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5/7

 夕方に事務所を出て、わたしはあるところに寄った。

 ヴェルナーにはまた友人との付き合いと言って出てきたけけど、さすがに無理がありそう。


 まあでも、キャバレーに行くことも今日で終わるはず。それを確かめるために、わたしはカーリーンのアパートへと来た。


 正面から見れば、漆喰が塗られた五階建ての石造りのアパート。いわゆる『賃貸兵舎(ちんたいへいしゃ)』《Mietskaserne》。


 表通りから見るファザードはそれなりに立派には見える。だけど実際は昔の都市計画で作られたアパートで、しかも投機目的に利用された結果、高密度な建物になっている。


 中に入って、階段を上って行ってるけど、密閉されたような空気。中庭があることが決められてたけど、これもずさんな計画のせいで、五・三メートル四方の小さな中庭だけが建物に囲まれて残っているだけ。日照も換気もすべて犠牲にされている。


 戦争の影響とベルリンの人口が増えてるのもあって、劣悪なアパートでもこう残っている。


 脚の痛みが響きながらも四階まで来た。上にあがるほど賃貸料が安い、最上階の五階は断熱材もなくて過酷な環境らしいけど、カーリーンは四階。寒さで凍え死んでいる可能性は低いかも。


 管理人は簡単に鍵を貸してくれた。「死んでたら、あとで教えて。片付けないといけない」、この言葉と一緒に。ひどいところ。

 わたしは鍵を差して、ドアを開けた。



「カーリーンさん……いますか。マディちゃんに頼まれて来たものですけど……」



 返事はない。ドアが開いた先を見たけど、部屋はひとつ。奥行きはあるけど、幅がまったくない。奥には窓が一個だけあって、その下にベッドが備え付けられてるけど、ギリギリ横向きにはできなさそう。備え付けキッチンもテーブルも椅子も、すべてが左右の壁側に設置されている。これで、人ひとりが歩ける幅が中央に出来上がっている。


 ドアを開けた瞬間に見てわかるぐらいに部屋は狭くて、ここにカーリーンがいないということがわかった。



「入りますね」



 わたしは部屋の中に入って、手掛かりを探し始めた。

 現状、カーリーンは行方不明になってる。ゴールデネ・ツヴィシェンヴェルトに来ていない、アパートにも帰ってきていない。


 推測すれば、どこかへ出て行った、とかが考えられる。どこでもある話。

 だけどそれを否定する材料を探す。決して難しいものじゃない。あるか、ないかのどっちか。

 わたしはベッド下に手を入れた。



「あった、貴重品を入れる箱」

 木製の箱を開ければ、すぐに目に入った。わたしはそれを手に取った。

「ある――お金が残ったまま」



 数えてみれば、五十ライヒスマルクもある。これだけあれば、一週間以上余裕で食べていけるし、自転車だって買える。



「こんなにお金を残して、どこかに行くわけない……ん、これは?」



 開けたときに紙一枚があった。べつにお金を隠すために置いたわけでもなく、ただ端の方にあったから気にしてなかった。お金があるのかの確認をしたかっただけだから、気にも留めなかった。


 だけど冷静になれば、その紙はすごくシンプルだった。片面に文字だけが書かれてる――それも少しだけ。



「『ベルント・ベックの金庫』《Bernd Becks Geldschrank》……」



 書かれた文字の下には、数字が三つ書かれている。金庫を開けるには四つの数字が必要。

 カーリーンはベルントの金庫を開けようとしていたみたい。どうして、そんなことをしようとしてるのかはわからないけど。


 だけど、ベルントの本名は『ベルント・ベック』《Bernd Beck》、これってあの領収書の『B.B』と同じだと考えられる。領収書に正式な名前を書かずに、こんな略称を使ってるなんて、ふつうの売買じゃない。


 お金と紙を元に戻して、立ち上がる。



「やっぱり、カーリーンは近くにいる」



 確証ってほどじゃないけど、そうだと考えられる自信はある。キャバレーに行って、確かめないと――。


 そう思って、出て行く際にテーブルを見たら、香水が置いてあった。

 匂いを嗅いでみたら、濃厚な甘い匂いがした。楽屋の中もいろんな濃い香水の匂いですごかったけど、カーリーンはこれを普段も使ってるみたい。



「でも、この香り……どこかで嗅いだような……?」



   ◇◇◇



 ゴールデネ・ツヴィシェンヴェルトの楽屋の中でせっかちなパフォーマーは椅子に座っているわたしに言った。



「お疲れさま、シーシュ。今日もよく働いた、脚が痛いのにがんばってステージに出て、アンタ才能あるよ」

「あはは……ありがとうございます。正直、けっこう限界だったりしますけど、わたし」

「じゅうぶんじゅうぶん。ステージに憧れて来ても、そのほとんどが過酷な労働だと知ってすぐバックレちゃうのよ。輝くステージを作るのは簡単な仕事でもないし、簡単なお金稼ぎでもない――カーリーンが楽な方に行ったのは残念だけどね」


 わたしは、自分の脚を労わりながら彼女に聞いた。


「真面目な人だったんですか?」

「アンタが思ってるほど生真面目な性格だとは思わない。だけど、ステージでの踊りや表現は真面目。ここから女優になれたら楽しそう、だなんだとも言ってった気がする。明るくて行動的な子よ、夢見がちともいえるかもしれない」



 彼女はカーリーンのことを語りながら、少し残念そうな顔をしていた。カーリーンが消えたのが意外だったようにも見える。


 マディもカーリーンが最近、忙しそうにしてたとも言ってた。何か考えがあったのかも。

 最初はマディのためだったけど、いまじゃカーリーンために動かないといけないって気持ちになってる。


 問題はどうやって切り出そう……と考えていたら、楽屋にマディが入ってきた。「その……」とわたしに話し掛けてきた。



「マディちゃん、どうかした?」

 わたしがそう聞くと、マディは頷いた。

「オーナーが来てって」



 どうして呼ばれたかはわからないけど、ベルントと話すチャンスがきた思った。マディに言われたとおり、わたしは社長室へと向かった。

 ベルントがいる社長室に入ったあと、彼は革張りの椅子に座りながらわたしに聞いてきた。



「手当がほしくないかね。今日の労働分よりもらえるのだがね」



 淡々と言って、わたしの様子を伺うようだった。警戒ってほどじゃないと思うけど、わたしからの発言を待っている感じ。

 危険なことなのはわかるけど、この質問は待っていた質問。わたしから切り出す手間が省けた。



「――はい。もらえるなら、なんでも」

「意味は必要なさそうか。だが、ワシは耳に挟んだだけ。この建物の後ろにある宿の、二階『七号室』で人を待つといい。手当をくれるという話だ」


 ベルントは手元の紙を手に取って「さて、ワシは仕事の片付けをしないといけない、早く出て行け」とわたしに言った。


「失礼します」



 わたしは社長室を出たあとキャバレーの裏口を出て、宿に行った。本を読んでる無愛想な店員が、宿に入ってきたわたしに一瞥(いちべつ)をして何も言わずにまた本を読みだした。


 二階の七号室の鍵は開いていて、ふつうに入れた。部屋の中はふつうの宿泊施設みたい。ベッドに椅子にテーブル、最小限のものだけが置かれている。ただ他とは違うとこがあるとすれば、ベッドのサイズがダブルというところ。


 わたしは暖炉の隣に置いてあった、鉄製の火かき棒を手にした。



「待ってて、カーリーン。わたしが助けるから」



 そのまま火かき棒を手にわたしは部屋を出た。廊下にはわたししかいない、人が来る前にカーリーンを探さないと。

 各階に部屋が六つあって、今は二階にいる。外から見たときは四階建てだった。どこかの部屋にカーリーンがいるはず、二階から上の階に向かって一つずつ部屋のドアを開けていった。


 彼女が行方不明になったのは二日前。わたしがキャバレーに潜入した日。その前日、三日前はいた。あのせっかちなパフォーマーが「昨日はいたのに」と言っていたから。そして、カーリーンのアパートでは彼女が街を出たような様子もない。


 ――つまり、わたしがヴェルナーに連れられてキャバレーに行ったときには、カーリーンは〝あの場〟にいた。


 マディいわく、その日の前からカーリーンは夜遅くまでキャバレーにいて、忙しそうだった。きっとそれは、ベルントの金庫を番号を調べていたに違いない。

 最後の四つ目の番号を調べていたときに、カーリーンは消えた。


 もうこの世にはいない可能性もなくはない。けど、もしも殺されているなら遺体が見つかってもいいはず。ベルリンで死体を隠そうなんてそう簡単なものじゃない。


 ベルントの運営するゴールデネ・ツヴィシェンヴェルトで消えたなら、同じくしてベルントの支配下に置かれている建物にいる可能性が高い――それがここ。


 三日前の深夜頃にいなくなったと仮定したら、体力的にも今日が限界かも。カーリーンを見つけないと――。

 四階の最後のドアを開けたけど、誰もいない。途中、閉まっていたドアはあったけど、それは別の人たちが利用していた。カーリーンじゃない。



「上の階じゃない……」



 わたしは階段を下った。一階の可能性は低い。脱出しやすい階だし、そうなると……。


 ガチャ――ギィィ。


 二階まで来たちょうどのタイミング。七号室のドアが開いて、入っていく人影が見えた。

 マズい、わたしがいないとなるとベルントに知られてしまうかも。


 わたしはすぐに階段を下って、一階まできた。左右に頭を動かしたら、一階には部屋に続くドアが六つ……じゃない、七つある。


 横並びのドアのなかで一つだけ、向きが違う方向に取り付けられている。七つ目のドアを開けると、わたしの目に映ったのは部屋じゃない。地下へと続く階段だった。

 地下室は食料の保管庫に使われる。だけど、この宿に食事の提供なんてないはず。



「……よし、いま行くから」



 火かき棒を強めに握って、寒々とした空気が流れる暗い地下室にわたしは下りていった。

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