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3/7

「ふわあ……」



 朝起きて大きめなあくびをしながら、三階から一階へと行った。

 昨日はお酒を飲んだのもあってよく眠れた。ベッドに入って、ウェイトレスの子ことが頭に浮かんだけど、すぐに眠りに入ってしまった。


 いま考えれば、お節介なことしたかな……。


 わたしは反射的に動くことがけっこう多い。寝て次の日になると少し後悔して、憂鬱になってしまう。それこそ未だにヴェルナーの事務所に住んでいるのも、いいのかわからない。



「……考えてもしょうがないか」



 外の明かりを取り入れる大きい窓を見たら、地面が薄っすらと白く覆われている。帰ってきたあとに少し雪が降ったみたい。窓には『シュラウドラフ事務所』と印刷されたウィンドウサインが貼られているけど、文字が白いせいで地面と同化してる。


 事務所のドアの鍵を開けて「カランカラン」とドアベルを鳴らしながら、外の様子を見た。



「あっ」



 ひと声上げたのは聞き覚えのある声。高くて、青い感じの声。わたしが声の方に顔を向けたら、『ゴールデネ・ツヴィシェンヴェルト』でウェイトレスをしていた子がドアのすぐ横に立っていた。


 キャバレーの居た時とは違って、ふつうの見た目をして、ふつうに子どもだって思える。毛羽立ったキャスケット帽、手の甲が隠れて指が少しだけ見えるサイズ大きめのコート、片手にはそこらじゅうが擦れたバッグ、裕福な家庭ではなさそうなのはすぐわかった。

 わたしは優しく話し掛けた。



「事務所に来てくれたみたい? 温かいお茶飲む?」


 コクコクと頷いてくれた。よかった、と思いながらわたしは彼女を事務所に向か入れて、お茶の用意をした。

 ソファに座った彼女に温かいお茶としてローズヒップティーを渡して、話を聞くことにした。


「お茶の味はどう? もうちょっと蒸らしてもよかった?」

「ちょうどいいです」

「来てくれてありがとうね、名前は……」

「マディ。マディ・ルート《Mady Ruth》」

「マディちゃんは――まだ、学生だったり?」



 わたしの問いにマディは頷いて「このあと学校に行こうと」と言って、お茶を飲んだ。

 やっぱり、まだ学生だったみたい。でも、わたしがキャバレーで働いちゃダメなんて説教するのも違う……はず。ウェイトレスとして働いてる分には、いちおう問題ないわけだし。話してみたものの、うまくいかない……。


 事務所自体は十時に営業。昨日のベルントとの会話で疲れたのか、ヴェルナーはまだ寝ている。

 それにキャバレーにいた時、マディはヴェルナーの方を見て怪しんでいたし、彼を起こして呼んできてもマディは緊張してしまうかも。


 わたしが「うーん」なんて悩んでいたら、マディからわたしに話し掛けてきた。あの……いいですか、って言われて余計に自分の力のなさを感じた。



「な、なんでも言ってマディちゃん。なんでも、わたしにまかせて」

「その、カーリーンおねえちゃんが最近忙しそうで……」

「――カーリーンおねえちゃん? マディちゃんのお姉さん?」


 マディは首を横に振って、「お店で働いてる人。ウェイトレスじゃなくて、パフォーマー。わたしに優しくしてくれてる」ローズヒップティーをひと口飲んだ。

 どうやらお店の従業員らしい。口ぶりからして、マディのことをかわいがってるみたい。


「それでそのカーリーンさんはどう忙しいの? なにかあったみたい?」

「前はお店終わったあと、一緒に帰ってくれたり、カーリーンおねえちゃんの家に泊めてくれたりした。でも、ここ二週間ぐらい前から全然。お店が終わったあとも帰らないでお店にいる。喧嘩なんてしてないのに」

「うーん、たしかに少し気になるかも」



 あのキャバレーで、夜遅くなっても帰らないかあ……。それまではマディと一緒に帰ってたみたいだし、言えないようなことや何かあったり?


 マディが直接それをカーリーンに聞くのは難しいだろうし、マディにとってはこういうこと一つとっても大切な事。カーリーンに直接聞くぐらいなら、わたしにだってできる。せっかく頼ってきたんだから、わたしもマディの役に立つことをしよう。


 わたしはわたしで実質タダでヴェルナーの事務所に泊めてもらってるわけでもあるから、小さい依頼ぐらいわたしの手で片付けて、役に立つアピールぐらいしておこう。


 ――だけど、あのキャバレーに入るにしても今のままじゃ入れない。わたしの顔はベルントに割れてるから、コソコソお店を嗅ぎまわればヴェルナーにも迷惑を掛けてしまう。

 なら、『仕立て屋』らしく、『新しいわたし』を仕立てればいい。気づかれないような、わたしに。



「マディちゃん。学校が終わったら、お店の角辺りに来て。そこでわたし待ってるから」

「は、はい」


 話し終えたあと、マディは事務所を出て学校へと行った。出て行った際の「カランカラン」と鳴ったドアベルと同じくして、ヴェルナーが階段を下りてやってきた。


「なんだ、こんな朝早くに友人でも来たか?」

「――まあ、そんなところですかね」

 そそくさとわたしはカップを片付けながら、彼に言う。

「夕方、ちょっと出かけます。……さっきの友人との付き合いで」

「ああ、わかった」



 テーブルに置いてあるカップの片付けをじいっと見られてたけど、なんとかごまかせたみたい。

 片付けた後は二階へと駆け上がって、夕方までの準備を始めた。



   ◇◇◇



「あまり目立たない感じで――インナーの季節感は外して……」



 水玉模様のプリント生地を使った膝丈ドレスを着て、その上にコートを羽織った。


 ドレスは春夏向けのコットン生地を使って、わたしがいま仕立てた。既製服が普及したのもあって、意図的に直線的なシルエットにした。ダーツも入れる必要がないから、前身頃と後身頃を作って縫うぐらいの簡単なドレス。


 工場で安価に大量生産できるようになってから、こういう服のシルエットが多くなった。

 仕立て屋としては作り甲斐はないけど、いまはこれがいい。姿見で全身を確認した。



「んー、帽子は……ない方がいいいかも。――よし」



 わたしの目に映っているわたしは好景気ながらもお金のない女性って感じ。特に季節外れのドレスは、そう印象づけていて、コートで無理やり寒さをしのぐ格好感が出てる。


 既製服が出てきたとはいえ、まだ身なりでその人がどういう階級の人なのかわかる。あまりいい見方ではないだろうけど。


 いつかは、わたしたちのような仕立て屋は消えて衣服の民主化が進むのかもしれない。それでも、人が外見を見る目は変わらないと思う。

 ならそれを利用するのも手。



「さてと、キャバレーに潜入してみよう」



 わたしはそろりそろりと、ヴェルナーにバレないように事務所を出た。



   ◇◇◇



 夕方になって、太陽が落ちる前。『ゴールデネ・ツヴィシェンヴェルト』の看板が見える通りの角で待っていると、毛羽立ったキャスケット帽が見えた。

 わたしが手を振ったら、だれ? と言わんばかりの表情が出ていたマディだったけど、途中で気づいてこっちまで寄ってきた。



「誰かと思いました」

「マディちゃんがわからないなら、大丈夫かな。一緒にお店行って、紹介してくれる?」



 頷いたマディと一緒に、わたしはまだ明かりの灯らないゴールデネ・ツヴィシェンヴェルトの中へと入っていった――。


 入ってみれば、思っていたより治安が悪そうな感じではない。というより、お店の開店のために忙しくしてる様子で、わたしに構う人はいない。マディの後をついて行って、ベルントがいるキャバレー奥の部屋についた。

 トントン、とわたしはドアを叩いてベルントのいる社長室に入った。



「失礼します」

「いったいなんだね、この忙しい時に」

「忙しいなかすみません。その働きに来たんですけど……空いてますか? 今日からすぐに働けますけど」



 ベルントは資料に目を通しながら、わたしの方を見た。


 わたしは部屋の様子を軽く見たけど、部屋はいかにも社長室って感じ。ブラックウォールナットの高級なデスクに艶のある革張りのソファ。何枚も重なってる紙やタバコの吸い殻。それに……隅には小さな金庫が置いてある。

 ベルントはわたしに言った。



「コートを脱がないのは失礼ではないか」

「――あっ、そうですね。はい」



 マズいマズいと思って、コートを脱いだ瞬間、品定めするような視線を感じた。コートを片手にベルントを見れば、彼はわたしの全身を確かめるように見ていた。


 ジロジロ見られるのは嫌だけど、キャバレーだし、スタイルが求められるのはしょうがない。まあ、わたしはウェイトレスとしてマディと一緒に働きながらカーリーンと話せればそれで――と思っていたら、ベルントはわたしを指差した。



「ふむ、合格。パフォーマーとしてがんばりたまえ」

「えっ!」

「何が『えっ!』だ。さっさと出て行って、仕事に励みなさい」



 パフォーマーってそんな簡単に決めていいの? しかも、わたしはパフォーマーをしたいわけじゃない――むしろウェイトレスとしての方がいいのに、どうしよう。


 けど、ベルントの視線が疑いに変わりそうだと感じた。しょうがないかあ、と思いながらもコートを片手に持ちながら、出て行こうとしたときだった。

 ベルントがわたしに言葉を残した。



「もし、お金が多く必要ならワシに言え。手当は多いからな」

「は、はあ」



 正直、何を意味しているかわからなかったけど、あまりいい感じの話ではないことは、なんとなく察した。

 それから、ドア前で待っていたマディと一緒にわたしは楽屋の方に向かった。目的を忘れちゃいけない、カーリーンに会いに行かないと。



   ◇◇◇



 楽屋の中は、化粧の粉末と湿った空気が入り混じった空間。準備に忙しくしているパフォーマーたちに「どいてどいて」と言われながら、ごちゃごちゃした楽屋を歩いてカーリーンを探した。


 ステージ裏側からの通りにある薄暗い楽屋はステージと同じように騒がしい。金属や宝石のアクセサリーがそこらじゅうに掛かってたり、絡まってたり、衣装も同じように椅子とかに掛かってる。

 わたしの近くを通った人に話を聞いた。



「あの、カーリーンさんいますか?」

「知らない知らない。いま忙しいの、後にして!」


 また別の人が通ったから、もう一度。


「カーリーンさん今日はどこに?」

「あんた誰? ああそうそう、パウダー切れちゃったんだけど持ってない?」


 またまた別の人が通ったから、もう一度……。


「その……カーリーンさん――」

「あなたでしょ、私の盗んだでしょ!」



 ――いろんな人に話し掛けたけど、みんな自分のことで手いっぱいみたい。マディも楽屋や他の場所を確認したみたいだけど、カーリーンが見つからない。

 もしかして、今日は休んでる? なら、いったん出て彼女の住んでいるところに……。



「ちょっと、ちょっと。そこのアンタ」

「はい?」



 楽屋内でカーリーンのことを考えていたら、せっかちな感じのパフォーマーがわたしに話し掛けてきた。身支度バッチリ、そろそろステージが始まる時間になってきたらしい。

 彼女はわたしの肩を後ろから押して、椅子に座らせた。



「早く、何してんのよ。準備してして」

「あの、わたし今日は初めてで……見学でもして――」

「いい、いい。ひとり足りないのよ。いなくたって回るけど、いるならステージに出なさい」

「踊りも何もでき――うっ!」



 わたしの話なんて聞かずに容赦なくパフが顔面に当たった。

 せっかちなパフォーマーは「みんなと合わせればいいのよ、フラミンゴと同じ。ほら、わたしがメイクするから動かないで」と言われて、もうわたしは逃れられないことを覚悟した。

 短いはずなのに、妙に長く感じながらメイクが終わり、衣装を身に纏った。



「いい感じみたいね」



 せっかちなパフォーマーの言葉を聞いたあと、離れたところに置いてあるドレッサーの鏡を見てみれば、本当に〝いい感じ〟だった。


 厚手の化粧なのもあって、自分でも自分じゃないみたい。他のパフォーマーたちと似たような顔つきになってる。肌もただ単に白いというより、陶磁器みたいな白さをしている。チークも大胆、街中じゃ考えられない大胆さ。


 乗る気じゃなかったけど、少し楽しくなってきてしまった。わたしからすればまだ縫製が甘いと思えるけど、肩や脚が露出してる薄手でキラキラした衣装なんて普段着ることがないから心が躍る。アレ? わたしけっこうイケてるかも――なんて思い上がりが湧いた。



「じゃあ行けそうね。そうそう、アンタ名前はなに?」

「名前は……」


 さすがにシュテファニーそのままは危ないかも。別に何か名前……名前……。シュテファニー、シュテ……シュナイダー……。


「シー……シュ。わたしの名前は『シーシュ』《Schieschu》です」

「面白い名前。さあさあ、そろそろステージに出るのよ。いいシーシュ?」

「はい、行けます!」



 ライトに照らされるステージの舞台袖から、彼女と一緒にステージに向かった。さっきまでまったく自信なんてなかったのに、いまはすべてがいけそうな気がする。


 メイクや衣装のおかげ。それに、わたしを知ってる人なんていないだろうし、このメイクならバレない。八人で横並びになって、下手側の最後尾でワクワクしながらステージに出た。


 パチパチと拍手が鳴って、なんだかわたしがスターになったみたいで高揚感が高まるかも――なんて思ってたら、その高揚感を崖に突き落とすようなものを見た。



「ハッハッハッ! ヴェルナー殿、今日も来てくれたのですね」

「昨日の話を煮詰めようと考えたわけです、ベルントさん」



 驚くことに客席にはヴェルナーがいた。ベルント話し合っている。

 さすがにヴェルナーに見られたらバレる……はず。

 さっきまであった自信はすべて消え去ってるなかで、わたしは小さく口を動かして、隣にいるせっかちなパフォーマーに言った。



「あの、緊張してお腹が痛く……」

「我慢しなさい、もうステージに出たのよ。お客さんが不思議がるでしょ」

「……そうですね」



 たしかにそのとおりかも。いまここで逃げたら、ベルントに怪しまれる。それに、ヴェルナーもステージから逃げるわたしに目を引いてしまうかもしれない。


 楽屋の鏡で見たとき、わたしはわたし自身が自分だって思えなかった――そうだ、思えなかった。なら観察眼のあるヴェルナーにしても、わからないはず。


 香水の匂いにも鈍感だったし、案外わたしのことも大して顔を覚えてないかもしれない。むしろ堂々としよう。堂々とすれば、気にも留めないはず。


 せっかちなパフォーマーはわたしに聞いてきた。いちおうわたしのこと気にしてたみたい。



「シーシュ、大丈夫?」

「大丈夫です。やり切ります!」



 音楽が始まると、リズムにノリながらパフォーマーたちは脚を動かして踊り出した。わたしも彼女たちの動きを見ながら、同じように踊った。


 なんとかいけそう――すごく脚が疲れるけど。一分もしないうちに明日の身体を心配してしまうぐらい。


 だけど、笑顔でリズムよくみんなと合わせてれば意外に様になるものだと知れた。昨日見てた時は「わたしにあの格好は……ちょっと……」なんて思ってたけど、やってみれば楽しく感じる。


 うまくやれてるし、堂々としてやってればバレない。わたしは意図的に視線を外していたヴェルナーの席に視線を向けた。彼もベルントと話して、こっちなんて見てないはずだと思って――。


 見てた。

 ふつうにわたしを見てた。


 ちょうど目が合ったって感じじゃない。表情はいつもみたいに気怠そうなところはあるんだけど、その目は間違いなく、わたしを見てる。


 だけど、わたしだってわかったのかは不明。目を大きくさせたり、口元が開いたり、そういう動作はひとつもなくて、ただ観察してるようにも伺えた。


 バレたのかバレてないのか、どちらにも傾かない状態になってる。

 考えてもしょうがない。もう最後まで全力でやり切るしかない。

 わたしは考えるのをやめた。シュテファニーではなく、シーシュとしてなりきって、最後までステージで演じきった。


 もうどうにでもなれ――。

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