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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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113/121

第113話 焼け跡に残す木(前編)

 大樹の家へ戻ってから、幾日か経った朝のことだった。

 朝食を終えたリーネが、私の膝の上で木の馬を歩かせていた。

 四本の脚をまとめて動かすので、馬というより跳ねる獣に近いが、本人は気に入っている。

 私の膝を越えそうになると、もう片方の膝へ戻してやる。


 「マルタ。今日はロアナへ行ってくる」


 空いたカップを下げていたマルタが、手を止めた。


 「リーネ様もご一緒ですか?」


 「いや。ルヴェンと二人だ。空を飛んでいく。一日で用事を済ませて、今日のうちに戻るつもりだ」


 辺境伯から聞いた、荒れたままの街が気になっていた。

 イレナを通じて再訪の意向を伝え、必要なら木樹魔法で土地を保全することについても、ギルベルトの了解を得ている。

 その連絡を取り次いだイレナは、今日は護衛として家に残る。


 「留守の間、リーネを頼みたい」


 「承知いたしました。お食事もお昼寝も、こちらでお世話いたします」


 マルタが答える間に、リーネの木の馬が止まっていた。

 膝の上から私の顔を見上げ、外套を引く。


 「りゅー、いく?」


 「ああ。出かけてくる」


 「りーね、いっしょ」


 両腕を私へ伸ばしてきた。

 いつもなら抱き直して、そのまま外へ連れていくところだ。


 「今日は、マルタたちと家で待っていてくれ」


 リーネは腕を下ろさなかった。

 私が腰を浮かせると、膝に置いていた木の馬が滑りかけたので、先にマルタへ渡す。

 その間も服を握られ、結局、リーネを抱いて立ち上がることになった。


 「りゅー、いっしょ」


 「戻ってくる。今日のうちに」


 「りゅー!」


 先ほどより強い声だった。

 首へ回ってきた腕が、髪まで巻き込んでいる。

 少し離して顔を見ようとすると、胸へ頬を押しつけられた。


 この子を置いて外へ出ることは、これまでにもあった。

 だが、長く離れることはめったにない。

 旅の間も、馬車に乗る時も宿へ入る時も、ほとんど私の腕か、すぐ手の届く場所にいた。


 「ロアナの様子を見てくるだけだ。泊まりはしない」


 言い終える前に、首を横に振られた。

 髪が小さな口へ入りそうになり、指で除けてやると、その指までつかまれる。


 『主。一日の長さをお話しになっても、今はご一緒に行きたいのでしょう』


 足元からルヴェンが告げた。


 「それは分かる」


 『はい。よく伝わってまいります』


 リーネの声は、部屋の外まで届いていただろう。

 片づけを手伝っていたセラが木の馬をマルタから受け取ったが、リーネはそちらを見なかった。

 マルタが両手を差し出すと、私の服を握る力がさらに強くなる。


 「リーネ様。こちらへいらっしゃい」


 「りゅー……」


 私が身体を傾けた途端、泣き声になった。

 マルタの腕へ移しかけたところでこちらへ身を戻そうとするので、背中を支えたまま止まる。


 「まだ、離れそうにないな」


 「はい。ですから、私がお預かりします」


 マルタは慌てずにリーネの身体を抱きとめた。

 私の服を握った手だけが、二人の間へ残っている。


 「泣いていても、お世話はできます。どうぞ、お任せください」


 リーネが泣くたび、私が抱き戻していては出発できない。

 それでも、指をほどこうとすると、濡れた顔がこちらを向いた。

 私はその小さな手を握り、もう一度話しかける。


 「リーネ。帰ってきたら、また一緒だ」


 返ってきたのは、私を呼ぶ声だった。

 頷きもしなければ、手を振りもしない。

 マルタが背を撫でながら抱き直すと、ようやく服から指が離れたが、その手はすぐ私へ伸ばされた。


 「……留守を頼む」


 「はい。いってらっしゃいませ」


 マルタの隣へニナが寄り、リーネが落としかけた靴を直した。

 入口に立つイレナも、私へ頷く。

 私は空いた両手を下ろし、ルヴェンと部屋を出た。


 家付き精霊たちには、朝のうちに出かけることを伝えてある。

 生活階の外へ出ると、風のフィルネがついてきたが、リーネの泣き声に耳を向け、開いている入口へ戻っていった。

 私はその後ろを見送ってから、足元へ風を集める。


 《蒼穹渡り》


 身体が床を離れ、ルヴェンとともに枝の外へ浮かび上がった。

 葉を抜ける朝の光が外套に当たり、家の窓が少しずつ下になる。

 そこから森の上へ進んでも、しばらくは耳にリーネの声が残っていた。


 『戻られますか?』


 「今戻ったら、同じことをもう一度やることになる」


 『では、用事を済ませましょう。マルタも待っております』


 「ああ」


 木々の梢を越え、風の流れを前へ伸ばした。

 足元の森が遠ざかり、街道が地の上に曲がった線を引く。

 今日はルヴェンと二人だから、馬車の速さに合わせる必要もない。

 だが、いつもならそこにある重みがないことを、私は飛びながら何度も意識した。



 ◇



 ロアナが見えたのは、まだ日が高いうちだった。

 街道の先に石壁が途切れ、屋根のない家々が灰色の地面へ並んでいる。

 折れた時計塔は、今も半分の高さで空を指していた。


 私は街へ入る道に降り、石畳へ足をつけた。

 隣へ下りたルヴェンが、鼻先を通りへ向ける。


 『辺境伯の話のとおりですね』


 「ああ。人が住んでいるようには見えん」


 火はとうに消え、灰の下から草が伸びていた。

 焼け残った壁は雨風で崩れ、扉の外れた家には落ち葉が吹き込んでいる。

 店先だった場所に割れた器が転がり、その間に白いものがあった。


 骨だった。


 折れた腕の骨らしいものが、器の破片へ引っかかっていた。

 そこから離れた石畳には、肋骨が数本散っている。

 通りの先にも、崩れた壁の下にも、白い骨が見えた。


 遺体に残っていた肉は失われ、骨さえ一か所にまとまっていない。

 おそらく、野生の獣が食い荒らし、引きずっていったのだろう。

 誰かが片づけた形跡もなく、人の亡骸は、割れた器や瓦礫とともに街へ散らばっていた。


 私は骨を踏まないように足を運び、中央広場へ向かった。

 広場にあった樫も、切り株だけを残している。

 その周りを囲んでいた石畳には土がたまり、割れ目から生えた草が切り口へかかっていた。


 四十年前、終戦の記念に植えられた木だ。

 敵も味方も武器を置き、二度と争わないと誓った。

 私は、その時の領主と市民を見ていた。


 後の戦争で、樫は兵器の材料にされた。

 その結果が、この街だった。


 『主。あちらの建物の奥をご覧ください』


 ルヴェンが示したのは、広場に面した石造りの家だった。

 屋根を失った壁の内側へ、魔の気配が澱んでいる。

 ほかにも、通りを挟んだ崩れた建物の下に同じ気配があった。


 「まだ濃くはないな」


 『ええ。ただ、このままでは、アンデッドが湧く土壌になるかもしれません』

読んでいただきありがとうございます。

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