第130話 マルタとイレナの午後
朝食の片付けを終え、マルタが布を畳んでいると、森の見回りから戻ったイレナが外の螺旋階段を上がって居間へ入った。
「おかえりなさい、イレナさん」
「戻りました。今朝も特に変わりはありません」
「それは何よりです」
イレナが手袋を外しかけた時、マルタは左の手袋の縫い目から糸が出ているのに気づいた。
マルタは畳んでいた布を置き、声をかける。
「その手袋、少しほつれていますよ」
イレナは左手の縫い目を見た。
「途中で枝に引っかけたようです。替えがありますので、問題ありません」
「でしたら、こちらは私がお直ししましょうか」
「いえ、この程度なら自分でも直せますので」
「また外へ出られるのでしょう? 私はこれから針仕事をいたしますから、ご一緒に済ませられますよ」
イレナは手袋を外した。
「では、お願いしてもよろしいでしょうか」
「ええ。お預かりします」
マルタが手袋を裁縫道具のそばへ置くと、イレナは礼を言って自室へ戻った。
ほどなく替えの手袋をはめて出てきて、午後までには戻ると告げる。
「いってらっしゃい」
マルタはイレナを送り出し、残りの布を畳んだ。
リーネの衣類を繕った後で、預かった手袋を手に取った。
ほつれたところを広げてみると、生地は破れておらず、縫い合わせが緩んでいる。
糸を選んで針へ通し、元の縫い目に沿って針を進めた。
最後の糸を留め、指を入れてみて、縫ったところが引きつらないか確かめた。
これなら、手を動かす邪魔にもならないだろう。
針を収めたマルタは、直した手袋を二枚重ねて置いた。
午前の仕事が一段落したので、自分の分のお茶を淹れることにした。
茶葉に湯を注ぎ、好みの濃さになったところでカップに注いだ。
窓の近くの椅子へ腰を下ろし、一口飲むと、ちょうどよい渋みが舌に残った。
今日はここで、飲み終わるまで座っていよう。
マルタは椅子の背にもたれ、窓から見える大樹の枝を眺めた。
葉の影がカップにかかっては離れ、部屋の奥からリーネの笑い声が聞こえてくる。
もう一口飲んでから、直した手袋へ目を向けた。
イレナは昼過ぎに戻ると言っていた。
手袋を返す時に誘えば、一緒にお茶を飲む時間もあるかもしれない。
一人でゆっくり飲むのも好きだが、今日はイレナの話を聞いて過ごすのもよさそうだった。
マルタは飲み終えたカップを片付け、昼食の支度に取りかかった。
◇
昼食の片付けが済んだ頃、イレナが戻ってきた。
マルタは裁縫道具のそばに置いていた手袋を取り、イレナへ渡す。
「お預かりしていたものです。これで大丈夫だと思いますよ」
「ありがとうございます」
イレナは替えの手袋を外し、直した方をはめて指を曲げ伸ばしした。
手首まで動かして確かめると、マルタへ頷く。
「問題ありません。助かりました」
「よかった。それで、今は少しお時間がありますか?」
「はい。見回りも連絡も済みましたが」
「よろしければ、お茶をご一緒しませんか。私も、もう一度飲もうと思っていたところです」
居間の奥ではリュセルが本を開いており、そのそばでリーネが木の馬を動かしていた。
ルヴェンもリーネの隣にいる。
イレナは試しにはめた手袋を外して、マルタへ顔を向けた。
「では、ご一緒させていただきます」
マルタは窓に近い席へイレナを誘い、二人分のお茶を淹れた。
少し待ってからカップへ注ぎながら、イレナへ尋ねる。
「少し濃いめにしておりますけれど、よろしいですか?」
「ええ。マルタさんは、そのくらいがお好きなのですか」
「そうなんです。濃すぎたら仰ってくださいね」
「ありがとうございます。まずは、このままでいただきます」
マルタは自分のカップにもお茶を注ぎ、向かいへ座った。
「お直しまでしていただいて、すみません。片付けは私がいたします」
「まだ飲んでもいらっしゃらないのに、もう片付けのお話ですか」
イレナはカップへ伸ばしかけた手を止め、やがて苦笑した。
「……癖でしょうか」
「イレナさんらしいですけれど。今日は、お茶が冷める前に飲んでくださると嬉しいですよ」
「承知しました。ですが、マルタさんも時々、途中で立っていらっしゃいますね」
「あら。私も見られていましたか」
「先日は、布が乾いたと仰って」
「あの時は、ちょうどお茶を淹れたところだったんです。後にすればよかったわね」
マルタは笑い、自分のカップを手に取った。
向かいのイレナもお茶を一口飲んだ。
◇
窓から入る風が、お茶の湯気をイレナの方へ運んだ。
マルタが言った濃さは、飲み慣れたものより少し渋い。
けれど、ゆっくり飲むにはこれくらいがよかった。
この家へ来たばかりの頃には、マルタも食卓から離れて立っていた。
イレナ自身もリュセルの後ろに控え、座るように言われて初めて椅子へ近づいたのを覚えている。
今、向かいのマルタは椅子の背にもたれ、窓の外を眺めながらお茶を飲んでいた。
「今朝、森で小鳥を見かけました」
マルタが顔を戻したので、イレナは話を続けた。
「二羽で、同じ枝へとまろうとしていたのです。一羽が先にとまると、もう一羽もすぐ隣へ来て」
「二羽並んでいたんですか?」
「ええ。ところが先にいた方が隣の枝へ移ると、もう一羽もついていきました」
「よほど一緒にいたかったんでしょうね」
「そうかもしれません。何度か枝を替えてから、二羽とも飛んでいきました」
マルタは窓外の枝へ顔を向けた。
「ここへも来ますよ。窓から見ようとすると、すぐ葉の向こうへ行ってしまうんですけれど」
「動かずに待っていると、また出てくることもあります」
「それなら、今度はもう少し待ってみましょうか。鳥の声はよく聞こえるのに、姿を見ない日もあるんですよ」
イレナも窓の外を見た。
枝に鳥の姿はなく、葉が風に揺れている。
マルタは話し終えると、またカップを口へ運んだ。
しばらく葉の音を聞いて過ごし、イレナは残っていたお茶を飲み終えた。
カップを戻しても席は立たず、朝の見回りで耳にした鳴き声を思い出す。
「鳴き声だけなら、分かりやすい鳥もいますね。同じところで、何度も鳴いていました」
「どんな声でした?」
イレナは答えかけて、鳥の声をそのまま真似るのは難しいと気づいた。
「……言葉では、うまく説明できませんね」
「では、聞こえた時に教えてくださいな。私も当ててみます」
「マルタさんは、お分かりになるのですか?」
「いいえ。でも、いつも聞いている声かもしれないでしょう?」
イレナは笑い、マルタにお茶をもう少し注いでもらった。
その時、床で遊んでいたリーネが立ち上がり、窓へ近づいてきた。
外を見てから振り返ると、イレナを呼ぶ。
「いれな、こっち」
「はい、リーネ様」
イレナのそばまで戻ってきたリーネが、手を差し出した。
「て、つないで。鳥、いるよ」
イレナはカップを置いて立ち、小さな手を取った。
リーネに引かれるまま窓へ行くと、外の枝に小鳥が一羽とまっている。
「ほら、あそこ!」
「ええ。あの枝にいますね」
リーネはつないだ手を揺らし、小鳥が羽を膨らませるのを見ていた。
初めてこの子に触れた時は、人差し指を握られたまま、どう動けばよいかも分からなかった。
イレナはリーネの手を握り直した。
小鳥が飛び立つと、リーネは枝の先を追って顔を上げた。
「いっちゃった。りゅーにも教えてくるね」
「はい。いってらっしゃいませ」
手を離したリーネは、リュセルのところへ戻った。
鳥がどの枝にいたのかを身振りで伝える声を聞きながら、イレナもお茶の席へ戻る。
「見られましたね」
「ええ。ちょうど、葉に隠れていないところへとまってくれました」
マルタは窓を眺めてから、残っていたお茶を飲んだ。
イレナもカップを取り、続きをゆっくり味わった。
「手袋、またほつれたらお持ちくださいね。ほかの物と一緒に直せますから」
「ありがとうございます。その時はお願いします」
飲み終えたマルタが、二人のカップを片付けようと手を伸ばした。
イレナはマルタへ声をかけた。
「マルタさん。また、お茶をご一緒してもよろしいでしょうか」
「もちろんです。手袋が破れていなくても構いませんよ」
マルタが笑ったので、イレナも少し笑って答えた。
「では、次は私からお声がけいたします」
「ええ。楽しみにしております」
イレナは自分のカップを取り、マルタと並んで片付けた。
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