第131話 むふー! 王宮から来た世話役候補
居間の床で、リーネが絵本を開いていた。
父上のところから持ち帰った本で、鳥の絵がある頁を眺めている。
私はそばの椅子に座り、リーネが絵を見せてくるたびに言葉を返していた。
『主、ハイエルネリアからお返事が届いております』
ルヴェンの声に顔を上げると、精霊が封書を運んできた。
受け取って封を開く。
先日、父上へ返事を出した世話役候補の件だった。
候補に挙がったのは、ミリアという女性エルフだ。
王宮で実務を重ね、王家の慣習にも詳しいという。
本人もリーネの世話をしてみたいと望んでおり、私が会うつもりなら訪問の日を相談したいと書かれていた。
父上が選んだのだから、王宮の務めには慣れているのだろう。
だが、続く説明には少し引っかかった。
精霊への関心が強く、大祭でリーネに精霊が集まった話にも、興味を持っているらしい。
精霊を見たいだけの者が来ても困る。
私が頼もうとしているのは、リーネの世話だ。
それを任せられるかどうかは、本人と会ってみなければ分からん。
『いかがいたしましょうか』
「会うだけなら構わん。だが、迎えると決めたわけではないぞ」
『承知いたしました。そのようにお返事いたします』
手紙を読み終えると、リーネが絵本を置いて私のそばへ来た。
「りゅー、なあに?」
「ああ。父上の国から、客が来るそうだ」
「おきゃくさん?」
「そうだ。お前にも会ってもらうつもりだ」
リーネは少し考えてから、私が持つ手紙を見上げた。
「おなまえ、なあに?」
「ミリアというそうだ」
「みりあ」
名前を繰り返し、リーネは絵本のところへ戻った。
また鳥の頁を開く姿を見ながら、私は手紙を畳む。
どんな者かは、来た時に確かめればよい。
◇
約束していた訪問の日、イレナが客人を居間へ案内してきた。
マルタたちも居間におり、ルヴェンは私の近くにいた。
「お初にお目にかかります、リュセル殿下。ハイエルネリア王宮より参りました、ミリアと申します」
丁寧に頭を下げたのは、成人した女性エルフだった。
人間の感覚なら、二十代の初めほどに見えるだろう。
身なりは清潔に整えられ、挨拶を終えて私の言葉を待つ姿にも、慌てたところはない。
「父上から話は聞いている。だが、来てもらったからといって、すぐに迎えるわけではない」
「承知しております。まずはリーネ様と、皆様の暮らしを知る機会をいただければと存じます」
「それと、今いる四人を替えるつもりもない」
「はい。皆様からお教えいただくことも多いと思っております」
ミリアがマルタたちへ頭を下げると、マルタも挨拶を返した。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。リーネ様のことで分からないことがございましたら、何でもお尋ねください」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、心強いです」
イレナも家の中で分からないことがあれば案内すると伝え、セラとニナがそれぞれ名乗った。
ミリアは二人にも挨拶を返し、名前を確かめた。
その声を聞いて、絵本を手元に置いていたリーネが私のところへ来た。
「りゅー、だあれ?」
「父上の国から来たミリアだ。お前に会いに来たそうだぞ」
ミリアはリーネから少し離れたところで膝を折り、目線を合わせた。
「初めまして、リーネ様。ミリアと申します」
「みりあ?」
「はい。ミリアです」
「みりあ、こんにちは」
「こんにちは、リーネ様」
ミリアの顔に笑みが浮かんだ。
ミリアはリーネが見つめ返しても、膝を折ったまま微笑んでいた。
子供への接し方は、悪くなさそうだな。
そこへ、風のフィルネが居間へ飛んできた。
リーネを見つけると、長い耳を揺らしながら近づいてくる。
「ふぃる!」
リーネが手を上げると、風のフィルネはそのそばをくるりと回った。
羽毛に似た尾を追って、リーネも顔を動かす。
「ふぃる、みりあ!」
風のフィルネは、リーネのそばからミリアへ顔を向けた。
ミリアは目を見開き、浮かぶ小獣を見つめている。
「……い、今のは、精霊の方からリーネ様へ近づかれたのですか?」
「ああ。そうだが」
「呼ばれたわけでもないのに、ご自分から……?」
「いつものことだ。あいつらは、来たい時に来る」
「お話には伺っておりましたが、本当に……! 精霊の方が、こんなにも自然に……!」
ミリアは胸の前で両手を握った。
「むふー!」
私は思わずミリアを見た。
「……おい」
「し、失礼いたしました!」
「今のは何だ」
「その……興奮すると、つい……」
「……妙な声を出すな」
ミリアは頭を下げたが、顔を上げると、またリーネのそばにいる風のフィルネを見ていた。
王宮の者らしく挨拶をしていた時より、よほど落ち着きがない。
「むふー!」
今度はリーネだった。
「リーネ。お前まで真似をするな」
リーネは私の顔を見て、楽しそうに笑った。
「も、申し訳ございません。リーネ様にも……」
「謝るなら、まず自分が出さんようにしろ」
悪意があるとは思わんが、妙なものを覚えさせないでもらいたい。
「大祭で精霊の方々が集まられたというお話を、王宮で伺いました。一人の人間のお子様へ、ご自分から集まって一緒に動かれるなんて……実際に拝見すると、驚いてしまって」
ハイエルネリアにも精霊と交流する者はいる。
だが、大祭では精霊を見慣れたエルフたちまで、リーネを追う光に驚いていた。
あの話を聞いていたなら、確かめたくなるのも分からなくはない。
「こちらの精霊の方は、いつもリーネ様のおそばに?」
「いつも同じ場所にいるわけではない。あいつにも、やりたいことがあるからな」
「そうなのですね」
風のフィルネが近くを飛んでも、ミリアは手を伸ばさなかった。
さらに何か尋ねようとしたところで、リーネが絵本のところへ戻っていった。
その本を両手で持って、ミリアの前へ運んできた。
「みりあ、これ!」
「はい。何でしょうか?」
「いっしょに、みよ」
リーネが絵本を開こうとすると、ミリアはすぐに頷いた。
「はい。ぜひ、ご一緒させてください」
床へ腰を下ろしたミリアの隣に、リーネも座った。
リーネが膝に広げた絵本には、枝にとまる鳥が描かれている。
「とり!」
「ええ。小鳥ですね」
リーネは鳥の翼を指して、ミリアの顔を見た。
「これ、なあに?」
「翼ですよ。飛ぶ時に広げるところです」
「ぱたぱた?」
「はい。ぱたぱた、と」
リーネが両腕を動かすと、ミリアも笑った。
次の頁をめくろうとするリーネに合わせ、浮いた紙を押さえて手伝う。
「こっちは、お花ですね」
「うん。これも、おはな」
「ええ。そちらにも咲いていますね」
ミリアが話している間に、リーネはもう一つ花を見つけて指した。
ミリアもそこを見て、今度は何色かを一緒に話している。
リーネが次へ進むと、花の説明を続けず、新しく開かれた絵へ顔を寄せた。
風のフィルネは二人の近くで遊んでいたが、やがて窓の方へ飛んでいった。
ミリアはその尾を目で追ったものの、リーネに次の鳥を見せられると、絵本へ顔を戻した。
精霊についての質問は、それから出なかった。
私は席に座ったまま、二人が頁をめくるのを見ていた。
リーネはミリアの膝へ絵本を押し出し、見せたい絵があるたびに呼びかけていた。
絵本を見終えたリーネは、本を抱えて私のところへ戻ってきた。
「りゅー、みりあと、みた!」
「ああ。見ていたぞ」
リーネは嬉しそうに頷き、私のそばへ座った。
ミリアは立ち上がると、マルタへ声をかける。
「マルタさん。リーネ様は、普段から絵本をよくご覧になるのですか?」
「ええ。最近はご自分で持っていらっしゃることも多いですよ。ただ、その日に何をして遊びたいかは、リーネ様ご自身でお決めになりますね」
「なるほど。では、何がお好きかだけでなく、その時に何をなさりたいかもお聞きした方がよさそうですね」
「そうですね。私どもも、そのようにしております」
ミリアはリーネのことをもっと知りたいと話し、マルタも、分かることなら喜んで答えると応じた。
イレナもミリアへ声をかけた。
「こちらでは、王宮とは勝手が違うこともあるかと思います」
「はい。ですので、まず皆様がどのように暮らしていらっしゃるのか、知りたいと思っております」
一度会っただけで、共に暮らせるかまでは決められん。
「本日は、お時間をいただきありがとうございました」
帰りの挨拶をしたミリアへ、私は頷いた。
「ああ。今日はこれでよい」
その時、リーネが立ち上がり、ミリアのところへ近づいた。
「みりあ」
「はい、リーネ様」
「また、きてね」
ミリアは驚いたように口を開き、それから笑った。
「はい。ぜひ、またお会いしたいです」
リーネの方からそう言うなら、次も一緒に過ごさせてみるか。
「……もう一度、来てもらうか」
「よろしいのですか?」
「ただし、迎えると決めたわけではないぞ。次も実際にリーネと過ごしてもらう。それからだ」
「はい。承知いたしました!」
深く頭を下げたミリアが、顔を上げたところで、小さく声を漏らした。
「……むふー」
またか。
リーネは嬉しそうに手を振り、ミリアも振り返してから、イレナに案内されて居間を出ていった。
ただ、あの妙な口癖は、リーネがすっかり覚えてしまう前に何とかしたい。
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