第111話 辺境伯への相談
ハルバ村を発つ時、サナは馬車まで見送りに来た。
残す食料を村長と分けてもらうことを確かめ、私たちはヴァルネへ向かった。
街に着いてからイレナが面会を取り次ぎ、領主館を訪ねる運びとなった。
日が差し込む応接の部屋では、ギルベルト本人が私たちを迎えた。
私はリーネを抱き、イレナとともに中へ入る。
「お帰りなさいませ、殿下。本来ならば、私からご挨拶に伺うところを」
「私が来ると言ったのだ。村のことで聞きたいことがある」
「承知いたしました。どうぞ、お掛けください」
勧められた椅子へ座ると、ギルベルトは私の膝の上にも挨拶を向けた。
「リーネ様も、お帰りなさいませ」
「あいっ!」
部屋によく響く返事だった。
ギルベルトは笑みを浮かべて会釈し、向かいの椅子へ腰を下ろした。
リーネは返事が届いたのに満足したらしく、私の腕に手を載せている。
「帰りに、ハルバ村へ寄った。食料は置いてきたが、あれを食べ終えればまた困る。あの村が暮らしを立て直すには、どうすればいい」
「ご支援、感謝いたします。ただ、ハルバだけの問題ではなくなっておりまして」
「ほかの村もか」
「はい。戦争が始まって以降、領内は凶作気味です。戦に要る物資の注文が増え、商いが潤った面はございます。ですが、食べ物の生産は落ちております」
商人の荷が動き、金が回っていても、畑で採れる麦まで増えるわけではない。
ハルバ村へ届ける分を増やせば済むという話ではなさそうだった。
「足りない分は、領外から買っているのか」
「近隣の領からの買い付けは増やしております。それでも、必要な量には届いておりません」
「なぜだ」
「水が足りないのです。我が領だけでなく、周辺でも麦やほかの作物の収穫が落ちております。買いたいと申し入れても、向こうも自分たちが食べる分を残さねばなりません」
金を用意すれば運ばれてくる、という状況ではないのか。
売る側にも余りがなければ、買い付けを増やすにも限りがある。
「そこへ戦争で親を失った子供や、住む場所を追われた者が増えました。受け入れた村や街には、その者たちを養う負担も掛かっております」
「食べ物を作れる場所と、食べる者のいる場所が合わなくなったか」
「はい。人が増えたからといって、すぐに畑を耕して収穫できるわけではございません。子供を預かれば、その世話をする者も必要になります」
サナたちも、村の蓄えに余裕があるから人を迎えたのではない。
受け入れた先で食べる者が増えても、水も収穫も増えはしない。
村で賄えない分を外から買おうとしても、その外まで不作だった。
「戦争の方は、終わったのか」
ギルベルトは苦笑した。
「殿下のおかげで、敵を押し返し、元の領土を取り戻すことはできております。現在は休戦中、と申し上げるのが近いでしょうか」
「なるほど」
戦っていた者を退けても、失われた暮らしまで戻るわけではなかった。
ならば、どうするか。
木樹魔法で土を改良することは考えられる。
精霊の加護を借り、土地を豊かにする手もあるだろう。
ただ、水の足りない土地へ、土の手当てだけをしても済むまい。
畑と水の様子を見てから考える必要がある。
ギルベルトは私の返答を待っていた。
まだ考えただけの手立てを口にするのはやめ、村の話を続ける。
「ハルバには、ロアナを失った影響もあるのだな」
「はい。近くの買い手と店を失っております。当面の食料を支えながら、村の者が作ったものを売れるようにする必要もございます」
「ヴァルネで売れるようにはできないか」
「取引の相手は探せます。ただ、ここまで運ぶ負担もございますので、村に今何があり、何を売りに出せるかを確かめねばなりません。売れても運ぶ費用で使い果たすようでは、続きませんから」
村で作るものを増やすにしても、買い手まで届かなければ蓄えにはならない。
そこは、土地の人間と商いを知る者に動いてもらう必要があった。
リーネが身体を傾け、私の顔を下から覗き込んだ。
「りゅー」
「ここにいる。落ちるぞ」
腰を支えて座り直させると、今度は私の手を両手で包んだ。
人差し指を握り、隣の指へ持ち替えている。
私はその手を預けたまま、ギルベルトへ尋ねた。
「ロアナは、今どうなっている」
「人の暮らしは戻っておりません。焼け残った建物も荒れたままで、街と呼べる状態ではなくなっております」
「戻った者はいないのか」
「住み直せるところまでは至っておりません。家を直すにも、まずはそこで暮らす間の食べ物が要ります。近隣の村へ身を寄せた者も、容易には戻れません」
歩く者のいない通りと、崩れた診療所が思い出された。
あの瓦礫をどかした時に聞こえた泣き声は、今も覚えている。
握られていた指に力が掛かり、リーネが私の手を自分の膝まで引き寄せた。
「リーネを見つけたのは、あの街の診療所だ」
ギルベルトはすぐには答えなかった。
リーネは私の指を開かせようとしている。
「そうでございましたか。あの街で……」
「いずれ、様子を見ておこう」
私が去ってから、どうなったのかは自分でも確かめておきたい。
だが、ロアナに人が戻るまで、ハルバ村の暮らしを待たせるわけにはいかない。
「ハルバ村の立て直しを頼みたい。食料を届けるだけでなく、村で暮らしを続けられるように、売り先のことも含めて手を貸してほしい」
「必要なことだとは存じます。ただ、お話ししたとおり、食料の確保には苦慮しております。ほかの村への支援も続けながら、どこまで手を回せるか。今ここで、すべてお引き受けするとは申し上げられません」
もっともな返答だった。
領内の村は、ハルバだけではない。
私が寄った村だからと、ほかを顧みず物資を寄越せとは言えない。
それでも、調べてもらう約束だけを受け取って帰るつもりにはなれなかった。
別れ際、サナはもう食料を断らなかった。
あの子供たちがパンを譲り合わずに済む日を、村に残してやりたい。
「ハルバ村には、私が世話になった」
ギルベルトが顔を上げた。
「ロアナを出て、リーネを抱いて訪ねた。あの頃は、乳をどう飲ませればいいのかも分からなかった」
口にすると、ずいぶん頼りない話だ。
抱いている子供の腹を満たすことさえ、人に教えてもらわねばならなかった。
しかも、教わってすぐ上手くできたわけでもない。
「サナという女が、手を貸してくれた。旅に要るものまで、村で整えてもらった」
「ハルバの者が、殿下をお助けしたのですね」
「ああ。あの村も苦しい時だった。私に何かを求めたことはない」
リーネが私の手を放し、背中を胸へ預けた。
私は腕を回して支えた。
こうして抱いて話をしていられるようになるまでに、世話になった人間が何人もいる。
その最初にいたのが、あの村の者たちだった。
「あの村への支援は、私への貸しにして構わない」
ギルベルトの唇が開き、言葉が出ないまま閉じた。
やがて、こちらへ身を乗り出す。
「殿下への、貸しでございますか」
「そうだ。村を助けてもらう代わりに、私が恩を負う」
「ですが、それは……領内の村への支援でございます。殿下ご自身が、そのようにおっしゃるとは」
ギルベルトは言葉を切った。
私は返答を待ったが、彼はまだ私の顔を見ていた。
聞き違いではないかと確かめられているようだった。
「私が頼んでいるのだ。私への貸しでいい」
人間と貸し借りの話をするのは、好きではない。
用が済んだ後にも、それを理由に訪ねてくる者がいる。
分かっていて、私はもう一度口にした。
「あの村を、支えてもらえるか」
ギルベルトは姿勢を正した。
「承りました。ハルバ村への支援は、私が責任をもって続けます。村の者が暮らしを立て直せるよう、必要な手を打ちましょう」
「確かめてから、できないという話にはならないな」
「はい。何をすれば支え続けられるかを確かめます。そのうえで取る手立てと、村の様子を、イレナを通してお伝えいたします」
そばのイレナが、黙って一礼した。
私はギルベルトへ頷いた。
「では、その支援を受けた分は、私が覚えておく」
「……かしこまりました。お申し出も、お預かりいたします」
ギルベルトは座ったまま深く頭を下げ、顔を上げて私に答えた。
「ハルバ村のこと、確かにお約束いたします」
「頼む」
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