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 『シュラウドラフ事務所』でヴェルナーと同棲を始めて一週間。シュラウドラフ事務所はヴェルナーがひとりで立ち上げ、ひとりで切り盛りしている。

 一階が事務所で、二階は生活するためのリビング、三階は寝室。


 わたしが来る前は二階にベッドを置いて、三階まで行く労力を減らしていたみたいだけど、ベッドを三階に持っていて二階の一部をわたしの作業場にしてもらった。


 二階はリビングでありながら、仕立てをやる作業場にもなった。仕切りもしっかりあるから集中できる。けど、家とは違って今は仕事としてやっているというわけじゃない。ここはあくまで弁護士事務所。わたしがやっていることはヴェルナーの服をより良い物にしようとしているだけ。


 家にいた時も扱いとしては父の手伝いみたいなものだから、他人から見れば変化がないように思えるかもしれない。でも実際は針で縫うだけをしてたわけじゃない。


 採寸からパターンを引いて、次に裁断。仮縫いでフィッティングを調整して、中縫いしてまた微調整――時間を掛けて地道に詰めていく作業が『仕立て』という仕事。


 だけど仕事というには、いまやっていることは個人的なものに近い。作業自体は同じでも、対価を貰ってるわけじゃない。顧客のためというより家族のために作って……ん? ちょっと違う気が……。


 縫っていた手を数秒止めて頭の中を整理した。


 〝親しい友人〟のために作ってる――これだ。


 ヴェルナーとわたしは親しい友人みたいなものだから、これが正しい。付き合ってるとはいっても、お互いのことを考えたうえでのお付き合いなわけだし、変な考えはやめよう。


 袖と袖ぐりを合わせる裏地もつけ終わって、後はボタンとボタンホールだけ。窓の外を見てみれば、日も落ち始めてきている。一階に行って、夕食の相談をしに行かないと。


 階段を下りていたら、「カランカラン」とドアベルが鳴った。お客さんかな、と思いながら一階へと下りたら姿はなくて、ヴェルナーがひとりソファに座っていた。ちょうど出て行ったタイミングだったらしい。


 彼はあごに指を当てて、なにか深く考え事してるみたいだった。複雑な話だったのかもしれないし、どう接していいものか――と考えながらソファの方に近寄っていったら、甘ったるい匂いが鼻についた。



「……んっ。女の人?」

「ああ、そうだが。よくわかったな」

 すごい香水の匂い、バニラに……ジャスミン辺りが入ってるような濃厚な甘さ。

「匂いでまあ」

「そういうものか……?」



 ヴェルナーはあまり匂いには敏感じゃないらしい。というより、男性が匂いに鈍感なだけかも。

 ……それにしてもかなり強めだ。日常使いするような香水じゃない。何かのパーティー前とか、危うい雰囲気も漂う香り。いったいどんな人だったんだろう……。わざわざ華やかなパーティー前に弁護士事務所にくる? ふつう……?



「それで、どうしたんだシュテファニー?」



 逆にわたしがあごに手を当てて、考え事をしてしまっていた。想像を消すために首を左右に振って、ヴェルナーに話をした。



「時間的に夕食の買い出しにでも行こうと。それとジャケットの方も、もうできます」

「家に余ってる食べ物はないか。もしジャケットを完成させるとして、どれくらい掛かりそうだ?」

「ボタンを付けて、しつけ糸を外せば、一時間は掛からないぐらいで」



 なるほどな、と彼は言った後に時計を見た。時計は五時を指していて、ヴェルナーはわたしの方を見た。



「今日は外食にしよう。キミの作ったジャケットでも着て、少々行きたいところがある」

「まあ、いいですけど。夕食にわざわざ外食なんてしなくても――」

「服は可憐なものを着ていった方がいい。〝そういう場所〟に行くからな、〝ドイツの自由〟を味わえる場所にな」



 彼の含みのある表情とドイツの自由でなんとなく察しがついた。下ろし立てのジャケットを着て最初に行きたいところが〝そこ〟? と思いながらも、わたしも行ったことないから、ちょっとドキドキしてる。

 まさにヴァイマール共和国における〝ドイツの自由〟を象徴する場所でもあるのだから――。



   ◇◇◇



 丸くて深さのあるクロシェハットを被り、身体の線を拾わないミモレ丈のドレスに、ウールのコートはボタンを閉めて首までしっかり詰まっている。


 紡毛素材のコートだから、梳毛みたいになめらかなウールじゃない。不均一なウールを使って撚った生地で温かみのある生地感。寒い冬には一番いい。パンプスを履いて、数十分歩いた先にはキラキラとネオン光るお店。


 『ゴールデネ・ツヴィシェンヴェルト』《Goldene Zwischenwelt》と書かれたキャバレーだった。

 黄金の世界――だなんて品がないように思える。


 わたしと同じように寒さをしのぐ、ウールのコートを着ているヴェルナーとともにネオン色のキャバレーに入った。


 コートを脱いで革張りの赤いラウンドソファに座れば、ライトに照らされたステージが視界に広がってる。少し前では考えられなかった真っ白いフェイスパウダーに、円形に入れたピンクのチーク――そんなメイクをした若い女の子たちが、肩や太ももがまる見えな光沢のある衣装を着てステージ上で踊っていた。


 まさに、自由で奔放なヴァイマール共和国の夜を代表する場所。見るだけでも景気の良さが感じ取れる。

 テーブルに出されたお酒を飲みながら、わたしはヴェルナーに聞いた。



「明日は日曜ですし、こういう場で遅くまで酔ったっていいですけど――よく来るんですか?」

「来るかと言われれば、好んでは来ないな」


 ならどうして? と思いつつ、いちおう聞いた。少しだけ声のボリュームを下げて。


「デート的には、あまりいい場所とは言えませんけど……」

「そう捉えられてしまったか。単純に食事ともう一つ兼ねて用が――」


 ヴェルナーが話している途中、「これはこれはヴェルナー殿。二週間ちょっとぶりですかな」と図々しくソファに誰かが座った。



 彼との友人のような立ち振る舞いにも見えるけど、年齢は離れてるし、ヴェルナーも受け流している。無遠慮に彼はヴェルナーの肩に手を掛けて「今日のステージはいい子だらけ、ヴェルナー殿も楽しんでいってくだされ。ハッハッハッ!」大きな声で喋っていた。


 見た目はいかにもな――成金って感じで、接するのにも萎縮しそう。

 あいだに入ること対して気が引けたけど、誰かぐらいは聞いておこうと思った。横柄な雰囲気な人だから、変に思われて一緒に店から摘まみだされないかという心配もある。



「えーっと、お友達ですか?」

「ハッハッハッ! そう見えるかね、ワシもまだ若く見えるか。ハッハッハッ!」

「あはは……」


 苦笑いで対応していたら、ヴェルナーが肩に掛けられていた手を丁寧にどけて、彼のことを話した。


「彼はベルントさんだ。このキャバレーのオーナー、少し前にいろいろ相談に乗ったんだ」

「今日ここに来た理由って――」

「ああ、ベルントさんと話をしようと思ってな。彼は経営で忙しいのもあるから、直接会いにきたんだ。それに……」



 ステージに視線を向けてヴェルナーが何か言おうとしたけど、何も言わずに口を閉じた。何か言いたげというか、気になっている様子にも見えた。

 ただそんな様子なんてつゆ知らずにベルントはヴェルナーに大きな声で話しかけていた。



「ヴェルナー殿が来てくれてほんとうにありがたい。ワシも忙しいものでな、ハッハッハッ! それはそうといいジャケットじゃないか。弁護士というのはやはり稼ぎがいいものかな」

「そう稼げるものじゃありません。時々、報酬がもらえないときだってありますから」

「報酬未払いとは、不届き者もいるものですなあ」

「ええ、いるんです。悪さを働く、不届き者が――」



 それからふたりは経営がどうたらとか、少しでも税を回避するにはどうすればいいとか、そういう話を中心に話し合っていた。


 わたしには関係のない話。弁護士ってこういうこともするんだなあ、と思いながら半分に割ったタマゴの黄身をくり抜いて、マスタード、酢、オイル、コショウ、塩で黄身を味付け。

 お皿の上で押し潰して粗いペーストになった黄身は、固まったタマゴの白身につけて食べる。バーとかキャバレーでよく出される料理。『ゾールアイアー』《Soleier》。


 タマゴ自体も塩水とスパイスで長時間漬けられてるから、お酒にはうってつけな味。お腹も満たせるし、この微妙な手間暇が騒がしい空気感のなかではちょうどいい。


 ステージのショーも見てみればけっこう楽しい。夜のお店だけど、どこか知性的な部分も感じれる。ステージ上では色っぽいダンスや官能的な内容もあるけど、社会風刺も妙に効いてる。だからこそ、キャバレーは〝ドイツの自由〟を現す場所でもある。


 わたしが十歳頃の時なんて戦争中でこんな余裕一切なかった。そのせいかな――ステージ上で踊ってる女の子たちがきれいな身なりで自由にいられるのを見ると、いい時代になったなあって感じれる。

 でもよく考えれば、わたしとそんなに歳は大きく変わらないはず。だけど、さすがにいまさらわたしにあの格好は……ちょっと……。



「ビールの方はよろしいですか?」


 タマゴを口にしていたら、横から声が掛かった。すぐにゴクッとタマゴを飲み込んで、空いたグラスをウェイトレスに近づけた。


「お願いしま――す」



 わたしの声が一瞬途切れたのは、ウェイトレスの外見を見たから。彼女の声の時点で少し違和感はあった。高くて、青い感じがあったから。


 実際そのとおりで、わたしの目の前にいるのは十四歳ぐらいの女の子。ウェイトレスの制服を着てるけど、まだ学校にいるような年齢に見えた。


 いくら若い女の子が中心にしたって、キャバレーはそれでも若くて十八ぐらいの子のはず。『国民学校』《Volksschule》……義務教育は十四歳までだけど、卒業しててもしてなくても、これはマズいんじゃない。彼女がグラスを持とうとした際にわたしは彼女の手に触れてしまった。とっさに触れてしまったせいで「えっと……?」と驚いていた。


 何も考えずに動いちゃった……どうしよう。なにか、なにか――って頭をフル回転させてたら、思い出した言葉があった。これだ、と思って言葉を発した。



「何かあるなら相談に乗るけど……弁護士だから」

「……弁護士さん?」

「あっ、わたしじゃなくて、こっちの方」



 ヴェルナーの方に指先を向けて、わたしもヴェルナーの方を見たけど、ベルントと話し合っていてこっちには気づいていなかった。

 まさか思い出した言葉がデビュタントの時に彼がわたしに言った「何かあればいつでも相談に乗ろう」だったなんて、やっぱりわたしの中で印象に残ってるのかなあ、あの時のできごと。


 わたしの人生を一変させたのは間違いないし、そうなのかも。

 そんなことをふと考えながらも彼女を見てみれば、ヴェルナー側の方を訝しんだ表情を見せていた。



「大丈夫、あの人ちょっと詐欺師っぽいところもなくはないけど、見た目よりはしっかりしてる人だから。わたしが保証する」

「あの、いや、えっと……」


 この場ですぐ話すのは難しいのかもと思って、彼の畳まれたコートの内ポケットから名刺を取り出して渡した。


「また時間ある時でいいから、これ彼の名刺。『シュラウドラフ事務所』ってところ、ここからも遠くないから――」


 彼女に名刺を握らせたちょうどに大きな声が耳に入った。


「なにをもたもたしている! 早く働かないかっ!」


 ベルントが声を上げて、ウェイトレスの彼女を急かした。慌てて彼女はわたしのグラスを持って、去っていってしまった。


「すまんねえ、ヴェルナー殿のお連れさん。うちの従業員の手際が悪くて。あんなのは身体ぐらいしか……おおっと、失礼。ステージでも楽しんでください」



 ベルントの物言いには気掛かりなところがあったけど、わたしが何か言える立場でもないし、深くは知らないから相槌を打つしかできなかった。


 次にビールを持ってきたのは別の人で、結局最後までわたしのテーブルにウェイトレスの彼女は現れなかった。タマゴもビールも味がないように感じた。

 後悔のようなものもあったけど、わたしの手に甘ったるい香水の匂いがついてたせいでもある。彼女に触れたときに匂いが移ったらしい――キャバレーらしい甘ったるい匂い。ここにいる人はみんなつけてるみたい。


 それにしても、接し方間違えたのかなあ。ヴェルナーだったら、もっとうまくやっていたのかもしれない。立ち回りがうまい人だし。とてもじゃないけど、わたしはベルントが生理的にムリ。ヴェルナーだって、気が合うような感じだとは思えない。だけど、こうやって話し合えるのは彼の能力というか、できることなのかも。


 ――なら、わたしにできることって何だったんだろうなんて、ずっと思いながら、このキャバレーの中を過ごした。

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