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人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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13/24

第13話 この子はあなたを探している

 ヴァルネの大教会は、正面扉の上に人の背丈より大きな聖印を掲げていた。


 扉の向こうでは、左右に並ぶ燭台の火が聖画を照らしている。

 香の匂いと低い祈りの声が満ち、朝の礼拝に来た人間たちが長椅子で頭を垂れていた。


 私はその中央を通り、受付へ向かった。


 途中で腕の中を見る。

 リーネの頬に熱はない。毛布も胸元まで掛かっている。


 小さな手が毛布から出たので、冷たい空気に触れないよう中へ戻した。


 『主よ。リーネ様に熱はなく、毛布もずれておりません』


 「分かっている」


 『先ほどもご確認でした』


 「見れば分かる」


 ルヴェンは私の隣を猫ほどの姿で歩いている。

 礼拝者の何人かが彼に気づき、祈ることも忘れて凝視していた。


 大精霊が人間の教会を歩く機会など、ほとんどないからだろう。

 私にとっては、いつも旅についてくる契約精霊でしかない。


 受付にいた若い聖職者は、私の耳とリーネを順に見た。


 「……お子様の祝福でしょうか。それとも、お母様をお探しですか」


 「この子を安全な養育先へ預けに来た」


 聖職者はリーネの顔を見直した。


 「失礼ですが、あなた様とこの子のご関係を伺っても?」


 私は外套の内側から銀の印章を出した。

 表には、古い樹冠とそれを囲む葉が刻まれている。


 「私はハイエルフ王家のリュセル・アルヴァリスだ。これが証明になる」


 聖職者の顔から血の気が引いた。


 ハイエルフ王家は、人間の王侯や高位聖職者であっても軽々しく扱える相手ではない。

 人間の一生より長く国の興亡を見てきた種族の中でも、王家に連なる者はごく少数だからだ。


 若い聖職者は印章を確かめると、椅子を鳴らして立ち上がった。


 「し、司教様をお呼びいたします! 皆の者、ハイエルフ王家の――」


 「リーネが起きる。声を抑えろ」


 礼拝堂へ響きかけた声が急にしぼんだ。


 周囲の人間たちは私へ深く頭を下げている。

 私は毛布の中でリーネが目を覚ましていないことを確かめた。


 やがて、祭服を着た司教が数人の聖職者を連れて現れた。

 全員が礼を取ったが、状況を見る限りはこの場でする話ではなさそうだった。


 「話がある。乳児を養育できる者を呼べ」


 私がそう言うと、「まずは別室でお話をさせて頂きます」と告げる。

 そして案内されたのは、礼拝堂に隣接する小部屋だった。

 

 大きな聖印と燭台がある一方、壁際には洗った布と木匙を入れた籠が並んでいる。

 奥の廊下から子どもの声が聞こえ、ここが祈りの場であると同時に生活の場でもあると分かった。


 司教とともに、乳児の扱いに慣れた年配の女性が入ってきた。

 女性はリーネへ手を伸ばさず、まず私へ一礼する。


 「この子は、ハイエルフ王家の庇護を受けておられるのですね」


 「そうだ。日々の養育はそちらへ任せる。だが、この子の命や将来に関わる重要な判断と責任は私が持つ。勘違いされては困るが、決して捨てに来たわけではない」


 司教は一度だけリーネを見て、頷いた。


 「承知いたしました。庇護を保ったまま、日々のお世話を当教会が担うのですね」


 教会には乳を用意できる者がおり、清潔な寝床と布、夜番、必要な時に診られる治療師もいる。

 女性の袖には洗い物の濡れた跡があったが、手はよく洗われ、爪も短い。

 奥で乳児が泣くと、別の養育者がすぐに応じる声がした。


 預け先として特段問題はなかった。


 「夜に泣いた時は、誰が抱く」


 「乳児室の隣に夜番がおります」


 「乳を飲まなかった場合はどうする」


 「熱や吐き戻しを確かめ、無理には飲ませません。続くようなら治療師を呼びます」


 「同時に別の乳児が泣いた場合、手は足りるのか」


 女性はすぐに答えた。


 「隣室からもう一人呼びます。どちらかを放っておくことはいたしません」


 その後も私は乳の与え方を聞き、布を替える時機と寝床の温度、夜番の人数まで確かめた。

 窓から風が入らないかを尋ね、夜も隙間を確かめると聞いてから、もう一度、寝台が冷えないかを聞く。


 『先ほども同じことをお尋ねでした』


 「……確認する中身が違う」


 司教は黙っていた。

 養育担当の女性は、私の腕の中を見てかすかに笑った。


 リーネが目を開けていた。

 女性が腰をかがめ、穏やかな声で呼びかける。


 「こんにちは。私が抱いてもよろしいですか」


 リーネは女性の顔を見たまま瞬きをした。

 泣きはしない。


 私はリーネを持ち上げた。

 女性へ渡す直前で止まり、相手の両腕を見る。


 「首を支えろ。まだ自分では保てない」


 「はい。必ず」


 女性が頭と背を支えたのを確かめてから、私は手を離した。


 リーネは見慣れない顔を眺め、次に燭台の火を追った。

 女性が部屋を歩いても身体を強張らせず、窓辺の聖画へ顔を向けている。


 この者なら安全に抱ける。

 リーネも、他人の腕そのものを嫌ってはいない。


 「問題はなさそうだ」


 そう言ったが、椅子へ戻っただけだった。


 女性がリーネを抱いて歩くのを見ながら、空腹の時は泣く前に口を動かすこと、眠くなると耳を布へ押しつけることを伝えた。

 泣き声が急に高くなった場合は、魔力が乱れる前に体調を確かめるよう付け加える。


 『ずいぶん詳しくなられましたね』


 「必要だったから覚えただけだ」


 ようやく立ち上がる。

 すると司教が、「もちろんでございますが、いつでも面会できます」と告げた。


 「そうか。ちなみにだが、いつの時間帯なら邪魔にならない?」


 司教は私の問いに意外そうな表情を浮かべた。

 

 「それでしたら…朝の授乳を終えた頃なら、比較的落ち着いております」


 「わかった。受け入れに感謝する」


 私はそう教会の者に感謝を伝える。

 そのまま出口へ向かい、最後に一度だけ振り返った。


 リーネは女性の腕の中から私を見ている。

 まだ泣いてはいない。

 だが扉を越えれば、姿は見えなくなる。


 私は廊下へ片足を踏み出した。


 背後で「あぅ」と小さな声がした。


 その場ですぐ立ち止まった。


 振り返ると、リーネは女性の腕の中で首を動かし、私を探していた。

 目が合うと、両手がこちらへ伸びる。


 「あぅ、あ……」


 女性が優しく揺らしても、リーネは私から目を離さず、何度も手を伸ばしている。


 「……環境が変わったから不安なだけだ」


 私はそう言いながら、身体をリーネへ向けていた。

 そしてもう一歩、廊下側へ下がる。


 私の姿が扉に隠れかけた瞬間、リーネの顔が歪んだ。

 息を吸い込み、これまで抑えていた声を一気に放つ。


 「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 泣き声と同時に、閉ざされた室内を風が打ち抜いた。


 燭台の火が一斉に横へ倒れ、半分が消える。

 壁に掛けられた聖布が大きく膨らみ、激しくはためいた。


 机の上の書類が束ごと舞い上がる。

 紙は天井近くまで巻き上げられ、白い鳥の群れのように部屋を巡った。


 木の椅子が吹き抜ける風に抗うことはなく、床を擦って横へ滑る。

 開け放していた扉が何度も枠へ打ちつけられ、厚いカーテンが留め具を引き千切りそうな勢いで暴れた。


 若い聖職者が燭台を押さえ、別の者は祭服を顔へ巻きつかせながら机へしがみつく。

 司教も袖で目元をかばった。


 風は小部屋だけでは収まらなかった。

 廊下へ噴き出し、礼拝堂の祈祷書を次々とめくる。長椅子へ座っていた礼拝者たちが身を伏せ、入口脇の聖画を覆う布が鞭のような音を立てた。


 大扉が閉じているにもかかわらず、教会中の燭台が同じ方向へなびいている。

 祈りの声は途切れ、子どもの泣き声と聖職者たちの叫びだけが風の中へ散った。


 窓は閉じたままだ。

 外から吹き込んだ風ではない。


 この風はリーネ自身の魔力が泣き声とともに加わり、そこへルヴェンの加護が呼応していた。


 「だ、大精霊様のお怒りか……!」


 誰かが叫んだ。


 ルヴェンは床に座ったまま、風に毛並みを揺らしている。

 怒っている様子などない。


 養育担当の女性は吹きつける風に背を向け、泣き叫ぶリーネを守っていた。

 それでも、こちらへ伸ばされた小さな手だけは隠れない。


 女性が何度呼びかけても、リーネの視線は私を追っている。

 涙に濡れた両手は、風を起こしながらも同じ相手へ伸び続けていた。


 「殿下! この子は、あなたを――」


 「まったく……」


 私は廊下から部屋へ戻った。


 荒れ狂う風は、私の外套と銀髪を後ろへなびかせる。

 だがこれしきの脆弱な風ごとき、竜の咆哮に比べるまでもなく、私の歩みを止めるほどのものではない。


 舞う紙の間を抜け、養育担当の女性へ両腕を差し出した。

 紙が頬や肩へ当たっても、払う必要はなかった。


 リーネの魔力には狙いも殺意もない。

 ただ、離れていく私へ自分の思いごと届けようとして、結果的に加護ごと周囲へあふれている状態だった。


 女性は逆らわず、リーネを私へ戻す。


 受け取った身体を、いつものように左腕へ収めた。

 リーネは私の外套を両手でつかみ、胸元へ顔を押しつける。


 「もうよい。ここにいる」


 背を一度撫で、空いた右手で吹き荒れる風を払った。

 部屋へ広がっていたリーネの魔力が私の掌へ集まり、ルヴェンの加護も本来の流れへ戻る。


 暴風が消えた。


 宙を回っていた紙が、一斉に床へ落ちる。

 聖布とカーテンは壁へ戻り、扉も動きを止めた。

 消え残った燭台の火が真っすぐに立ち、細い煙だけが天井へ昇っていく。


 リーネの泣き声も止まっていた。


 外套へ頬を押しつけ、しゃくり上げながら息を整えている。

 背を撫でると、外套を握っていた指が一本ずつ開いていった。


 部屋にいる人間たちは、床へ散った紙と私たちを見ていた。

 誰もすぐには口を開かない。


 礼拝堂でも、長椅子の下へ散った祈祷書を集める音がし始めた。

 床一面に紙が散った小部屋で、リーネだけが何事もなかったように私の胸元へ頬を寄せている。


 養育担当の女性が、乱れた髪を耳へ掛けた。


 「……私たちが嫌なのではありません。あなたがいなくなるのが嫌なのです」


 「…十日以上、私が抱いていた。慣れの問題だ」


 リーネは私の外套をつかんだままだ。


 『では、慣れるまでこの教会を風で荒らさせますか』


 「時間をかければ、私たちにも慣れるでしょう」


 司教は倒れた椅子を起こしながら、こちらを見た。


 「ですが、今ここで無理に引き離す必要はないのではありませんか」


 私は返事をせず、腕の中を見た。


 目の縁は濡れているが、リーネはもう泣いていない。

 私が抱き戻してから、養育担当の女性へ手を伸ばすこともなかった。


 「はぁ。仕方がない。環境に慣れるまで、しばらく私が預かる」


 「期間の目安はございますか」


 「…しばらくの間だ」


 『一時的、ということでございますね』


 「当然だ」


 ルヴェンの声には、わずかに笑いが混じっていた。


 教会は、当面の乳と布を用意し、困った時はいつでも相談を受けると約束した。

 必要なら、育児に慣れた者を滞在先へ派遣することもできるという。


 それから司教は、私たちが今いる仮の滞在先について尋ねた。


 「特には決めてはおらぬ。そもそもこの都市は短く身を置くだけの場所だ。乳児を育てるために選んだわけではない」


 「でしたら、ヴァルネ近郊に高位の客人を迎える館がございます。森と庭に囲まれ、街からも遠すぎません。乳や布を届け、養育者を通わせることもできます」


 「……なるほど」


 教会が館を提供してくれるのであれば、宿を探し直すよりは良さそうだ。

 それにリーネを庇護したまま生活できるか、見る必要はある。


 「見るだけだ。長く使うつもりはない」


 「承知いたしました。ではすぐに手配をかけますのでしばらくお待ちください」


 床の紙を拾い始めた聖職者たちの前で、ルヴェンの尾が楽しげに揺れた。


 そして私はリーネを抱いたまま、その教会が用意した館へ向かうことになった。

読んでいただきありがとうございます。

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