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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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112/120

第112話 大樹の家へ

 ギルベルトとの会談を終え、私たちは領主館を辞した。

 待っていたマルタたちと合流して馬車へ乗り、ヴァルネを発つ。

 次に向かうのは、大樹の家だ。


 森の道へ入ると、リーネは窓の外へ顔を向けた。

 私は隣に座り、揺れる車体に合わせてリーネの腰を支えていた。

 木々の間を淡い青白色のものが飛び抜け、窓のすぐ外で止まる。


 「ふぃる!」


 『リーネ! おかえり! おかえりなさい!』


 長い耳が窓いっぱいに広がった。

 風のフィルネは馬車と並んで飛びながら、羽毛に似た尾を振っている。

 リーネが窓へ掌を当てると、その向こうへ鼻先を寄せた。


 『待ってたよ! ずっと待ってた!』


 窓を少し開けてやると、声と一緒に風が入ってきた。

 リーネの前髪が持ち上がり、後ろにいた私の髪まで顔へ掛かる。


 「風のフィルネ。風が強い」


 『あっ。主も、おかえりなさい!』


 「私への挨拶を忘れたことは構わん。風だ」


 『はいっ!』


 風は弱くなったが、尾は止まらなかった。

 リーネは開いた窓へ指を伸ばし、近づいてきた耳の先へ触れて笑う。

 風のフィルネは触れられるたびに遠ざかって、また戻ってきた。


 『寂しかったよ。呼んでもリーネがいないし、窓を開けても誰も来ないし!』


 「ふぃる、いっしょ」


 『うん! 今度は一緒に行けるよ!』


 返事に重なって、木々の間から小さな風の精霊たちが現れた。

 先へ飛んでいく者も、馬車の屋根を越えて戻ってくる者もいる。

 落ち葉が道からふわりと浮き、車輪を避けて左右へ流れた。

 森へ入ってからというもの、窓の外が忙しい。


 『皆、迎えに来たのですね』


 ルヴェンが座席から外を見た。

 風のフィルネは胸を張るように身体を起こす。


 『見つけたら教えるって、約束してたんです!』


 旅立つ時には、この相手だけが途中で止まった。

 今は道が曲がっても、枝が馬車のそばへ迫っても、少し身をかわして窓へ戻ってくる。

 リーネはそのたびに名を呼んだ。

 家の根元へ着くまで、風のフィルネの返事が途切れることはなかった。



 ◇



 馬車が止まった途端、窓の外から三つの声がした。


 『お帰りなさい』


 『よく帰った!』


 『……おかえり』


 扉を開けると、水のネレアが透明な身体を伸ばし、火のカーナが尾を高く掲げていた。

 その足元には、丸い石の身体をした地のドルムがいる。

 苔を載せた背中を揺らし、私たちが降りる場所へ近づいてくる。


 私がリーネを抱いて降りると、風のフィルネが頭上を一周した。


 『家に上がろう! 早く、こっち!』


 「先に下ろしてやる。触りたがっているぞ」


 腕の中で、リーネは風のフィルネへ両手を伸ばしていた。

 草の上へ下ろすと、相手の方から胸元へ飛び込んでくる。

 リーネは長い耳を撫で、羽毛のような尾を両手で抱えた。


 『そう、それ! それ、してほしかった!』


 風のフィルネは腹を上へ向け、宙に浮いたままリーネの手へ身体を預けた。

 先ほどまで前へ前へと飛んでいた精霊が、まるで動かない。


 『家に上がるのではなかったのですか』


 ルヴェンに尋ねられると、尾だけがリーネの腕へ巻きついた。


 『もうちょっと!』


 「急いでいたのは、お前だろう」


 『でも、今、撫でてくれてるから!』


 理屈になっていないが、本人にとっては十分らしい。

 リーネも笑いながら、丸い腹へ頬を寄せていた。


 そのそばへ、水のネレアが寄ってくる。


 『風のフィルネばかりでは、ほかの者が挨拶できません』


 もっともな注意をした直後、水のネレアはリーネの手元まで身体を伸ばした。

 胸の内側にある青い核が光を通し、水の表面が指へ向かって丸く盛り上がる。

 リーネは片手を離し、そこをつついた。

 ぷるりと形を変えた水が再び盛り上がると、今度は掌で叩く。


 「あっ!」


 跳ねた水がリーネの袖へ散った。

 ところが、水のネレアは引っ込まない。

 もう一度、触れやすい高さへ水を押し上げた。


 『どうぞ。もう一度できますよ』


 「服が濡れているが」


 『きれいな水です』


 「汚れの話はしていない」


 『乾かせます。風のフィルネが』


 『今、撫でてもらってるの!』


 リーネに尾を抱えられたまま、風のフィルネが抗議した。

 普段なら水の使い方にも洗濯物にも口を出す水のネレアが、その返事を待たずに遊びを続ける。

 マルタは降ろした鞄から布を取り、笑いながらリーネの袖を拭いた。


 『リーネがいない間は、誰もこうして触ってくれませんでしたから』


 水のネレアが、濡れた小さな掌へ自分から寄った。

 私は次の注意をやめ、その隣へしゃがんだ。


 「では、少し遊んでいけ」


 許す前から、遊んでいたが。


 リーネが腰を下ろすと、地のドルムがすぐ横まで進んできた。

 いつもなら呼ばれてからゆっくり動く相手だ。

 今日は誰も呼んでいないのに、リーネの膝へ丸い身体を寄せている。

 石の背を撫でられると、そのまま草の上に落ち着いた。


 『地のドルムは、馬車が来る道を毎日見に行ってたよ』


 風のフィルネが腹を上に向けたまま告げた。

 地のドルムはしばらく黙ってから答える。


 『……道を、直していた』


 『もう直ってたのに?』


 返事はなかった。

 ただ、リーネが背中から手を離すと、地のドルムはその手の下へ自分から進んだ。

 リーネがもう一度撫でる。

 石の身体は、そこで止まった。


 「留守を頼んだが、待ち遠しかったか」


 私が尋ねると、地のドルムはリーネの膝へ寄り添ったまま答えた。


 『……長かった』


 精霊の口から聞くには、珍しい言葉だった。

 リーネはそんなことを知らず、苔の生えた背を何度も撫でている。


 『こちらも見るといい!』


 火のカーナが草から太い根へ上がり、橙色の尾を高く伸ばした。

 揺れる光にリーネが顔を向けると、尾の先が明るく膨らむ。

 水のネレアの透明な身体にも光が映り、リーネの指先まで橙色に染まった。


 「おお!」


 『そうだろう!』


 拍手を受けた火のカーナは、もう一度尾を振った。

 風の精霊たちまで周囲へ集まり、浮き上がった落ち葉が光の上を舞う。

 リーネが手を叩くほど、風のフィルネも尾を振り、水のネレアの背に小さな波が立った。


 根元がすっかり騒がしくなっている。

 森へ来た時には、物音を嫌ってこの場所を選んだはずなのだが。


 『リーネがいないのに、夜もそれをやってたよね』


 風のフィルネの言葉に、火のカーナの尾が止まった。


 『明かりを保つのは仕事だ』


 『でも、リーネの寝床の前でしなくても』


 『戻ってきた時に暗くては困るだろう!』


 「明かりなら、私たちが帰ってきてからでよかっただろう」


 『分かっている!』


 火のカーナは私へ言い返したが、リーネが腕を伸ばすと、すぐに根を下りてきた。

 尾の光も熱も弱まり、小さな掌のすぐ前で止まる。


 『どうだ、リーネ。きれいだろう?』


 「うん!」


 『そうか!』


 触れた指へ、橙色の尾が柔らかく沿った。

 その間も、地のドルムはリーネの膝から離れず、風のフィルネは反対の腕に尾を預けている。

 水のネレアまで手元へ身体を伸ばすので、リーネの周りに隙間がない。


 『主。これでは、抱き上げられませんね』


 ルヴェンが私の隣へ座った。


 「無理にどかすこともあるまい。家はすぐそこだ」


 『ええ。今日は皆に譲って差し上げましょう』


 ルヴェンはそう答えたが、白銀の尾をリーネの背へ回していた。

 幼子が寄りかかると、尾はそのまま背を支える。

 譲ると言った相手まで加わった。


 私は立ち上がりかけていた膝を戻し、草の上へ腰を下ろした。


 「皆、留守を守ってくれて助かった」


 『今度は、もっと早く帰ってきてね』


 風のフィルネは私へ耳を向けながらも、リーネに抱えられた尾を引かなかった。


 「その時は、出かける前に話そう」


 『うん。ちゃんと教えてね』


 帰ってきたばかりで、次に留守にする時の話をされるとは思わなかった。

 リーネは私の膝へ片手を載せ、もう片方で風のフィルネを撫でている。

 私は動かず、その手を受けていた。



 ◇



 ひとしきり再会を楽しんでから、私たちは風のフィルネと下級の風精霊たちに運ばれて生活階へ上がった。

 リーネを抱く私のそばで、風のフィルネが今度は速度を合わせている。

 入口へ着いても先へ飛んでいかず、床に下ろされたリーネを待った。


 私は収納空間から、布に包んだ葉を取り出した。

 大樹の家を出た朝には、ここの葉を一枚持っていた。

 世界樹へその葉を届け、今はリーネが受け取った別の一枚を預かっている。


 リーネが包みへ指を伸ばした。


 「これ」


 「ああ。お前から預かった葉だ。持って帰ったぞ」


 リーネは布の上から触れ、頷くと、風のフィルネを追って入口を越えた。

 見慣れた木の床を少し歩いたところで、こちらを振り返る。


 「りゅー、いっしょ」


 差し出された手へ、私は空いている手を伸ばした。


 「ああ。帰ろう」


 リーネが私の指を握って引く。

 葉の包みを持ち、私はリーネと家の中へ入った。

読んでいただきありがとうございます。

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