第12話 王族ハイエルフ、城門に立つ
列へ並んだ私を、周囲の人間が振り返った。
「エルフだ」
視線はまず私の耳へ集まり、次に外套の内側へ向ける。
「人間の赤ん坊を抱いている」
「親子ではないだろう。なぜエルフが人間の子を……?」
ざわめきに起こされたリーネは、目を開けて周囲を見回した。
外套をつかむ指に力が入り、眉が寄る。
私は人々へ向き直るより先に、リーネを胸元へ寄せた。
「騒がしいだけだ。気にする必要はない」
頬が私の胸へ触れると、外套を握っていた指が少し開いた。
前にいた親子も、荷車を押す男も、私とリーネを見比べていた。
人間の赤子を抱くエルフが珍しいのは理解できる。
だが、見られているだけなら追い払う必要はない。
ルヴェンが、列の先にある大門を見上げる。
『門を越えるだけならば、主には一歩も必要ございません』
「人間へ頼み事をするために来た者が、その人間の順番を無視してどうする」
城壁を越えるだけなら、転移でも飛行でも済む。
だが、頼み事をする相手の決めた手順を、こちらの力で踏み越える理由はなかった。
列が荷車一台分進んだ頃、リーネが口を動かし始めた。
門はまだ遠く、空腹を待たせる必要もない。
私は列を離れ、城壁の影で収納空間から乳と布を出した。
乳を飲ませ、布を替え、げっぷが出るまで抱く。
私たちの後ろにいた人々は、その間にも門へ近づいていった。
世話を終えたリーネは、胸元で目を閉じている。
先ほどまでいた位置へ割り込めば、前へ進んだ人間を押し戻すことになる。
私は眠りを妨げない歩幅で、列の最後尾へ戻った。
ルヴェンも当然のようについてくる。
『先ほどより、門が遠くなりました』
「リーネを空腹のまま待たせる理由にはならない」
◇
やがて私たちは、大門の確認所へ着いた。
若い門番は私の長い耳を見て少しだけ驚き、続いて猫ほどの姿で隣に座るルヴェンを見た。
最後に、腕の中のリーネへ目を移し、今度は怪訝な表情を浮かべた。
「エルフ……ですよね?」
「……概ね、その通りだ」
「その子は……人間の赤子に見えますが」
「人間の子だ」
門番は奇妙な何かを見るような視線でこちらを窺う。
「入城の確認を続けろ」
「は、はい。お名前と、こちらへ来られた目的を」
「リュセル・アルヴァリス。この子を安全に預けられる場所を探している」
筆を走らせた門番が、続いてリーネとの関係を尋ねた。
「ロアナで保護した。この子は現在、ハイエルフ王家の庇護下にある」
【ハイエルフ王家】と言う言葉が出た瞬間、門番の筆が止まる。
ハイエルフ王家という言葉は知っていても、その一員が人間の赤子を抱いて一般の列へ並ぶとは考えていなかったらしい。
門番は確認板の項目を見直し、王家からの使者として扱うべきかを確かめた。
「王家から、何か命を受けておられるのですか」
「違う。私がその王家の者だ」
若い門番はすぐに門番長を呼んだ。
現れた門番長は、若い門番の説明を最後まで聞いて、門番と同じように怪訝そうな表情を見せた。
私の名にも王家の紋章にも覚えはないようだった。
それでよい。
そもそもだが、人間が住まう領域で、ハイエルフ王家の者が日常的に来るはずもない。
「私はハイエルフのアルヴァリス王家に連なる者だ。これがその証明になる」
何を示す物か伝えてから、収納空間より銀の印章を取り出した。
ハイエルフ王家の身分を証明する印章で、中央には古い大樹、その周囲には七枚の葉が刻まれている。
印章へ指を添えると、大樹が銀緑色の光を帯びた。
七枚の葉が、一枚ずつ光る。
最後の葉へ光が行き渡った瞬間、穏やかな銀緑色が石床へ広がった。
足元には、大樹の枝葉を思わせる淡い影が落ちる。
強い風ではない。
それでも人々の髪と衣服の端が静かに揺れ、城門に満ちていた泥、汗、馬の匂いが一瞬だけ薄れた。
高い森の朝と同じ澄んだ空気が満ち、宙を舞っていた埃が石床へ降りていく。
荷車を引いていた馬が鼻を鳴らし、頭を上げた。
人々は銀緑の光が作る枝葉の影を踏まないように足を止める。
誰に命じられたわけでもないのに、話していた者たちは口を閉じた。
そして意識的にだが、城門を守る門番たちが一斉に槍を構え直した。
「門番長……これが、身分証なんですか」
門番の唖然とした表情で問われたことに、門番長は何を返していいのか分からない様子であった。
「……何だ、これは」
門番長にも現象の名は分からず、光が示す王家内の地位も判断できない。
だが、普通の印章でも、旅人が見せる手品でもないことは分かる。
「……全員、武器を下げろ」
門番たちがその命令を聞くと、一斉に槍の穂先を石床へ向ける。
「詳しいことは分からん。だが、俺たちがここで疑っていい相手じゃない」
ハイエルフ王家の者が人間の都市を正式に訪れるなら、本来は城主や人間の王侯が使者を出して迎える。
そもそもだが、城門の門番が一般の旅人と同じ確認板を手に応対するような身分ではない。
それに正式な訪問であれば、先触れや、迎えの馬車と護衛が城門脇で必ず待機している。
今回は私が知らせず、人間の列へ勝手に並んだだけだ。
私は、その待遇を求めてここへ来たのでは勿論だがなかった。
「城主へすぐに知らせろ! 役人と馬車を――」
門番長が部下へ指示を出しかけた声に、リーネの身体が震えた。
口元が歪み、息を吸い込む。
「声を抑えろ。リーネが驚いている」
門番長は口を閉じた。門番たちは大声で呼び合うのをやめ、入城を待つ人々も話を止めた。
『随分と静かになりましたな』
ルヴェンは、尾の先だけを楽しそうに揺らしていた。
私は印章ではなく、腕の中を見る。
リーネを胸元へ抱き寄せた。
「リーネ。もう騒がしくはない」
リーネは外套を握り、私の胸へ顔を寄せた。
印章の光には目を向けない。
門番長が私へ詫びようとしたが、私は返事をせず、リーネの背へ静かに手を添えた。
今確かめるべきなのは、門番たちの礼ではなく、リーネが泣かずに済むかどうかだった。
先ほどまで全員が王家の印章を見ていた。
今は門番も列の人間も、私の腕の中で落ち着くリーネを見ている。
門番長は声量を改め、慎重に尋ねた。
「そのお子は……ハイエルフ王家の御子なのでしょうか」
「人間の子だ。私が保護し、ハイエルフ王家の庇護下へ置いた」
「そのお子を、ハイエルフ王家の庇護下へ?」
「養育を人間へ任せても、見捨てるわけではない。この子の命や将来に関わる責任は、私が持つ」
思いがけない返答に、門番長はしばらく言葉を探した。
「……では、城主へお知らせし、すぐに接待役の者を呼びます。馬車と護衛、それに貴賓用の宿も用意させますが」
「騒ぎを大きくする必要はない。人間の乳児を安全に育てられる場所を教えろ」
「乳児を預けられる場所でしたら、ヴァルネ大教会がございます。戦災で保護された子どもを受け入れており、乳と寝床、世話をする者もおります」
そして門番長が、先触れを走らせたい、そう私に確認を求めた。
「先触れは不要だ。預け先を相談するだけだ」
「いや…それは…しかし…」
どうしようか、そう悩む門番長に手続きを進めるよう促し、私は入城確認済みの通行票と、大教会までの道順だけを受け取った。
◇
城門を抜けると、大鍋の炊き出しを待つ避難民が通りの端まで並んでいた。
椀を抱えた者たちは、鍋から上がる湯気と、これから配られる配給食を見つめている。
別の軒下では、一枚の毛布に包まれた家族が身を寄せて眠っている。
端にいる大人は目を閉じたまま、子どもの肩から毛布が外れないよう押さえていた。
白い法衣の聖職者が、保護者のいない子どもたちの手を引いて大通りを歩いていた。
最後を歩く子どもは何度も後ろを振り返るが、迎えに来る大人はいない。
戦争の記録で、同じ光景は何度も見てきた。
だが、今回は腕の中にリーネがいる。
私が拾わなければ、この子もあの子どもたちの一人になっていた。
私は足を止めず、腕の中へ目を向けた。
リーネの頬の色と呼吸を確かめ、そのまま大教会へ向かう。
鐘楼に近づくにつれ、子どもたちの話し声と泣き声が聞こえ始めた。
リーネは声の方へ顔を向ける。
近くで子どもが大きく泣くと、リーネは私の胸元へ顔を戻し、外套を握った。
「安心しろ。ここにいる」
だが、指から力は抜けなかった。
大通りの先に、高い鐘楼と石造りの礼拝堂が見えた。
正面には人の背丈より大きな聖印が掲げられ、開かれた大扉の前を、白い法衣の聖職者が行き来している。
祈りや支援を待つ人々も、誰に尋ねることなくそこを目指していた。
私はヴァルネ大教会を見上げる。
「ここなら、人間の赤子を育てる術を知っているはずだ」
『左様でございましょう』
リーネは、まだ私の外套を握っている。
私はその手を見下ろした。
「預けるだけだ」
リーネを抱いたまま大教会の扉をくぐる。
ルヴェンは何も言わず、私たちの後ろから入ってきた。
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