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【書籍化進行中】人間嫌いのハイエルフ、父になる  作者: 小狐


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第107話 みんな、かえる?

 父上が絵本の次の頁を開くと、リーネは新しい絵へ触れず、前の頁へ戻そうと紙を押した。

 父上が一頁戻すと、緑の森の絵が再び現れる。

 リーネは、その中の一本の木を指した。


 「ふぃる」


 父上が私を見た。


 「風のフィルネか?」


 私が尋ねると、リーネは頷いた。


 「うん」


 風のフィルネは大樹の家を離れられず、今回の旅には同行していない。


 家にいる時は、リーネが地上へ下りるたび、真っ先に飛んできた。

 長い耳や尾を撫でられると、風でリーネの髪を揺らしながら周囲を何度も回っていた。


 旅立つ朝にも、森を離れられるところまで馬車と並んで飛び、リーネへ待っていると告げた相手だ。

 リーネも、あの時は確かに帰ると答えている。


 王城の絵本に描かれた森は、大樹の家と同じ景色ではない。

 それでもリーネは、私に思い出させられるまでもなく、森の絵から待っている名を呼んだ。


 リーネは立ち上がると、寝台のそばに出してあった木製玩具を、マルタが開いていた旅用の鞄へ入れた。

 大樹の家を出る日に、自分で選んで持ってきた物だ。

 リーネは鞄の中をのぞき込んだ。


 「ふぃる、かえる」


 マルタは何も言わず、鞄を開けたままにした。

 寝台の脇で伏せていたルヴェンが顔を上げる。

 セラとニナ、イレナも、荷物ではなくリーネを見ていた。


 リーネは全員を見渡し、最後に私を見上げた。


 「みんな、かえる?」


 旅立ちの時、リーネは一人ずつ名前を呼び、誰が一緒に行くのかを確かめていた。


 今は違う。

 ここまで一緒に来た全員が、初めから「みんな」の中にいる。

 そのうえで、全員が一緒に帰るのかと私に尋ねている。


 「ああ。みんなで帰る」


 リーネは鞄へ触れたまま頷いた。

 私はリーネを連れてこの国へ来たつもりで、帰る日も私が決め、決まった日を知らせればよいと思っていた。


 だが、リーネにとっても、これは行って帰る旅なのだ。

 大樹の家で待つ者がいて、自分で選んだ物を持ち帰り、一緒に来た者たちと帰ろうとしている。


 大祭はすでに終わった。

 リーネが帰ろうと尋ねた以上、日を延ばす理由はない。


 「明日の朝、ここを発つ」


 マルタが「かしこまりました」と答え、イレナも頷いた。

 セラが鞄の中の玩具を見てから、リーネへ笑いかける。


 「風のフィルネ、喜びますね」


 『馬車を見つければ、家で待ってはいられないでしょう。迎えに飛び出してきますよ』


 ルヴェンの言葉を聞き、リーネは鞄の中の玩具へ触れた。


 「ふぃる」


 『ええ。もうすぐ会えます』


 リーネは大きく頷いた。

 父上が私へ尋ねた。


 「明日か」


 「ああ。大祭も終わった。風のフィルネたちも待たせている」


 「……そうか」


 母上はリーネへ向き直った。


 「そう。風のフィルネたちが待っているのね」


 「ふぃる、かえる」


 「ええ。帰らなくてはね」


 父上は床に残っていた絵本を手に取った。


 「ならば、今夜はこの一冊を最後まで読もう」


 父上が抱えたのは、箱一杯の本ではなく、リーネ自身が選んだ一冊だけだった。


 母上は、箱の残る隣室へ身体を向けた。


 「では、夕食の後にしましょう。私が選んだ本も一冊くらい――」


 私は母上が歩き出す前に、開いていた隣室の扉を閉めた。


 「今夜はその一冊で十分だ」


 「仕方がないわね」



 ◇



 夕食を終えた後、父上と母上はもう一度客室へ来た。


 父上はリーネと並んで床へ座り、昼に閉じたところから絵本を開く。

 母上も反対側へ座ったため、リーネは二人の間に収まっていた。


 王と王妃のために用意された椅子は、誰にも使われず壁際に残っている。

 二人とも、床に座るリーネに合わせていた。


 頁がめくられるたび、リーネは描かれた鳥や花へ触れた。

 父上が絵に合わせて話し、母上が別のものを指すと、今度はそちらへ手を伸ばす。


 父上は、絵の脇に添えられた短い文章を、謁見の間と変わらない声で読んでいた。

 幼い子供へ聞かせる物語であっても、一語も崩さず、妙に重々しい。


 「あなた、もう少し優しく読めないの?」


 「一字も読み違えてはいない」


 「読み違いの話ではないわ。小鳥が勅命を受けているように聞こえるの」


 「ならば、どう読めと言う」


 「普段、リーネに話しかける時と同じでいいのよ」


 母上が手本を示そうと本へ手を伸ばしたが、父上は渡さなかった。


 「私が読む」


 「では、続きをどうぞ」


 父上は同じ一文を最初から読み直した。

 先ほどより声は柔らかいが、今度は一語ずつ区切りすぎている。


 リーネが父上の顔を見上げた。


 「何だ」


 「もう一度読んでほしいのではないかしら」


 父上は母上の言葉に反論せず、同じ一文を三度目に読んだ。

 今度は、普段リーネへ話しかける時の声になっている。

 リーネが絵へ顔を戻すと、父上はそのまま先を読んだ。

 母上はもう何も言わず、笑いを堪えている。


 枝に止まる鳥の絵が現れると、父上はその頁をリーネの前へ寄せた。


 「これは分かるか?」


 「とり」


 「そうだ」


 リーネが答えただけで、父上は同じ頁をしばらく開いていた。


 「リーネより、あなたの方が嬉しそうね」


 「私が選んだ本だからな」


 父上が答えると、リーネはもう一度、鳥の絵に触れた。

 絵本を最後まで読み終えたところで、父上はなぜか、先ほどの鳥の頁まで戻した。


 「これは?」


 「とり」


 リーネが答えると、父上は満足そうに頷いた。


 「あなた、それはさっきも聞いたでしょう」


 「覚えているか確かめただけだ」


 嘘だな。

 もう一度、リーネが答えるところを見たかっただけだ。

 父上は何事もなかったように本を閉じ、リーネへ差し出した。


 「これは、リーネの本だ」


 リーネは受け取った本を胸へ抱いた。


 「とり」


 「そうだ」


 父上からもらった絵本も、帰りの鞄へ収まった。

 リーネは私を見上げた。


 「かえる」


 「ああ。明日、帰ろう」

読んでいただきありがとうございます。

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