書を届けた。
戦時下の火急報告である。
ギルベルトは封を切り、敵軍の接近か、街道沿いの砦に異変があったものとして冒頭を読む。
ハイエルネリア王国、アルヴァリス王家に連なると名乗るハイエルフ一名、ヴァルネへ入城。
ギルベルトは同じ一文をもう一度、丁寧に読み返した。
「……ハイエルネリア王国だと?」
守備隊長が地図から顔を上げる。
家令は封書を受け取り、記された国名を確かめた。
「世界五大列強の一角にして、永世中立を掲げる閉鎖国家です。他種族を国内へほとんど入れず、各国が使節を送っても、王家どころか中央の役人に会うことさえ難しい国です」
ハイエルネリア王国は、人口も軍の規模も人間の大国には及ばない。
だが、数百年を生きる魔法使いと精霊に守られ、攻め込めば侵略した国の方が滅びかねない。
一方で魔術的側面から見ると、この王国は魔術的素材の宝庫でもある。
国土の大半を樹木で覆われた国であるが、元々が魔力が豊富な土地柄故に、貴重な植物や魔術的価値のある鉱物資源が多く眠る土地でもあった。
そう言った背景からか、高純度の魔晶石や精霊素材を求め、各国は長年その扉を叩き続けていた。
「その…エルフが住まう国の王族が、なぜここ、ヴァルネへ?」
守備隊長の問いに答えられる者はいない。
「各国が何十年、何百年とかけても会えぬ相手が、うちの城門へ並んでいたというのか」
報告書には、門番が確認した事実が続いていた。
名はリュセル・アルヴァリス。
人間の乳児を抱き、猫に似た、人語を話す存在を伴っている。
銀の印章へ魔力を通すと、大樹と七枚の葉が銀緑色に光り、城門一帯が森の朝を思わせる空気に包まれた。
王族を名乗る一方で一般の入城列へ並び、乳児の世話で列を離れた後は最後尾へ戻っている。
特別待遇も城主への先触れも断り、乳児を預けられる場所だけを尋ねて教会へ向かった。
報告書の末尾には、門番長の判断が添えられていた。
詳細不明。
されど、通常の旅人として扱ってよい相手ではない。
「……うむ。余計なことをせず、よく通した」
ギルベルトは報告書を卓上へ置いた。
「王家を名乗る偽物という可能性は」
守備隊長は疑うことを職務としている。
その確認を、ギルベルトも咎めなかった。
家令が印章の記述を指で示す。
「名を騙る者はおりましょう。しかし、周囲の空気まで変える印章となれば、単純な偽造とは考えにくいかと。偽物だとしても、ハイエルフ本人であり、高位の魔法を使い、人語を話す精霊らしきものを伴っております」
ギルベルトは「…ふむ」と頷き、守備隊長を見た。
それに応じるかのように、守備隊長も少しだけ間をおいて頷き返した。
「であれば、だ。本物として扱う。本物でなければ、後で訂正すればいいだけの話だ。だが、本物を偽物として扱った失態は、訂正では済まん」
報告書の中で、ギルベルトが二度読み直して気になった記述がもう一つあった。
人間の乳児。
そしてアルヴァリス王家の庇護下。
「……なぜ、閉ざされたハイエルフの王家が、人間の赤子を庇護している?」
その答えは、この場で答えられるものはいなかった。
だが、報告書の中では乳児は健康で、リュセルの外套へしがみつき、彼は列の順番より授乳を優先した事実が記されてある。
城門で大声が上がった際も、乳児を驚かせないよう周囲を制していることも記載されていた。
「どう理解していいのか……少なくとも、その子を害している者の行動ではない、か」
家令は、慎重に言葉を選んだ。
「接触を保てれば、国同士の連絡経路になり得ます。将来、限られた交易だけでも認められれば、我が国にとっては――」
「資源の話はするな」
ギルベルトは先を言わせなかった。
「各国が同じことを考え、同じ下心で門を叩いたから、今も閉ざされているのだろう」
魔晶石の一片でさえ王侯が欲しがる。
ギルベルトはもちろん、その価値を知らないわけではない。
だからこそ、最初に持ち出してはならなかった。
「これは好機だ。だが、好機だと思って手を伸ばした瞬間に失う類の好機でもある」
そしてこの会議の最中に、二通目の報告が届いた。
今度はヴァルネ教会からだった。
「ギルベルト様、ヴァルネ教会からでございます」
家令から渡された書簡をギルベルトは開いた。
「……なんと。この話は真か?」
ヴァルネ教会から送られてきた書簡には、半ば信じられないことが記されていた。
リュセルは乳児を人間の養育者へ預けようとした。
受け入れの用意は整っていたが、乳児が別離を拒み、教会内で強い風の魔力現象が発生。
リュセルが抱き戻すと収束した。
彼は当面、自ら保護を続けると決め、教会管理の北緑館へ移り、教会は複数のシスターを育児支援に出している。
そして、最後に猫に似た同行者については、大精霊級の存在である可能性が高いと記されていた。
「王族だけではなく、大精霊まで?」
守備隊長が報告書を見直した。
世界五大列強の王族が、大精霊級の存在を伴い、人間の赤子を王家の庇護下へ置いて領内に滞在している。
しかも外交目的ではなく、赤子を育てる場所を求めて来た。
一つでも王都へ火急報告を送るに足る事柄が、すべて同じ館へ集まっていた。
相手は軍を連れておらず、要求もしていない。
だからといって地方領主が知らぬふりをすれば、礼を欠くだけでは済まない。
情報が広まれば、王都からの指示を待つ前に商人や魔術師が北緑館へ押しかけることは、目に見えていた。
「館の周囲に兵を置きますか」
「兵で滞在先を囲めば、護衛ではなく、それはもはや包囲ですぞ」
家令の指摘に、ギルベルトも頷いた。
「剣を向けていない者へ、こちらから剣を見せる必要はない。誤解されるような挙動は厳に慎むべきである」
北緑館へ兵は近づけず、不必要な監視もしない。
館へ続く街道から離れた場所だけを巡回し、野次馬、商人、冒険者を近づけない。
教会からの補給は妨げず、滞在者の行動も乳児の出自も調べない。
守る相手は北緑館の内側ではない。
余計なことを企む外側の人間を抑えるための配置だった。
「ではこのように周辺に動員をかけるのはどうでしょうか」
守備隊長は地図を引き寄せ、館から見えない巡回路を選んだ。
兵には外国王族の警護だと知らせず、戦時中の街道警戒として命令する。
城門と教会で事情を知った者には口外を禁じ、役人が確認を名目に館へ出向くことも認めない。
「そうだな。館そのものは見張るな。周辺だけを管理しろ」
ギルベルトは地図の北緑館から視線を外し、ヴァルネ市街へ移した。
「暗部には、王族の噂を探る商人や、館へ近づこうとする不審者を洗わせろ」
家令と守備隊長はその言葉に驚きを見せるも、最終的には同意した。
◇
ギルベルトは、王都セルディオンへ火急報告を送るよう家令に命じた。
ハイエルネリア王国の王族が入城し、王家の印章と思われる反応と大精霊級の同行者を確認したこと。
人間の乳児をアルヴァリス王家の庇護下へ置いているが、敵対行動はないこと。
辺境伯家は礼をもって接触し、資源、交易、政治交渉を行わず、王都の正式な方針を待つこと。
王都までは早馬でも約5日かかる。
返答を待つ間の責任は、領主であるギルベルトが負う。
書記が封蝋を施すと、騎手は替え馬を使える通行証とともに封書を受け取った。
王都への急使が領主館を出ても、会議室には今すぐ決めなければならない問題が残っている。
「では、殿下を領主館へお招きする書状を」
家令が用紙を選ぼうとすると、ギルベルトが制した。
「招く、ではない」
「あちらは世界五大列強の王族だ。一方の私は一地方の辺境伯にすぎん」
正式な外交会談なら、ローディネル王国、国王でさえ迎える側になる。
「こちらへ来い、ではない。私が伺ってよいかと尋ねる」
使者には、外交実務に慣れた上級文官が選ばれた。
武装した護衛はつけず、従者は一人。
軍旗を掲げず、館へ勝手に入らず、まずシスターへ取り次ぎを頼む。
面会を断られても食い下がらず、資源、交易、同盟には触れない。乳児の出自を詮索せず、同行者を使い魔として扱わない。
使者は命令を書き留めず、聞いた順に復唱した。
ギルベルトは召喚を思わせる言い回しが一つもないことを確かめ、辺境伯家の印だけを押した書状を渡す。
すべての指示を聞き終えた使者へ、ギルベルトは最後に付け加えた。
「いいか、館では声を張るな。赤子を起こすな」
◇
翌朝、使者は従者一人だけを連れて北緑館へ着いた。
軍旗も武器も持たず、館から離れた場所で馬を降りる。
扉の前では声を張らず、出迎えたシスターへ書状を示して取り次ぎを頼んだ。
街道にも庭にも兵の姿はない。
領主の使者を迎える儀礼もなく、聞こえるのは井戸から水を汲む音と、館の中を行き来する足音だけだった。
案内されたのは、王族を迎えるための大広間ではなかった。
南向きの部屋には朝日が入り、壁では庭木の葉影が揺れている。
シスターの一人が布を畳み、別の一人は湯の温度を確かめていた。
部屋の中心にあるのは、人間の赤子が眠る寝床だった。
そのすぐ横へ机が置かれ、銀髪のハイエルフが記録帳へ筆を走らせている。
世界中の王侯が面会を望んできた閉鎖列強の王族が、赤子の寝息を妨げないよう紙を押さえ、筆先の音まで抑えていた。
使者は王都で外国使節の応対に同席した経験がある。
だが、国家の威信を示す旗も従者の列もない部屋で、これほど礼を誤ってはならない相手と向き合ったことはなかった。
窓辺では、猫ほどの姿をした存在が身体を丸めている。
使者が礼を取ると、その存在は片目を開いただけで、また寝床の方へ耳を向けた。
シスターが来訪を告げる。
リュセルは使者へ応じる前に寝床を確かめた。
リーネの目が閉じたままだと分かると、ようやく椅子ごと身体の向きを変える。
使者は声量を抑え、深く礼をした。
「ローディネル王国東部、グレイフェル辺境伯領を治めます、ギルベルト・グレイフェル閣下より書状をお預かりしております」
両手で書状を差し出す。
「辺境伯閣下は、殿下を領主館へお呼び立てする意向ではございません」
リュセルは差し出された書状を受け取り、封蝋をチラリと見た。
「殿下のご都合のよい折に、閣下自らこちらへご挨拶に伺い、面会の機会を賜りたいとのことでございます」
使者は頭を垂れ、返答を待った。
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