第129話 セラとニナの休日
朝食を終え、セラは食卓に残ったカップへ手を伸ばした。
それを盆へ載せようとしたところで、マルタに呼び止められる。
「セラ。今日はあなたたちのお休みですよ」
「でも、マルタさん。これだけ片付けてからでも……」
「それは私がいたします。今日は二人で出かけるのでしょう?」
セラが手を引っ込めると、支度を済ませたニナが戸口に立っていた。
いつもの仕事着ではなく、街へ着ていく服に着替えている。
「お姉ちゃん、まだ仕事してるの?」
「ちょっと気になっただけよ」
「今日はお休みって、昨日も言われたでしょ」
「分かってるわよ」
二人で休む日は、前から決めてあった。
セラも楽しみにしていたのだが、カップが残っていれば、つい片付けたくなる。
「リーネ様のお着替えは……」
「私がいたしますよ」
「お食事の時も、お願いしますね。あと、お昼寝は――」
「セラ。いつもしておりますから、心配しないで」
ニナに袖を引かれ、セラはようやく食卓から離れた。
居間にはリュセルとルヴェンもいた。
リーネはセラとニナを見つけると、遊んでいた木の馬を置いた。
「せら、にな、いく?」
セラはリーネの前へしゃがんだ。
支度をしていると気づいてくれたのが嬉しくて、つい顔が緩む。
「今日はニナと街へお出かけしてきますね。夕方には戻りますから」
リーネは少し考えてから、手を振った。
「またね」
「はい。また後で!」
セラも手を振り返し、立ち上がってリュセルへ頭を下げる。
「リュセル様、今日はお休みをいただきます」
「休みなら、休め」
もう一度礼をして、今度こそニナと居間を出た。
イレナは風の精霊たちにヴァルネまでの往復を頼み、帰りに待つ場所も二人へ伝えた。
「夕方、同じ場所へ戻ってください。私は家におります」
セラとニナは頷き、踊り場で待つ精霊たちへ挨拶をした。
二人を支える風に身を任せると、大樹の家が背後へ遠ざかっていく。
◇
ヴァルネで風の精霊たちに礼を言い、二人は店の並ぶ通りへ向かった。
買い出しで通る時と同じように、人々が籠や包みを抱えて行き交っている。
今日は届ける荷も、急いで揃える品もない。
「じゃあ、どこから見ようかしら」
「お姉ちゃんの見たいところでいいよ」
「ニナは? 何か欲しいものない?」
「……もう私の買い物になってる」
セラは笑って、紙や筆記具を並べた店を指した。
「あそこ、見るだけでもいいじゃない」
中へ入ると、ニナは重ねられた紙を一枚持ち上げ、指で表面を確かめている。
セラも隣から覗き、妹が選んだ紙へもう何枚か重ねようとした。
「毎日書いてるんだから、もう少し買っておいたら? 墨も、筆記具も見ておきましょうよ」
「紙はこれで足りるよ。墨もまだあるし、筆記具は今のが使えるもの」
「そう?」
「うん。なくなりそうになったら言うから」
セラはニナが選んだ紙だけを買った。
けれど店を出ると、セラは露店の棚に並ぶ品の中にも、ニナが使えそうなものを探してしまう。
「ねえ、あれは?」
「今日は二人のお休みだよ」
「そうだったわね」
次の露店では、何も買わずに布の模様を眺めた。
ニナが鳥の模様を見つけて呼ぶので、セラも隣へ寄り、別の鳥が織られた布を広げてもらう。
通りを歩いていると、焼き菓子の匂いがした。
焼き色のついた菓子が店先へ出てくるのを見て、セラはニナへ尋ねる。
「ニナ、あれ、食べたい?」
「お姉ちゃんが食べたいんでしょ?」
「……分かる?」
「顔に書いてあるよ」
二人で笑い、それぞれ気に入った菓子を買った。
通りから外れた、人の行き来を妨げない場所で包みを開くと、セラの菓子はまだ温かい。
「これ、おいしいわ。ニナも食べてみて」
「私にもあるよ」
「こっちとは違うのでしょう? 一口だけ」
ニナは差し出された欠片を受け取り、代わりに自分の菓子を割った。
「じゃあ、お姉ちゃんも」
セラが受け取った方には、果物が練り込んである。
噛むと酸味が広がって、もう一口もらいたくなった。
「そっちもいいわね」
「自分の分も食べてね」
「食べるわよ。せっかく選んだんだから」
◇
菓子を食べ終えて歩き出すと、布や小物を扱う店があった。
店先の髪紐を眺めていたセラは、花の模様が入った一本を手に取る。
淡い色の布に、花の刺繍が並んでいた。
「お姉ちゃん、それ好きなの?」
「ええ。かわいいと思わない?」
「うん。お姉ちゃんに似合いそう」
「そうかしら」
仕事の時にも使えそうで、花の刺繍も気に入った。
値段は手の届く額だったが、今使っている髪紐も傷んではいない。
「でも、今すぐ必要なものでもないしね」
セラは品を戻し、隣の店へ向かった。
少し遅れて、ニナもセラに追いついてきた。
その後はニナが見つけた店にも入り、木の小物を覗いたり、布の色を選びかねている妹に付き合ったりしながら、通りを一度曲がった。
「あっち、まだ見てないよ」
「じゃあ、行ってみましょうか」
ニナの示す方へ進み、今度はセラが刺繍のある布の前で立ち止まる。
ここではニナも、花びらがどう縫われているのか一緒に覗いていた。
しばらくして、ニナが先ほどの小物の店へ戻りたいと言い出した。
セラが来た道を振り返ると、見ておきたかった生地屋も、そのすぐそばにある。
「私、そっちの布を見てるわね」
「うん。買ってくるから、待ってて」
生地屋の店先からは、小物の店にいるニナも見えた。
ニナは小さな財布から代金を出し、店主から包みを受け取った。
セラが広げてもらった布を畳み終える頃、ニナも隣へ戻ってきた。
「お待たせ」
「気に入ったもの、あった?」
「うん」
「よかったわね」
自分で選べたのなら、それでいい。
セラは何を買ったのかまでは尋ねず、ニナと並んで通りを歩いた。
◇
買い物も済んだので、帰る前に少し座ることにした。
腰掛けると、ニナが鞄からさっきの包みを取り出す。
「お姉ちゃん、これ」
「なあに?」
「開けてみて」
セラの手に載せられた包みを開くと、店先で眺めていた花模様の髪紐が出てきた。
驚いてニナへ顔を向ける。
「これ……さっきの?」
「うん」
「でも、ニナが欲しいものを買ったんじゃ……」
「お姉ちゃんに買ったの」
セラは髪紐を広げたまま、返事に困った。
妹に買うつもりで見ていた品なら、いくつもあったのに。
「どうして?」
「お姉ちゃん、かわいいって言ってたでしょ」
「それはそうだけど……」
「似合うと思ったから」
ニナはそう答え、髪紐についた花を指す。
セラは受け取った品を膝に置き、妹の方へ身体を向けた。
「ニナ。自分の欲しいものに使ってもよかったのよ?」
「欲しいものは買ったよ」
「そうなの?」
「うん。それに、お姉ちゃんにも何か買いたかったの」
「……ありがとう。じゃあ、今つけてもいい?」
「うん!」
髪を結んでいた紐を外し、包みの中へ収めた。
もらった髪紐で結び直す間、ニナが隣から覗いている。
「うまく結べてる?」
「ちょっと待って。こっちの花、隠れてる」
セラが頭を傾けると、ニナが結び目の位置を直してくれた。
「これでいいよ」
「どう? 似合う?」
「うん。やっぱり似合う」
セラは笑って髪紐に触れ、古い紐の入った包みを鞄へしまった。
もう少し座ってから立ち上がり、帰りの場所へ向かう。
「今度は私が、ニナに何か買ってあげるわね」
「もう、そういうところだよ。お姉ちゃん」
「何がいけないの?」
「せっかくのお休みなんだから、お姉ちゃんも自分の好きなものを選べばいいのに」
セラは考え、髪に結んだ紐へまた触れた。
「今日はこれがあるから、もう十分よ」
ニナも、それ以上は何も言わなかった。
決めてあった場所へ二人で戻り、待っていてくれた風の精霊たちに、大樹の家まで運んでもらう。
◇
夕方の居間へ入ると、マルタが二人に気づいた。
朝のカップは片付いていて、食卓には夕食の支度が進んでいる。
「おかえりなさい。楽しく過ごせましたか」
「はい。ニナの紙を買って、それから焼き菓子を。ニナが食べたそうだったので――」
「お姉ちゃんが食べたかったんでしょう」
「ニナも食べたじゃない」
「うん。おいしかった」
その声を聞いたリーネが、居間の奥からやってきた。
「せら! にな!」
「ただいま戻りました、リーネ様」
セラがしゃがむと、リーネは髪の花へ指を伸ばした。
「せら、これ、なあに?」
「髪紐ですよ。ニナが買ってくれたんです」
「になが?」
「はい」
リーネは結び目を眺めている。
セラも頭を少し傾け、花が見えるようにした。
「かわいいね」
「ありがとうございます、リーネ様!」
ニナが隣で頷き、セラへ笑いかけた。
リーネはやがて居間の木の馬に気を取られ、二人へそれを見せようと取りに戻る。
セラは立ち上がり、食卓の支度を手伝おうとした。
空いている盆を取る前に、ニナから声がかかる。
「お姉ちゃん、今日はまだお休みでしょ」
「帰ってきたから、つい……」
「今日は座っていてくださいな」
マルタにも言われ、セラは苦笑して手を引いた。
朝に気になった着替えも食事も済み、リーネはいつもどおり遊んでいる。
セラはニナと椅子へ座り、リーネが持ってきた木の馬を見せてもらった。
◇
夕食を終えると、セラは大樹の外側にある螺旋階段を下り、自分たちの部屋のある階へ戻った。
自室で髪紐を外し、机の上へ広げる。
新しい髪紐は邪魔にならず、花の模様も気に入っていた。
「お姉ちゃん、それ、気に入った?」
開いていた扉から、ニナが顔を出した。
セラは机の上の髪紐を手に取り、ニナに見せた。
「もちろん。大事にするわ」
「よかった。次のお休みも、また二人で行こうね」
ニナが嬉しそうなので、セラも頷いた。
「ええ。今度はどこへ行こうかしら」
「どこでもいいよ」
「買い物じゃなくても?」
「うん。二人で出かけられれば」
「じゃあ、また一緒にね。おやすみ、ニナ」
「おやすみ、お姉ちゃん」
ニナが自分の部屋へ戻るのを見送って、セラは花の刺繍を傷めないように髪紐をそっと包み、部屋の扉を閉めた。
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