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 正直な話、わたしは場違いなところにいるんじゃないかと思っている。


 純白のドレスにキッドスキン(子ヤギ)の白いオペラグローブ、煌々としているシャンデリア。想像上のなかで、こんなにも美しい格好をするのはわたしが結婚するときだと常々考えていた。実際は違ったみたい。


 ちらっと横に目を向ければ、同じような服装をした子が何人もいる。だいたい十万人ぐらい――ごめんなさい、本当は四十人ぐらい。


 でもそれぐらい多いって思えてしまうのは、大きいホールとはいえ、男女が揃っているから。タキシードを着た男性も同じぐらいいて、男女合わせて八十人ぐらい。わたしもそのうちのひとり。


 ここは、ベルリンのシャルロッテンブルク区の宮殿で行われているデビュタント・ボール。つまりは上流階級の人たちが社交界に行くための始まりの場であって、主役となるのはわたしのような二十前後の女性たち。


 一九二六年の一月九日、土曜日。時間はもう午後十一時を過ぎている。きらびやかな世界に対する憧れのひとつは誰だって持ってるだろうけど、こんなに遅い時間だと眠たさの方が勝っていて、早く終わらないかなって思ってしまう。


 身体中のすべてがツヤツヤしていて、締め付けたコルセットで背中が反るぐらいにキッチリと立っている女性たちの中で、わたしは浮いている……はず。

 何故かといえば、デビュタントに出れる人は家柄があるしっかりとしたお嬢様たち。


 それに比べてわたしは仕立て屋のひとり娘。名前のとおり、シュテファニー・シュナイダー《Stefanie Schneider》。そのまま、『仕立て屋』《Schneider》というわけなんです。本来であれば、こんなところに来れる階級じゃない。


 それなのに、プロイセンの初代王であるフリードリヒ一世がヴェルサイユ宮殿に憧れて作ったといわれるシャルロッテンブルク宮殿の舞踏会場にわたしはいる。

 パーケット柄のフローリングに、夢のような朝の緑を思わせるエメラルドグリーン色の壁、天使に鳥に葉などの金の装飾――目があちこちに向かって、なんだか落ち着かない。心の中でため息が出る。



「華やかな一夜を、お過ごしになってください」



 進行がそう言うと、決して大きな規模ではないオーケストラの演奏が始まった。それから短期間で頭に叩き込んだ社交ダンスと、張り付けた笑顔でどうにか乗り切って、わたしはそろそろと壁側に移動した。


 貴族のショーじみた事も一通り終われば、周りでは男女で探り合いと品定め。結婚相手を見つけるためだけなのに、上流階級の催し物っていうのはどうしてこうにも格式ばってるのか……。


 これでも、ウィーンやブリテン(イギリス)で行われてるのとは違って、ヴァイマール共和国のデビュタントは肩がこるようなものじゃない。比較的緩い方でもある。ドイツが帝政から共和政に変わった良いところかもしれない。



「ふう……」



 いけない、気を緩めてしまった。まあでも、壁際のわたしに注目なんてないだろうから大丈夫なはず。コルセットの圧迫感も少しキツイし、もう一度ぐらい気を緩めようとしたときだった。



「大丈夫か。息苦しいなら、離席してもいいんだぞ」



 黒の燕尾服に白のタイ、最もフォーマルな男性のスタイル。白手袋を付け、レモネードの入ったグラスを持ちながら壁に寄りかかった彼は聞いてきた。


 丁寧な言い回しなんてしないで、カジュアルな物言い。周りの男性とは雰囲気が少し違う。髪型はポマードでしっかり固めてはいるけど、この場の雰囲気には退屈しているような感じで、ガツガツしてない。


 わたしと似たように早く帰りたそうな様子にも取れた。僅かながらに不健康そうな見た目がそう印象づけてるのかも。ハッキリした顔立ちだけど、気怠そうな顔をしている。

 わたしは少々気を抜いていた表情を捨てて、愛想よく返事をした。



「ご心配お掛けしたみたいですね。この場を離れるほどではありませんので、お気遣い感謝します」



 彼は視線だけ送って、わたしを見透かしたように答えた。その目は、人より鋭いながらも冷たい感じではない。



「そう硬くなる必要はないさ。乗る気ではないんだろう、結婚相手探しのショーには」

「……まあ、はい。言うとおりではありますけど、そんなふうに見えたでしょうか? いちおう、がんばって馴染んだつもりだったんですけど」



 やっぱり、わたしはこの場にふさわしくないのかな、と思ってしまう。もちろん、仕立て屋の娘のわたしがふさわしくないのは自分でもわかってるから、全然それで構わない。


 だけど、この場に馴染むようにって、せっかくこの純白のドレスを私の手で仕立てたわけだから、簡単に見透かされるのは負けた感じがする。デザインや素材だけじゃなくて、完璧なフィッティングに仕上げたつもりだったんだけどなあ。


 わたしがスカートの生地を摘まんでドレスを確かめていると、彼は少し笑みを浮かべながらレモネードをひと口飲んだ。



「服装じゃない、態度だ。俺と同じでさっさと帰りたい――違うか?」

「そうですけど……」



 彼の言うとおりであっても、失礼な言い方。『態度だ』なんて言われる身にもなってほしい。まるでわたしが、華やかな場に慣れてなくて、毎日家でチョークを使って生地に線を引いては、せっせと仕立ての仕事をしてるだけの陰気な女みたいな――まあ、これは事実だから否定はしないでおこう。


 どちらにしても、少しムカッとしてしまった。それが表情に出ていたのか、「勘違いしないでくれ――」と彼は言って、続けて話した。



「キミの気持ちを汲み取っただけだ。もう少し言えば、華奢な肩の割には腕の筋肉にハリがある。これは重量物を持つわけではなく、腕を維持し続けたり、少し無理した体勢を取っている〝何か〟をしていると考えられる。それでいて他の女性とは違い、装飾的なドレスではなく、形が……どういうべきか……」少し悩んだ彼は閃いたように、わたしの顔を見た「綺麗だ」


「――パターンが綺麗って呼びますかね。服の形がきれいな時は」

「いま確信できた、仕立て屋か」

「はい、お得意様の夫人がわたしを推薦してくださったのです。二十歳になったというのもあって。場違いなのは認めますけど、彼女からの厚意を無下にはできませんし、わたしが他のみなさまと違って冴えないといっても、からかわれるのは――」



 何故だか変な意地が湧いてしまった。平然とやり過ごそうとしてたのに、ムキになった態度を取ってしまっている。

 ――わたしは人よりこだわりが強い。小さい頃から父の仕事を見ていたのもあって、一着の服を仕立てるということが、どれくらい手間と時間が掛かるのかよく知っていた。

 それを真似て服を作り出してからは、妥協というものなんて考えもしなかった。裏地で隠れて見えないところも丁寧にこなす――それがあたりまえ。


 だけど二十歳になって、そのこだわりというのが悪く働くことがあるということに気づいた。強いこだわりは強い意地になる。


 自己を押し通そうとして、失敗したことは何度もあった。パンツの丈の長さ、ドレスのウエスト位置、肩パッドの厚み――わたしが美しいと考える作りと、相手が美しいと考える作りには違いがあって、お金を掛けてくれる割には見栄えだけのディテールを要求される。


 何度かそういう作りに対して意見をしたせいで、お客様を不快にさせてはいけないと父に叱られた。そして今もわたしは意地になった返答をしている。


 この方を不快にさせてるのではないかと思いながらも、止められない。心の中で――こんなわたしに呆れて早く離れて――と、わたしは彼の目を見ながら口を動かしていたら、レモネードが入ったグラスが口にピタッとくっついた。


 ――冷たい。



「からかってなどいない、ただ心配しただけさ。キミのいう〝他のみなさま〟と違って、少し疲れた様子だったからな。それに冴えないなんてことはない、キミに似合う『いいドレスだ』」

 冷たいグラスが抑えていた口から離れる。熱くなっていた顔の熱も、グラスに吸い取られていった。

「なんだか熱くなってたみたいですね、わたし」

「会場内は人も多いからな、熱くもなる。だからこうやって、レモネードで身体を冷やしてる――ん、ぬるくなったか?」



 彼はレモネードを飲んで、冗談めかしていた。この人には気を張らずにいてもよさそう。わたしも素直な態度でいようと思える。「キミの分も持ってこようか?」と彼は言ったけど、わたしは遠慮して、気になることを聞いた。



「少し聞いてもいいですか? 最小限の特徴だけで、わたしが仕立て屋だと見抜いた」わたしは彼の服を見定める「そのうえで、あなた様の服はラペルの反りに固さがあり、ハ刺しにルイスミシンを使用したと見受けられる。手作業ではない。シャツのカフスも僅かに擦り切れている――まるで仕事着として着ているように見えます。――あなた様は何をしてるお方なのですか?」



 決して身なりに無頓着ではない。しっかりはしている。だけど他の人たちと違って、糊で固めてつねに下ろし立てような雰囲気じゃない。遊びほうけている人ほど、服は妙にキッチリしていることが多い。


 けれど彼の場合は実用性とコストを優先しつつ、身なりを整えようとする気配がうかがえる。わたしの直感としては、自ら仕事をしている人に見えた。


 彼は一瞬驚いた表情を見せつつも、壁に背中を預けていた姿勢からわたしの方に身体を向けて、わたしと向き合った。



「先に名乗るべきだったか、忘れていた。俺の名前はヴェルナー・シュラウドラフ《Wernher Schlaudraff》、弁護士をしている。キミと同じように、俺も馴染みのある顧客から推薦されたんだ。よろしく、フラウライン……」

「シュテファニー。わたしの名前はシュテファニー・シュナイダーです」

「フラウライン、シュテファニー・シュナイダー。何かあればいつでも相談に乗ろう」



 彼もわたしと近い人間だったみたい。仕事上、上流階級との付き合いが多い職業。それでいて、上流階級仕草に少し疲れを感じてしまうような性格。仲間を見つけたみたいで安心した。終わるまでヴェルナーと一緒にいよう。人を避けるための盾みたいで彼には悪いけど、話しやすいし、ここが安全圏だと思える。


 そういう気持ちがあったから、会話を弾ませようとして「あの――」とわたしから話し掛けようとしたときだった。



「シュテファニーちゃん、すてきな相手は見つかったかしら? あら……この方は?」



 ふくよかな身体とふんわりした髪が特徴的、わたしを推薦してくれたポール夫人――もとい、アンナさんが彼の後ろからやってきた。

 ヴェルナーが二人分……もしかしたら三人分ぐらいにふくよかな身体をしている。ヴェルナーが他の男性に比べて少し細いのもあるけど、見比べるとアンナさんが大きいだけのような気もしてしまうぐらいに大きい。


 アンナさんは、よくお店に来てくれるポールさんの夫人。父とポールさんが相談しているときに、わたしはアンナさんと話し合ったり、彼女に頼まれて何度かドレスも仕立てた。

 家族じゃないのに、わざわざ今回のデビュタントに付き添ってくれたり、わたしのドレスを見たときは自分の子どもみたいに喜んでくれて、年齢からしてもまるで母のように感じてしまう人だ。



「彼はヴェルナーさんといって、弁護士をしてる方です。いま彼と話をしていたところで――」

「まあ、すてきな人ね。背が高くて見た目もいい、ヴェルナーさんは兄弟はいるの? どこに住んでいるのかしら?」



 いい人なんだけど、けっこうグイグイくる人だから、ヴェルナーに話し掛けたときは彼が気後れしないか心配してしまった。でもその心配も必要なくて、彼はうろたえることもなく、親切な人みたいにスラスラと話をしていた――べつに彼が親切じゃないと言いたいわけじゃないから、気にしないで。外見の雰囲気的な意味だから。



「兄弟はいません」「ベルリンのミッテ区に住んでいます」「いまは個人事務所ってところですね、名刺渡しますね」とヴェルナー。

「あら、そうなのね」「ミッテ区ならいろんな仕事がくるわね、ベルリンの中心ですもの」「これはご丁寧に」とアンナさん。



 名刺を受け取ったアンナさんは、わたしの方に寄ってきて、顔を耳に近づけてきた。



「彼、とてもいいと思うわ。礼儀正しさもあって親切、すごいじゃない」

 わたしと話してるときは砕けた話し方だったから、礼儀正しいのかには疑問符がついたけど「ええ、わたしもそう思います」と答えておいた。

「それに目がセクシーね。あとは、もう少し体格がいいと完璧かもしれないわ」

 これも人によるけど「ええ、わたしもそう思います」と答えた。アンナさんは気に入ったみたいだし、彼も悪い人じゃない。ここを抜け出すには、話を進めた方がいいのかも。

「シュテファニーちゃんはどうなの? 一番大切なのはあなた。正直に言ってほしいわ、私に遠慮はいらないから」



 アンナさんを見れば、こくりと頷いて、どんな意見でも受け止めようとする顔をしていた。『ここを抜け出すには――』なんて考えてたけど、彼女を見たら、そんな不誠実な態度ではいられないなと思った。


 本当だったら、贅沢な暮らしができる上流階級の人を見つけるのがいいのかもしれない。わたしは働くことなく家にいて、子どもを育てて、夫人として社交的で優雅な暮らしをする――わたしたちが目指す生き方なのかもしれない。これまでの歴史が物語るように。


 だけど、いまはヴァイマール憲法が制定されてドイツは変わった。ならわたしも、これまでとは違う生き方を選んだっていいはず。

 ヴェルナーに視線を向けたら、彼はわたしの考えを先回りしたような言葉を言った。



「相談があるならいつでも乗る、いまだってな」



 短い時間のなかで弁護士というのが、少しわかってきた気がする。それとも彼自身の性格なのかもしれない。どちらかは今のわたしにはわからないけど――乗ってみよう。

 わたしはアンナさんに言った。



「お付き合い――してみたいです。彼と――ヴェルナー・シュラウドラフさんとわたしで」



 アンナさんがヴェルナーに顔を向けると、彼は通りすがりのウェイターのトレイにレモネードを置いて、わたしの目の前まで静かにやってきた。


 この時のヴェルナーは背筋を伸ばしていたのもあって、凛然として見える。さっきまであった、どこか軽薄な雰囲気もいまは消えていて、信頼に値する人だと感じられた。

 彼は白手袋をした右手をわたしにそっと差し伸べた。



「シュテファニー、俺と付き合ってくれるか」

「はい、ヴェルナー。お願いします」



 わたしは左手を彼の手の上に乗せた。白いオペラグローブと白手袋、わたしもヴェルナーも互いの手の素肌は見えない。まさに、いまのわたしたちの関係を表しているともいえる。

 『仕立て屋』と『弁護士』が互いの都合のために手を組んだ関係。共に、自分の仕事をするための関係――。



   ◇◇◇



 あのデビュタントから一週間後。


 お付き合いというのは、定期的に会ってデートするぐらいの関係だとわたしは考えてた。家族の心配とかをかわすための関係だと。わたしだけじゃない、きっと彼も同じように考えていたと思う。


 だけど、次の日にはアンナさんが家にやってきて、いつの間にか父と母に話をつけ、嫁入り道具をトランクに入れる準備が始まり、わたしがあたふたしてるうちには、もうわたしは両手いっぱいの荷物を持ってミッテ区にある『シュラウドラフ事務所』《Kanzlei SCHLAUDRAFF》で車の後部座席から降ろされた。



「はい?」



 あまりに手早く事が進みすぎて、いまさら間抜けな声を出してしまった。



「初めての同棲はいろいろあると思うわ、困ったらすぐに連絡してちょうだいね。がんばってね、シュテファニーちゃん。じゃあね」



 幌屋根のある白い車の後部座席からアンナさんはわたしに手を振っていた。それから「行ってちょうだい」と運転手に言って、アンナさんは最新式のエンジンを積んだ車で音を上げながら去っていった。わたしは事務所前で呆然と立って、それを見送るしかなかった。



「これはまた大量の荷物だな、持つぞ」


 ヴェルナーが今にもこぼれ落ちそうなわたしのトランクを何個か持って、事務所に入っていった。

 二十歳のわたしに訪れたのは――結婚前提の同棲生活というものだった。


「どうしてこうなったんだろう……」

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