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 階段に足を置く度に寒い。鉄製の火かき棒が冷えていって、わたしの手の熱を奪ってくる。


 お願い、カーリーン――生きてて。マディのためにも、あなたのためにも。


 階段も終わって、地下室の前に着いた。ドアの隅からは光が漏れてる。いる、間違いなく人がいる。

 わたしはドアを開けて、中に入った。



「いた……カーリーンさん……?」



 手足を縛られた女性がそこにはいた。わたしと同じぐらいの年齢で顔には少しあざがあって、暴力を振るわれたみたい。服はキャバレーでの衣装のまま、やっぱりキャバレー内からここに連れてこられたみたい。動く気力もないみたいで、壁にもたれかかってる。



「……だれ」

「わたしはシュテファニー。マディちゃんに頼まれて助けにきました」


 すぐに駆け寄って、固く縛られた縄を解きにいった。痩せてる、食事は与えられてないみたい。


「マディが……そう。来たってことはベルントは警察? ――私は捕まちゃったけど役に立ったみたいね、〝彼〟の役に」



 カーリーンはもうろうとしながら、話をしていた。彼女の話に反応したかったけど、縄が固い。片手に持った火かき棒が邪魔。

 床に置いて、しっかり両手で縄を解いた。



「ベルントはまだキャバレーに。でもカーリーンさんはベルントの悪事を知ってるんですよね? なら、助けた後に警察に行って――」


 カーリーンは疲弊しきった顔をしていたけど、わたしの言葉に目を見開いた。


「――まさか、あなたひとり!? ダメ、先に警察じゃない。〝彼〟がいないと、すぐに――後ろ!」



 最後の言葉にハッとして、わたしは後ろを振り向いた。

 むしろ、振り向くべきじゃなかったのかもしれない。わたしの顔に平手が飛んできた。



「いッ――!」



 バチンと頬を打たれた音が地下室で響いた。痛い。

 わたしの後ろにいたのは、見知らぬ図体のある男――それに、ベルント。このふたりだった。


 図体の大きい方はベルントのボディガードみたい。ただ、風貌からして合法なボディガードじゃないみたいだけど。

 ぶたれて倒れたわたしに、ベルントは見下ろしながら言った。



「おまえ、カーリーンの知り合いか何かかね。急にやってきて妙にものわかりがいいと思ったら、とんだネズミだ。カーリーンの様子を見に来てよかった、一緒にバカが捕まったのだからな。ハッハッハッ!」

「手当だなんだって困窮した人につけこんで、キャバレーのオーナーが売春の斡旋なんて許されることじゃない」



 ベルントは床に落ちていた火かき棒を手に取って、さっきぶたれた頬にゆっくりと当てた。鉄の冷たいが感触して、痛みが鋭くとがり出した。



「口を慎め、ワシは無理にやれとはいっておらん。需要と供給を満たすための仲介にすぎんよ。客は好みのパフォーマーをステージで見定め、パフォーマーは宿で安全に事を終えられる――治安の悪いストリートでは出来ぬことだ。嫌なら断ればいい、違うかね? それに、キャバレーも儲かっている。壊そうとする方が不幸な人間を生み出すのではないのかね?」


 ベルントの言い分にわたしの隣にいるカーリーンが「違う――」と反論した。


「――キャバレーはドイツの自由の場であって、一時の欲求だけを満たす場所じゃないの。誰もが平等にいて、互いに自由の場を表現する場所。私たちはキャバレーという箱の中で、その世界を作っているの。前のオーナーもそうだった……。だけどベルント、あなたのやっていることは自由の支配に過ぎない。恥を知って、為政者風情のブタが!」

「餓死より、いまの死を選ぶかッ!」



 火かき棒を上にあげたベルントがカーリーンを強打しようとした。わたしはとっさにカーリーンを庇おうと、反射的に身体を動かしてしまった。


 また後先考えずに行動してしまった――。


 わたしはぎゅっと目を閉じた。痛みを想像しながら――だけど痛みはなかった。目を開けたら、なぜかベルントはギリギリで止めていた。



「――おっと、おまえをあまり傷つけるわけにはいかん」


 ベルントがそう言うと、後ろを向いて図体の大きいボディガードに知らせた。


「おい、七号室の客人を連れてきなさい。死ぬ前にお金ぐらいは稼いでもらわんといかん。首を突っ込まなければ、惨めな思いをせずに済んだものを――ハッハッハッ!」

「ブタ以下ね……」



 ベルントの行いには、わたしにしても、つい口から漏れてしまうぐらいだった。

 ボディガードはドアを開けて、階段を上がっていったけど、正直逃げるのは難しい。カーリーンはひとりじゃまともに動けないし、わたしひとりが逃げようとしたところでベルントに火かき棒でやられるだけ。

 どうしたら……とわたしが考えていたら、カーリーンが声を掛けてきた。



「……ごめんなさい、私のせいであなたが……」

「わたしは大丈夫。きっと助かる方法があるから」


 これしか言うことがなかった。慰めにすらなってないかもしれないけど。

 カーリーンは続けて言った。


「〝彼〟がこの地下室さえ、見つけられてたら……」

「そういえば、〝彼〟っていったい――」



 この瞬間、誰かが階段から転げ落ちる音が聞こえた。

 わたしやカーリーン、ベルントもドアの方に顔向けた。転げ落ち終えると、その落ちてきたものでドアが「ギィィ……」と開いた。


 開いた先に見えたのは、ベルントのボディガード。落ちた際に気絶したみたいで、床に倒れこんでいる。


 いったい何が起きてるのか、わからなかった。そしてもう一つ、階段を下る足音が響いていた。その足音が近づいてくると、聞いたことのある声が耳に入った。

 やれやれ、とでも言いたげな気怠そうな感じだった。



「何かあれば相談に乗ると言ったはずだがな、危ないことをしたものだ」


 階段を下り終えて、倒れたボディガードを跨いでやってきたのはヴェルナー。

 どうしてここに――とわたしが言おうとする前にベルントの方が早く声を出した。


「ヴェルナー殿、何をして――」

「何をして、と言われればカーリーンに頼まれて、ベルントさんの行いを調査していたというところだ。前からな」



 隣にいるカーリーンは安堵した顔をしていた。

 このとき、三日前に事務所に来た人が誰なのかがわかった。



「事務所で匂っていた甘い香水……カーリーンさんがあの時に。まさか、キャバレーに行こうと言い出したのも――」

「ああ、様子を見に行った。ベルントさんとの交流の前から、カーリーンは俺の事務所に来ていてな。彼女が金庫の番号を、俺がお金の流れを、ベルントさんが言い逃れできないように時間を掛けて進めていたんだ。売春の斡旋は違法だからな」


 ヴェルナーは歩き出しながら、着ていたジャケットを脱いでいった。


「ベルントさん、いくらドイツが共和制になったとはいえ、自由と無法を履き違えてはいけない。自由は決して何をしてもいいものではない、各々の理性と意思によって作られるものだ。これからの時代、それを証明するだろうな――俺たちは」



 ベルントは火かき棒を両手で持って構えて、「人が望んだことに応えて何が悪いか!」と叫んでヴェルナーを打ちつけようとした。


 対峙していたヴェルナーは片手に持った脱いだジャケットを下から上に鞭のように振るって、火かき棒を絡め取った。棒は滑ったように方向を変えて、ヴェルナーに当たることはなかった。



「悪いさ、人はつねに道を間違うからな――それを、いままさに証明しているだろ。ここでな」



 ヴェルナーは勢いをつけて、ベルントの顔面を殴った。普段の彼からは想像し難い、腰の入った殴り。

 ベルントはその勢いのまま壁へと打ちつけられて、ガクンと頭が下がって意識を失った。

 さっきまであった緊張や怖さは消え去って、止まってた気がしていた息を吹き返すみたいに、ほっとひと息吐いた。



「た――助かった……」

「『助かった』、じゃない。どうして七号室で待たなかった」

「七号室……あっ! あの時、七号室に入ったのはヴェルナーだったんですか?」

「そうだ。キミが危ない目にあわないように、そこで倒れているベルントさんに俺から指名させてもらった。領収書つきでな」



 彼はポケットから領収書を出した。

 どうやらあそこにいても安全で、ついでにベルント側からの証拠も引き出せたってことらしい。ヴェルナーが裏で動いてくれてたみたい……むしろ、わたしが裏で勝手に動いてただけなのかも。


 それをヴェルナーがカバーして、結果的に今に至る。わたしの行動が良かったのか悪かったのか……どっちにしても、結果として悪い方向には向かわなかっただけよかったのかもしれない。

 いろんな考え事をしてるなかで、わたしに視界にすっと手が伸びてきた。



「立てるか、シュテファニー?」

「はい、どうにか」

「無事でよかった」



 その言葉いつものヴェルナーとは違う、優しさを感じた。彼の手を取って、わたしは立ち上がる。

 それからわたしたちふたりでベルントとそのボディガードを拘束して、カーリーンを運び出して外へと出た。


 ヴェルナーはカーリーンから四つめの番号を教えてもらい、わたしは彼女を支えながらヴェルナーから話を聞いた。



「カーリーンはこのまま医者に、頼むぞシュテファニー」

「わかりました。ヴェルナーは?」

「――後片付けだな。明日は帰れないかもしれない。それとこれについてだが……」


 何かと思えば、彼が差し出した手の上には火かき棒によって穴の開いたジャケットがあった。


「すまないな、キミが仕立ててくれたジャケットをこんなにしてしまって。さすがにあんな物を持たれては、ああするしかなくてな。物騒なことをする」

「……あはは、そうでしたね」



 その物騒な火かき棒の原因の一端はわたしにあるけど、それは黙っておいた方がよさそう。

 わたしは空いた手でジャケットを手に取って、ヴェルナーに伝えた。穴が開いてるけど、それは決して悪いことじゃないことを。



「気にしないでくださいヴェルナー。これが無かったら傷ついてしまったかもしれませんし、助かったかもわからない。服は――人を守る鎧でもありますから。この服があなたを守ってくれたなら、仕立てたわたしとしても本望です」

「――ああ、キミのおかげで助かったよ、シュテファニー」

「はい、お役に立ててよかったです」



 ふたりで微笑み合って、事の終わりを小さく祝った。

 わたしたちは互いの行動で『助かった』みたい。

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