第121話 それぞれの思惑
大樹の家へ戻ると、居間からリーネの声が聞こえた。
戸を開けた私に気づき、ニナのそばに座っていたリーネが立ち上がる。
マルタとセラも顔を上げ、ルヴェンはリーネの後ろからついてきた。
「りゅー、いなかった」
足元まで来たリーネを見て、私は立ち止まった。
泣いてはいないが、見上げてくる顔に笑みもない。
起きる前に戻るつもりだった。
「……悪かった。起きる前に戻れなかったな。少し長引いた」
しゃがむと、リーネは私の袖をつかんだ。
「どこ、いってたの?」
「辺境伯に会っていた」
「なに、おはなし?」
「お前の街を作る話だ」
リーネは袖を握ったまま、首をかしげた。
「……リーネの?」
「ああ。まだ話をしているところだ。これから作る」
後ろでイレナが戸を閉める。
リーネはそちらへ顔を向けたが、すぐ私へ問いを続けた。
「りゅーも、いる?」
「お前が行きたいなら、一緒に行く。行きたくなければ、ここにいればいい」
「うん」
リーネは袖を離し、私の首へ腕を回してきた。
抱き上げると、肩へ頬を寄せる。
「いまは、ここにいて」
「ああ。もう戻った」
私はリーネを抱いたまま、居間の椅子へ向かった。
◇
その後、グレイフェル辺境伯の使者が王都セルディオンへ届けた書状は、至急の上奏として、国王エドヴァルド三世の執務室へ運ばれた。
「……交易?」
エドヴァルドは書状から顔を上げ、同席する宰相マティアスへ尋ねた。
「ハイエルネリアとの交易を、殿下が認めると?」
「そのように書かれております」
書状には、リーネをアルヴァリス王家の家人として迎える相談に加え、ロアナを再建して交易の窓口とする案まで記されていた。
土地と行政はローディネル側に残し、再建の人手と技術、費用はハイエルネリアが出す用意がある。
読み進める間、エドヴァルドは何も言わなくなった。
マティアスも続きを促さず、王が読み終えるのを待つ。
末尾には、詳細を直接説明するため、ギルベルト自身も王都へ向かうとあった。
「……ずいぶん、都合のいい話だな」
エドヴァルドは書状を最初から読み直した。
◇
ギルベルトが王都へ着いたのは、その書状が届いた後だった。
使者を先に発たせ、自身もすぐ王都へ向かったという。
執務室へ通された辺境伯に、エドヴァルドは書状を示した。
「これは、本当に殿下がおっしゃったのだな?」
「はい。私も何度か聞き返しました」
「……お前もか」
王の口元がゆるみ、ギルベルトも困ったように笑った。
「殿下は、ロアナの領有を求めておられない。それは間違いないのだな。軍を置く話も出ていないか?」
「ございません。ロアナは我が国の街として再建し、行政もこちらで担えばよいと、明言されました」
「税はどうする」
「交易の具体的な条件までは、まだ何も。まず王都へ話を通すようにとのことでしたので」
エドヴァルドは書状を机へ戻した。
「では、向こうが街を建て直す金を出し、我々が治める。しかも、これまで開かなかった交易までついてくるのか。こちらから頼んでも、まず通るまい」
「私も、ありがたい申し出だと受け止めております」
「受ける方向で進めよう。殿下へ返す前に、本人から確かめたかった」
ギルベルトが一度、息をついた。
「陛下。よろしいのでしょうか」
「逆に聞く。どこに断る理由がある?」
「リーネを王家の家人として迎える件は、我が国との関わりにも及びます。今までの縁が薄れると考える者も、おりましょう」
「なぜ薄くする必要がある。向こうの王家に迎えられ、その者を迎える街は我が国にある。殿下も、そのためにロアナを選ばれたのだろう?」
「はい。人間側との縁を残すためと伺いました」
「ならば残せ。今までより、ずっと使い道がある」
ギルベルトの笑みが消えた。
「……リーネに、何かを担っていただくのでしょうか」
「殿下が政治をさせるつもりはないと書いてあるではないか。私が欲しいのは、両国を行き来する理由だ。向こうの王家が守る者に、我が国へ来たいと思ってもらえる。悪くない」
マティアスが、机に重ねてあった地図を広げた。
「敵国との境に近いな。ギルベルト、ここにハイエルネリアの者が出入りする街ができれば、どうなる」
「敵も、攻め込む前に考えざるを得なくなります。あの国との交易を妨げ、王家の関わる街を損なうことになりますので。その点は、私も考えました」
「こちらが兵を増やすより安いではないか」
そこでマティアスが口を挟んだ。
「どこまで抑止になるかは、まだ分かりません。ただ、これまでと同じ判断はできなくなるでしょう」
「それでも十分だ。荒れたままのロアナが、人と金を呼び込む街になる。今まで手をつけられなかったところへ、向こうから話が来たのだぞ」
「人が戻れば、周辺の村も物を売る先を得られます。ハルバ村の支援についてお尋ねになった後で、殿下は地図を求められました」
「そこまで考えておられたか」
王は椅子へ背を預けた。
「だが、殿下が欲しいのは、土地でも金でもないのだな」
「……リーネ、でしょうか」
「その子を連れていくだけなら、街はいらんだろう。リーネが困らず暮らせる場所が欲しいのではないか」
「殿下は、リーネが将来、人間の社会へ出たいと望んだ時に、行ける場所にしておくようにと。どう使うかは、ご本人に決めさせるおつもりです」
「なるほどな。殿下と話をする時は、金を積むより、リーネの役に立つ話を持っていけばよいわけだ」
「陛下」
「分かっている。あの子を口実に、こちらの都合ばかり押しつければ、殿下は二度と話を聞くまい」
「殿下は、こちらを信じてお任せくださったのです。私としては、そのお気持ちにお応えしたく……」
「応えればいい。居心地のよい街を作れという望みに、何の不都合がある。リーネが気に入れば、殿下も来られる。そういう関わりが続く方が、我々にもありがたい」
ギルベルトはすぐには答えず、やがて頭を下げた。
「……それは、確かに」
「交易の条件を詰める時には、もう少し何か……」
エドヴァルドは言いかけ、首を振った。
「いや、やめておこう。今でも十分すぎる。欲をかいて全部失えば、ただの馬鹿だ。それと、家人として迎える件を交易の対価だと書くな。一つの文書にして後から片方が変わればもう片方も無効だなどと言われては面倒だ。他国に余計な口を挟む理由も与えたくない」
「家人の件とは分けて文面を整えます」
「任せる。街の認可も、交易の条件も、今ここで決められるものではない。辺境伯が動くために何が要るかまず詰めてくれ」
マティアスが書状を取り上げると、ギルベルトは王へ向き直った。
「では、殿下へは前向きに協議するとお伝えしてよろしいでしょうか」
「ああ。待たせるな」
「承知いたしました」
ギルベルトが礼を取る間も、エドヴァルドは広げられた地図を見ていた。
ロアナの名のそばを指で叩き、辺境伯を呼び止める。
「ギルベルト。殿下の望みは本当にそれでよいのだな。リーネがいつ来ても居心地よく過ごせる街にしろ、と」
「はい。少なくとも、私が伺った限りでは」
マティアスは書状を持ったまま、王の返事を待っていた。
エドヴァルドが、口元に笑みを浮かべる。
「ならば、最高の街を作ってやれ」
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