第116話 リーネの成長
それから、季節はさらに巡った。
大樹の家の近く、木々の開けた場所には、葉の茂った枝が影を落としていた。
日向にあった椅子は木陰へ移され、その前にはリュセルがリーネの手習い用に作った書き板が置かれている。
リーネが何度書き損じてもやり直せるようにしたもので、書き棒の片側でなぞれば白い線が浮かび、反対側でなぞれば消える。木札にも同じように書けた。
マルタの前の小机には、細長い木札が六枚並んでいた。
それぞれに、リーネと木陰に集まった者たちの名前が書かれている。
「では、最初はリーネ様のお名前を探してみましょう」
椅子へ座っていたリーネが立ち、小机の前へ行った。
一枚ずつ覗き込み、端にあった札を持ち上げる。
「これ。リーネ」
「はい、正解です」
リーネは自分の札を持ち上げ、もう一度そこに書かれた文字を見た。
「今日は、見つけたお名前を、その方へ届けてみましょうか」
「うん。リーネが持ってく」
セラはリーネの椅子の近くに座り、膝に載せた布を畳んでいた。
ニナは書き板の横から、小机の木札を覗き込んでいる。
イレナは家の周囲を見回って戻ったばかりらしく、木陰で靴についた土を落としていた。
ルヴェンはリーネの足元で尾を身体に寄せているが、リーネが動くたびに場所を変えている。
マルタは小机に残った木札を一枚、リーネの前へ置いた。
リーネの分を除いて、まだ五枚残っている。
「では、次はこちらです。どなたのお名前でしょう」
リーネは一枚ずつ顔を近づけて見ていった。
途中でセラが身を乗り出す。
「リーネ様、それは――」
「セラ、まだ言わないで」
「……はい」
隣でニナが小さく笑った。
「お姉ちゃん、すぐ教えちゃうんだから」
「だって、困ってるように見えたんだもの」
リーネは二人のやり取りを聞きながら一枚を取り上げた。
「これ、セラ」
「はい! 私です!」
リーネが札を渡すと、セラは両手で受け取った。
マルタは書き板へ、書き棒で丸を二つ描く。
「では、今度はセラへ、これと同じ数だけ木の実を届けてください」
小机には浅い籠が置かれ、中に丸い木の実が入っていた。
リーネは籠から木の実を一つずつ取り出した。
「ひとつ、ふたつ。セラ、どうぞ」
「ありがとうございます、リーネ様」
次に選んだ札はニナのものだった。
今度は書き板に丸が三つ並ぶ。
「ニナは、みっつ」
一つずつ数え、ニナの掌へ載せていく。
三つ目を置いたところで、リーネはセラの手元と見比べた。
「ニナのほうが多い」
「そうですね。いくつ多いでしょう」
リーネはセラの二つ、ニナの三つを順に指した。
「ひとつ」
「正解です」
セラが自分の木の実を見下ろした。
「私にももう一つあれば同じですね」
「それじゃあ、だめだよ」
ニナがすぐに止める。
「今は三つと二つを見るんでしょ」
「分かってるわよ」
リーネは笑いながら、次の札へ手を伸ばした。
マルタの番では書き板に丸が一つ。
イレナの番でも一つだった。
「マルタとイレナ、おなじ」
「はい。同じですね」
リーネはイレナへ木の実を渡してから、その靴についた土へ目を落とした。
「イレナ、どこいってたの?」
「家の周りを見てきました」
「なにかいた?」
「鹿を一頭見かけましたよ」
「リーネも見たかった」
「次に見つけたら、お呼びします」
「うん。ぜったい呼んでね」
最後に残った札を、リーネは迷わずルヴェンの前へ持っていった。
「これはルヴェン」
『はい。私でございます』
書き板には丸が二つ描かれた。
リーネが数えて木の実を二つ置くと、ルヴェンは前脚の間へ大事そうに寄せた。
『名前も数も、すべてお分かりになるとは。まことにお見事です』
「ルヴェン様、まだ今日の分が終わっていませんよ」
ニナに言われ、ルヴェンは尾の動きを止めた。
『これは失礼いたしました』
セラも頷こうとして、マルタと目が合い、何も言わずに口を閉じた。
リーネは小机を見回した。
札を受け取った皆の顔も順番に見る。
それから、眉を寄せた。
「りゅーの、ないよ」
マルタが空になった机へ目をやる。
「今日はリュセル様がここにいらっしゃらなかったので、ご用意していませんでした」
「でも、りゅーもあとで帰ってくるよ」
「そうですね」
「じゃあ、りゅーのも作る」
マルタは少し考えてから、何も書かれていない木札を一枚取り出す。
「では、作りましょうか」
「リーネが書く」
「では、見本はこちらに書きますね」
マルタが書き板の空いているところへリュセルの名を書く。
リーネは木札と書き板を交互に見て、書き棒を握り直した。
一つ目の字を書き、首を傾げる。
「マルタ、つぎ、ここから?」
「はい。そこから下へ」
「わかった」
言われたところへ線を足す。
次の字は少し大きくなり、その次は隣へ寄りすぎた。
それでもリーネは消さず、見本を見ながら続きを書いていく。
セラが何度か口を開きかけ、そのたびにニナが横から肘をつついた。
イレナは木の実を掌に載せたまま見守り、ルヴェンも前脚の間に二つを置いて動かない。
最後の字まで書くと、リーネは木札を両手で持ち上げた。
「できた。りゅーの名前」
◇
家へ戻る道を歩いていると、木々の開けた場所からリーネの声が聞こえた。
そちらへ歩いていくと、書き棒を持ったリーネが私を見つけて顔を上げる。
「りゅー!」
書き棒を持ったまま駆け寄ってくる。
私はその前で足を止めた。
「りゅー、見て。これ、りゅーの。リーネが書いたの」
差し出された木札には、私の名が少し大きく、ところどころ曲がって並んでいた。
「私の名か」
「うん。りゅーの、なかったから作ったの」
「そうか」
「読める?」
「リュセル」
リーネの顔がぱっと明るくなる。
「合ってる?」
「ああ。合っている」
「よかった」
リーネは木札を抱えて小机へ戻った。
自分の名前が書かれた札を少し横へ動かし、その隣へ私の札を置く。
「これで、みんなある」
リーネは並んだ札を端から一つずつ指で確かめ、最後にもう一度、私の札を撫でた。
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