独軍国の栄光
かつて、戦争があった。
二大超大国と、それに属する国家間の争いだった。
最初は誰もが気にとめないような小国の小競り合いだった。
だが、犠牲は憎しみの連鎖を生み、周囲の国々を巻き込み、やがて大国対大国という規模にまで大きくなった。
大国同士は利益よりも損失が大きいと分かっていながらも、属国の要請で既にお互いに銃を向けており、振り上げてしまった拳をしまうことができなかったために、遂に開戦へと踏み切ってしまった。
小国と違い、大国同士での戦争では既に人と人が戦う時代は終わっており、戦闘は機械同士の戦いだった。
地上では人型の機械兵が、空では無人機が、海では無人戦闘艦が人に取ってかわって、無意味とも言える戦闘を繰り返していた。
この、いつまでも続いていく戦況を打開すべく、大国は次々と大量破壊兵器を戦線に投入していった。
人が死なない戦争は、その限度をも知らずに加速していったのだ。
しかし、自国が使えば敵国も使用する大量破壊兵器は、地球環境汚染を引き起こし、戦線の膠着を解決するどころか、人類の存亡に関わる程にまで戦争の災禍を大きくした。
これに、しびれを切らした大国の指導者達は、戦争を早期終結させるべく、遂に禁じていた兵器を使ってしまう。
核兵器である。
どちらが先撃ったかは分からない。
だが、それは関係なかった。
既に大量破壊兵器の大量使用で倫理など消し飛んでおり、どちらが先に撃とうが、報復など関係なしに撃ち合っていた。
結果、核戦争に発展したこの戦争は、人類の9割と、それに伴う高度文明社会の崩壊という悲劇的な終結を迎えた。
後に終末戦争と呼ばれるようになるこの戦争から数百年、生き延びた人類は、僅かに残された技術でふたたび繁栄の道を歩み始めた。
しかし、人類は戦争を止めることはなかった。
この物語は、終末戦争から四百余年後に勃発した世界統一戦争と呼ばれる戦乱を戦い散っていった名も無いき男達の物語である。
二大超大国と、それに属する国家間の争いだった。
最初は誰もが気にとめないような小国の小競り合いだった。
だが、犠牲は憎しみの連鎖を生み、周囲の国々を巻き込み、やがて大国対大国という規模にまで大きくなった。
大国同士は利益よりも損失が大きいと分かっていながらも、属国の要請で既にお互いに銃を向けており、振り上げてしまった拳をしまうことができなかったために、遂に開戦へと踏み切ってしまった。
小国と違い、大国同士での戦争では既に人と人が戦う時代は終わっており、戦闘は機械同士の戦いだった。
地上では人型の機械兵が、空では無人機が、海では無人戦闘艦が人に取ってかわって、無意味とも言える戦闘を繰り返していた。
この、いつまでも続いていく戦況を打開すべく、大国は次々と大量破壊兵器を戦線に投入していった。
人が死なない戦争は、その限度をも知らずに加速していったのだ。
しかし、自国が使えば敵国も使用する大量破壊兵器は、地球環境汚染を引き起こし、戦線の膠着を解決するどころか、人類の存亡に関わる程にまで戦争の災禍を大きくした。
これに、しびれを切らした大国の指導者達は、戦争を早期終結させるべく、遂に禁じていた兵器を使ってしまう。
核兵器である。
どちらが先撃ったかは分からない。
だが、それは関係なかった。
既に大量破壊兵器の大量使用で倫理など消し飛んでおり、どちらが先に撃とうが、報復など関係なしに撃ち合っていた。
結果、核戦争に発展したこの戦争は、人類の9割と、それに伴う高度文明社会の崩壊という悲劇的な終結を迎えた。
後に終末戦争と呼ばれるようになるこの戦争から数百年、生き延びた人類は、僅かに残された技術でふたたび繁栄の道を歩み始めた。
しかし、人類は戦争を止めることはなかった。
この物語は、終末戦争から四百余年後に勃発した世界統一戦争と呼ばれる戦乱を戦い散っていった名も無いき男達の物語である。
大戦の幕開け
計画の序曲
2016/05/15 22:26
(改)
回想
2016/05/17 00:00
(改)
出港前夜
2016/06/20 07:00
(改)
再会
2016/07/05 06:00
(改)
計画始動
2016/07/22 06:00
(改)
マリアナ沖の戦い(前編)
2016/10/11 18:00
(改)
マリアナ沖の戦い(後編)
2016/11/07 00:00
(改)
独軍国演説
2016/12/01 00:00
(改)
束の間の休息
2017/02/21 08:35
(改)
アーネムランド侵攻せよ
2017/03/24 00:00
合間
2017/06/29 07:00
アデレートリバーにおいて
2017/07/08 06:00