第110話 恩
リーネが私の指を引き、パンを持つ子供を指した。
「りゅー」
「パンか。少し待て」
収納空間から旅用のパンを取り出し、ちぎって渡す。
だが、リーネは食べずに、その手を子供へ伸ばした。
差し出された先の子は、もう何も持っていなかった。
最後の欠片まで隣へ渡してしまったのだ。
「かあいそう……」
私はリーネと手をつないだまま、二人の前へ近づいた。
自分が食べたかったのではないのか。
「もらっておあげ。この子がくれるってさ」
サナに促されて、子供が両手を出す。
リーネはその手にパンを載せると、私の指を握り直した。
「……ありがとう」
「あいっ!」
返事をしたリーネに、受け取った子が笑った。
私は残ったパンを割り、隣の子にも渡す。
二人が食べ始める間、リーネは私のそばから離れずにいた。
「サナ。食料を置いていく」
「気を遣わなくていいよ。顔を見せてくれただけで十分だ」
「乳の飲ませ方も分からなかった私に、随分と手間をかけただろう」
「あんな赤ん坊を抱いて来られちゃ、放っておけないさ。何か返してもらおうと思ったわけじゃない」
それは知っている。
豊かではない村で、彼女たちはリーネのために旅の荷まで整えてくれた。
「受けた恩は利子を付けて返すのが私の流儀だ」
サナは私の顔を見てから、パンを食べている二人へ声をかけた。
「よかったねえ。ゆっくり食べな」
そして私へ向き直る。
「なら、ありがたくもらうよ。でも、この子たちの道中の分まで出すんじゃないよ」
「ああ。残しておく」
私が穀物の袋を取り出すと、後ろからマルタが近づいた。
「リュセル様。せっかくですから、温かいものを作りませんか。干し肉もございましたね」
「ある。これで足りるか」
干し肉の包みを渡すと、マルタは中身を確かめて頷いた。
「麦と煮れば、皆さんで召し上がれます。サナさん、火を使える場所をお借りできますか」
「それなら広場を使いな。家の鍋も持ってくるよ」
「鍋なら私も持っている」
料理を任せることはできる。
必要な道具を出すくらいなら、私にもできるだろう。
◇
広場へ大鍋を下ろすと、セラが取っ手を握って持ち上げようとした。
両腕へ力を込めたものの、持ち直して、私を振り返る。
「リュセル様、これ、もう少し向こうへお願いします」
「どこだ」
「薪を組んでいるところです」
イレナと村の男が、鍋を支える石を据えている。
私はリーネをサナへ預け、空の鍋を魔法で浮かせて運んだ。
男は途中で石を持ったまま待ち、鍋が収まると、イレナに呼ばれて残りの薪を取りに戻っていった。
「水を汲んできますね」
桶を持ち上げたセラを呼び止め、鍋の上へ水を出す。
透き通った混ぜ物が一切ない水が生まれ、そして流れが底を打ち、マルタの指す高さまで溜まったところで止めた。
「桶も、ここへ置いてくれ」
「あ、はい!」
セラが空の桶を置く。
そちらにも水を満たすと、彼女は早速、村の女たちと穀物を洗い始めた。
家から持ってきた鍋やボウルが集まり、火のそばではマルタが干し肉を刻んでいる。
「肉は、これくらいですか?」
セラが手伝いながら、切った一片を見せた。
「ええ。その大きさなら、どなたの分にも入りますね」
私は追加の包みを取り出した。
「足りなければ、こちらも使え」
「ありがとうございます。では、それもお願いします、セラ」
「はい!」
村の女がセラの隣へ座り、ナイフを取った。
サナも家から持ち出した塩をマルタへ渡すと、リーネの手を引いて戻ってくる。
「りゅー!」
「ああ。ここにいる」
リーネは私の服へ抱きついた。
抱き上げると、鍋の向こうでセラが手を振ったので、リーネも懸命に腕を振る。
「リーネ様、待っててくださいね。おいしいのを作りますから」
「あいっ!」
「お返事がいいねえ」
サナに顔を寄せられて、リーネは歯を見せて笑った。
今度は通りかかった女にまで手を振る。
女が空のボウルを持ったまま挨拶すると、また元気よく返事をした。
「さっきは、私のところへ来るのもためらってたのにね」
「もう慣れたのだろう」
「そうかい。よかったよ」
サナが差し出した手へ、リーネが掌を重ねる。
私に抱かれたまま二度叩くと、サナも同じように返していた。
薪が燃えるにつれて、鍋から肉の匂いが漂ってきた。
リーネも遊ぶのをやめ、鼻を動かしている。
「お腹が空いてきたかい?」
「あいっ!」
今のは、私にも意味が分かった。
◇
麦が柔らかく煮える頃には、広場の周りに人が集まっていた。
それぞれ家からボウルやスープ皿を持ってきている。
ニナはパンを分けながら、手ぶらの子供へ私たちの旅用のボウルを渡した。
「食べ終わったら、ここへ返してね」
「うん!」
マルタが煮えた麦を確かめ、セラへ頷いた。
セラが一人目のボウルへスープを注ぐと、湯気と一緒に肉の匂いが広がる。
「熱いので、気をつけてください」
受け取った女は、まず子供のスプーンへすくって息を吹きかけた。
待ちきれずに口を開けていた子が食べ、すぐに次を求める。
女は笑ってもう一度すくい、それから自分でも食べ始めた。
「肉が入ってる」
そばで、最初にパンを分けていた子がボウルを覗いていた。
隣の子も自分のスープを混ぜ、見つけた肉をスプーンに載せて見せる。
二人とも、パンは膝の上に残っていた。
「まだありますから、皆さん召し上がってくださいね」
マルタに呼ばれ、後ろで待っていた老人もスープ皿を差し出した。
イレナは村の女と、蓋をした鍋を運んでいく。
家から来られない者へ届けるのだと、先ほどサナが頼んでいた。
私は広場に置かれた腰掛けへ座り、リーネを膝に乗せた。
隣ではルヴェンが横になり、行き来する村人を眺めている。
空いた手を振っていたリーネが、向かいに座る男から名を呼ばれた。
「リーネちゃんだったな。いい子にしてるか?」
「あいっ!」
返事と同時に、手が私の顎へ当たった。
男が笑い、リーネもつられて笑う。
「ずいぶん元気だ」
「それは、私が一番よく知っている」
顎をさすっていると、リーネがこちらへ向き直った。
「りゅー?」
「何でもない。振る時は、そちらへ振れ」
私の言葉が終わる前に、通りかかった女へもう手を振っていた。
女も笑って振り返す。
食事が進まないのではないかと思ったが、皆、スプーンを持っていない方の手で応じていた。
「お待たせしました、リーネ様」
ニナがパンを配り終え、マルタの用意したボウルを運んでくる。
私が受け取ると、リーネは挨拶をやめて中を覗き込んだ。
「もう冷ましてあります。お肉も食べやすくしてありますから」
「ああ。助かる」
スプーンを差し出すと、リーネは身を乗り出して食べた。
口の中のものがなくなると、私の手へ触れ、次を求める。
「まだある。慌てるな」
「おいしいですか?」
ニナの問いに、リーネが口を開けかけた。
「飲み込んでからだ」
待つ間、ニナはリーネの服へ掛けた布を直した。
やがてリーネが顔を上げる。
「あいっ!」
「よかったです」
ニナも笑い、空いた腰掛けへ座った。
セラが自分たちの分を持ってくると、妹の隣でスープをすくい、熱そうに息を吹きかけている。
マルタは村の女へ鍋を任せてから、ようやく私たちのところへ来た。
「お前たちも食べてくれ。よく働いてもらった」
「はい。リュセル様の分もございますよ」
差し出されたボウルを受け取るため、リーネの分をマルタへ預ける。
リーネは私の膝にいたまま、今度はマルタのスプーンを待った。
麦はよく煮えていた。
肉の塩気が出た汁と一緒に食べると、冷たいパンも欲しくなる。
私がパンを取ると、リーネも手を伸ばしたので、食べられる分をちぎって渡した。
「今度は自分で食べるのだな」
リーネはパンをかじりながら、私へ寄りかかった。
配り終えたイレナも戻り、サナの隣へ座った。
サナはまだスープの残るボウルを両手に持っている。
「ごちそうになったよ。こんなふうに、皆で腹いっぱい食べられるとはね」
「残りの食料も置いていく。村長と分けてくれ」
「そうさせてもらう。あの子たちも、今日はもうパンを譲り合わなくてすむよ」
二人の子供は空になったボウルを前に、残していたパンを食べていた。
リーネがその子たちへ手を振ると、今度は二人そろって振り返してくる。
だが、失われたロアナの市も店も、食料を置いていくだけでは戻らない。
また蓄えを使い切るまで待ってからでは、今日と同じことになる。
「イレナ。帰る前に、辺境伯のところへ寄る」
イレナは食事の手を休めた。
「村への支援について、お話しになりますか」
「ああ。今の暮らしを伝えたい。食料を届けるほかに何が要るのか、私も直接聞いておく」
「承知しました。お会いできるよう、お取り次ぎします」
サナが私を見たが、今度は遠慮の言葉を挟まなかった。
「……頼むよ」
「ああ」
膝の上のリーネが私の胸を叩いた。
残っていたパンを食べ終わり、空いた手を差し出している。
私はもう一片ちぎって渡してから、自分のスープに口をつけた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




