第118話 王家に連なる者
鹿を見て家へ戻ると、リーネはほどなく昼寝を始めた。
そして、寝床まで付き添ったマルタが居間へ戻ってきた。
「よくお休みになっています。今日はご自分でずいぶん歩かれましたから」
「帰りは抱いてきたぞ」
「ええ。疲れたと、ご自分で言えたのですね」
マルタを席へ招くと、イレナも向かいへ腰を下ろす。
セラとニナは隣り合って座り、ルヴェンは私の椅子のそばへ来た。
「以前は、眠いのか、お腹が空いたのか、こちらで見て判断しておりました。今はリーネ様が教えてくださいますし、お手伝いしようとすると、ご自分でなさりたいと止められることもあります」
「抱こうとしたら、歩くと言われた」
「でも、手はつないでほしいと仰っていましたね」
イレナが言うと、セラが笑った。
「リュセル様と一緒がいいんですよ。ご自分でできることが増えても、そこは変わらないんですね」
「なら、一緒に行けばいい。歩きたいなら歩けばいいし、手をつなぐくらいはできる」
「抱っこも、してほしい時にはちゃんと頼まれますし。前より、リュセル様にしてほしいことがよく分かります」
「鹿へ近づきたいと仰った時も、逃げるかもしれないと聞いて、あそこで見ると決めておられました」
イレナの言葉に、私は頷いた。
「帰ろうと言ったら、まだ帰らないと言われたがな」
「まだ鹿を見ていたかったのでしょう。これから外へ出ることが増えれば、見たいものや行きたい場所も増えると思います」
「手習いの時も、お姉ちゃんを止めたんですよ」
ニナが隣のセラへ顔を向けた。
「お姉ちゃんが答えを教えようとしたら、まだ言わないで、って」
「困ってると思ったのよ」
「考えてたの」
セラは何か言い返そうとして、結局、そうだったわねと認めた。
マルタも笑った。
「これからは、何でも先にして差し上げるわけにはいきませんね。ご本人とお話をしながら、どこをお手伝いするか決めていくことになるのでしょう」
イレナがそう言うと、マルタは私に尋ねた。
「リュセル様。今後、文字だけでなく、礼儀や学問、外での振る舞いもお教えすることになると思うのですが……リーネ様を、どのようなお立場の方としてお育てするのでしょうか」
「どういう意味だ」
「人間の子として暮らすためにお教えすることは、私にも分かります。ただ、王家につながるお方として、人前に出られるようになさるのでしたら、私だけでは分からないこともございます」
「母上も父上も、リーネを家族として扱っているが」
「はい。けれど、正式に王家のどのような立場になられるかは、まだ決まっておりません。今までは幼いお子様のお世話でよかったのですが、これから何をお教えしていくかと考えますと……」
洗礼では王家の名でリーネを守ると誓った。
だが、王家が庇護していることと、その家の者として身分を持つことは別だ。
『私どもの方では、リーネ様のお立場は変わりません』
ルヴェンが椅子のそばから顔を上げた。
『大精霊たちは、すでにリーネ様を特別な方として認めております。人間の社会でどのような身分をお持ちになろうと、それは変わりません』
「そうだろうな」
イレナが言った。
「人間の側でも、もう無関係な子とは見られないかと。リュセル様と暮らし、王家の皆様にも迎えられています。私たちが普段どうお仕えしているかを見ても、ただ保護されている子だとは思わないでしょう。外で人と関わるほど、そのつながりは知られていきます」
「すでに庇護は明らかにしている」
「はい。ただ、そこまで近い方なのに、正式にはどうお呼びし、どうお迎えすればよいのか分からない。中途半端な状態は、あまり良くないかと」
「つまりリーネ様は、今はどこにも正式には入っていない、幽霊みたいなものなんですね!」
机の下で、ニナの足がセラの脛へ当たった。
「いたっ」
マルタとイレナがセラを睨んでいた。
「ち、違いましたか……?」
「言い方」
「いや、言っていることは間違っていない」
セラが顔を上げると、ニナまで私を見た。
私は机に紙を出し、筆を取る。
「ルヴェン。父上へ手紙を届けてくれ」
『承知いたしました』
「リュセル様、どうなさるおつもりですか」
マルタに尋ねられ、書き始める前に答えた。
「ちょうどいい機会だ。リーネを正式に我が王家へ組み入れようと思う」
四人が一斉に息をのみ、セラは脛を押さえていた手まで止めた。
そう驚くことでもあるまい。
家族なのだから、外でもそう扱える形にすればいいだけだ。
◇
ハイエルネリア王国の王城で、国王の私室へリュセルの手紙が届けられた。
リュセルからの私信が届いたと聞き、王妃もほどなくやってきた。
「珍しいわね。リーネのことでしょう?」
「ああ。読んでみるとよい」
リーネが自分の考えを言葉で伝えるようになり、これから人間社会との関わりも増えていくこと。
今の曖昧な立場を改め、正式に王家へ組み入れたいという意向が記されている。
「やっとその気になったのね」
王妃は笑みを浮かべた。
「リーネも、これで正式に私たちの家の子になれるわ」
「リュセルにしては、至極妥当な判断だ。問題は、どういう身分で迎えるかだな」
「リュセルの子としてではいけないの?」
「養子として迎えるにも、人間の子をそのまま我が王家の王族とするには収まりが悪い。あの子は人間なのだからな」
国王は侍従へ、宰相を呼ぶよう命じた。
私室へ来た宰相は二人に礼を取り、国王から事情を聞いた。
「殿下がお望みなのは、リーネ様を正式に王家の家へ迎え、その身分を保証することでございますね」
「そうだ。人間であることを変えるわけではない」
「でしたら、家人登録が最も適しているかと」
「……その制度があったか」
「家人登録?」
王妃が尋ねると、宰相はそちらへ向き直った。
「血族でもハイエルフでもない者を、王家の正式な庇護下へ置く制度でございます。王族そのものにはなりませんが、我が王家の家に連なる者として、身分を保証できます」
「王位の継承には関わらぬな」
「はい。継承権は生じません。種族も変わらず、王家が正式に家の者として庇護するための身分です」
王妃は国王へ顔を向けた。
「それなら、ちょうどいいではありませんか。どうして今まで使わなかったの?」
「新たな登録は、数千年ありません。もとは大戦の時代、国や故郷を失った者たちを王家が直接保護し、復興を助けるために作られた制度です」
「家へ迎えて、立て直すまで守ったのね」
「はい。獣人族の復興にも使われました。今の獣人王家との間には、その時のつながりが残っております。友好と交易が続く理由の一つでございます」
「昔の記録の中にあるだけではないのね」
王妃の言葉に、宰相は頷いた。
「ただ、人族へ適用した例は、確認されておりません。リーネ様を登録するとなれば、おそらく初めてとなります」
「それにしましょう!」
王妃の返事は早かった。
「私たちの家の者として迎えられるのでしょう。リュセルも、そうしてほしくて手紙を書いたのですもの」
国王が返事をしないうちに、宰相が続けた。
「ただ、一つ注意しなければならないことがございます。当時と今では、世界の状況が違います」
「今は、戦で故郷を失った者を迎えるのではないから?」
「はい。当時は国も種族も失われかねず、生き残った者を直接保護する必要がございました。しかし今は、人間の国がございます。その中で暮らす人間の少女を、我が王家が正式に家人として迎えることになります」
「リュセルが一人の子を育てている、という話では済まなくなるか」
「王家が人間の少女を直接その家へ取り込んだ、と受け取る国もあるでしょう。すでに庇護されているのとは意味が違います。人族への前例がない以上、どのような波紋が出るかは読めません」
王妃も、今度はすぐに賛成しなかった。
「うむ。そこが私も一番気がかりではある」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




